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【インタビュー】金谷拓実「僕はやっぱり前のめりに進み続けたい」2022年、再び世界へ

金谷拓実は「自信」という言葉をよく使う。それが自身のゴルフにいかに大事かわかっているからだ。しかし昨年、その「自信」をなくしてしまった。それを取り戻すため、“諦めない男”は今年も挑戦し続ける――。

PHOTO/Hiroaki Arihara、Tadashi Anezaki THANKS/太平洋クラブ銀座

僕は、やっぱり前のめりに進み続けたい

金谷拓実は昨年、自分をコントロールできなくなっていたという。

「夏に海外から帰ってきて、日本の試合に出てからずっとです。ゴルフ場にいたら、いいスコアであろうが悪いスコアであろうが関係なく、本当にイライラして。自分はもっとできるはずなのにと考えたり、やらなければいけないことが全然できなくて自分にイライラするし、キャディさんにも当たるし。最後のほうはインタビューにもまともに答えられなかった」

最終戦の1つ前、カシオワールドの最終日、勝利を逃した後の会見では、涙ぐむ金谷の姿があった。

「もともとあまり得意ではないですが、ああいう時間も嫌だった。今考えるとすごく申し訳ないです。でも、ゴルフ場を離れて、車の中に入ったり、帰り道になるとすっかり落ち着くんですよ」 

迎えた最終戦の日本シリーズJTカップ。金谷は思うようなプレーができずまた苛立っていた。3日目を終えた時点で首位と6打差の7位タイ。しかし最終日に逆転優勝して賞金王のチャンスはある。もう1つ、この試合で3位以内ならマスターズなどの出場権が得られる「世界ランキング50位」以内に入ることを知って臨んでいた。

「最終日のプレー前は全然意識していなかった。優勝のチャンスもまだあると思ってプレーしていましたから。でも、終盤になってトップとの差も開いて……それでもまだ頑張れば、粘って、粘ってやれば3位に入れるんじゃないかとは思ってプレーしていました」

周りがスコアを伸ばせないなか16番でバーディを取り、3つ伸ばしていた。しかし、バーディがほしい17番・パー5でパー。

そして、数々のドラマを生んだ東京よみうりCCの18番・パー3のティーイングエリアに立つ。

「18番はバーディが取れるようなホールではないから、ある程度開き直りました。何も考えずに、本当にバーディを取るだけと。あのホールは“絶対に手前”というセオリーがあるけど、関係なくピンだけを真っすぐ狙いました」

5UTで打ったボールはイメージ通りにピン奥に着弾、バックスピンで戻り、ピン下1mについた。

「計算もクソもない(笑)。いい方向に飛んだとは思いましたが、グリーンも硬くなっていたし、グリーンに落ちたらオーバーするだろうなと。でも上手くいった」

金谷がバーディパットを打つ前、同じようなラインで先に打った堀川未来夢のパットが右に外れた。

「気持ち悪くて。嫌な外し方するなって(笑)。でも、リーダーボードを見ると、後ろの組は、17番が取れても18番はボギーのほうが多いから、これを入れたら3位以内に入れると思いました」

金谷は、世界ランク50位がかかった勝負のパットをねじ込んだ。派手めのガッツポーズが出た。

「未来夢さんに、『あれ、賞金王は優勝だけじゃなかったっけ?』って言われました(笑)」


金谷らしいと思った。“諦めない”は金谷の流儀である。そして以前、「モチベーションが上がるのでよく見ている」と教えてくれた動画の話を思い出した。それは、『成功するために必要な3つのこと』というYouTube動画で、老人に海に連れていかれ海に沈められる。死ぬ寸前で出され『今何をしたいか』と問われ『息をしたい』と答える。そのくらい強い情熱がないと、100%物事に集中しないと、成功はないという例えなのだ。JTカップの最終日18番は、金谷が生き返る呼吸の場となった。

世界ランク50位以内がかかったパットを決めガッツポーズ。そんな金谷の最終戦を見て、松山英樹が悪い部分を指摘してくれたという。「ドライバー以外は当てるだけになっていると。パッティングのスタンスを開くようになったのも自分を支えきれないからだと。体力不足もありますよね。でも、忙しいのによく見てくれているなと。ドキッとしました」

「自信」は積み重ねることでしか生まれない

2021年を振り返ったとき、「ただただ苦しかった」と言う金谷。それは、海外の試合に出て成績を重ね、欧州やアメリカのツアーカードを取るという目標が崩れたからにほかならない。

20年10月にプロ転向し、3戦目のフェニックスで早くも優勝。21年1月には欧州ツアー参戦。ここではある程度イメージ通りのプレーができた。4月の国内初戦、東建ホームメイトカップでも優勝。その後意気込んで乗り込んだPGAツアーの初戦で、歯車は狂った。

「最初に出た全米プロのコース(キアワアイランドゴルフリゾート)が、距離は長いし、好きな言葉ではありませんが、周りの人がよく言う『コースが合ってない』感じで。もうまったくダメになった」

全米プロは「75」「85」で予選落ち。この“おかしな感じ”を、次戦のメモリアルトーナメント(ミュアフィールドビレッジGC)以降も引きずることになる。

「メモリアル初日の最終ホールのセカンド。フェアウェイのど真ん中から180Yを7Iで打って30Y右にいったんです。ギャラリーの方向に飛んで危なかった。そこからもう、どうしたら真っすぐ飛ぶのかわからなくなった。いつも通り臨んでいるつもりだけど、何がそうさせるのか。その後、全米オープンの予選会でも全然真っすぐ飛ぶ感じがない。調子を崩したわけでもなくアメリカに来たのに、アマチュアで出場したときより酷い状態になりました」

体重も3、4キロ落ちた。泣いたことも一度や二度ではない。

「暇になったから結構練習はしたんです。でも真っすぐ飛ばない。(コーチのガレス・)ジョーンズとも2、3回話をしましたが、涙が出るからあまり……キャディさん(ゲーリー・ジョンストン氏)に慰められるだけでした」

アメリカで打ち砕かれた後、欧州で出場したアイルランドオープンと全英オープンの2試合は予選通過できた。

「それでも自信はなかった。2日目の後半はけっこう焦っていました。初日も必死にプレーして、カットラインの下でも相当必死にプレーして。今振り返れば相当自分がぶっ壊れていたと思います」

日本では周りから言われることもあり意識していた「東京五輪出場」も頭から消えた。噛み合わない自分にただ腹が立った。帰国しても、いい兆しは見られなかった。目標を切り替えざるを得なかった。

21年の目標を聞かれたとき、金谷は「賞金王」とは答えられなかった。軸足を海外に置くと決めていたからだ。その状況で途中、目標を切り替えるのは容易ではない。世界ランク50位が1つの目安となったが、その後も調子はまった
く出なかったという。

「自信があれば同じ調子でも3、4勝はできたかもしれない。自信がなくなって落ち着きもないし、自分の技術に100%コミットしてないのがわかるし、ショットにも結果にも表れるし」

確かに、金谷の持ち味である“勝負強さ”が消えていた。帰国後の12試合のデータを見ても、予選落ちはゼロでトップ10入りは9試合もあるが、勝ち星がない。

金谷はプロ初優勝後、「不安が自信となり、自信が確信に変わった」と言った。自信とは、金谷のゴルフの大切な潤滑油なのだろう。

「自信は、次の試合に向けての1カ月でどれだけやるかで表れます。東建で優勝できたのも、オフにしっかり取り組んで“背骨”みたいなものができていたから。積み重ねたものが大事。でも、積み重ねたのに海外の2カ月で結果に出なくて、自信がなくなった」

それでも自分を見つめて努力し続けるのが金谷拓実という男だ。

「アマチュアのときに一緒にパーマーカップに出たりしたドイツのマティ・シュミットが、全英オープンでシルバーメダルを取り、その後プロ転向して、7試合で歯を食いしばってシードを取って2021年の(欧州ツアー)最優秀新人になった。僕は日本に帰ってきて、何をしてるんだろうと思いました」

帰国後、トレーニングを週3回に増やした。

「筋トレもかなりしました。やさぐれていたので(笑)。昨年はもう、歯を食いしばることしか考えてなかった」と言うが、この積み重ねこそがまた新たな自信を生む。

高校卒業後、QTサードで上手くいかなかったことを「挫折」と言っていた金谷。しかしその後、大学進学し、ひと回り大きくなって再び結果を残してきたのだ。

1年前「立ち止まりたくない」と言っていた金谷は昨年、「倒されたので止まりました」と言いつつ、また立ち上がり、最後はチャンスの神様の前髪を必死につかんだ。「まあ、ハッピーエンドですよ」

今は少し穏やかな気持ちになったという金谷は、変わらずまた、前に進み続けるのだ。

20-21シーズンは、平均ストロークとパーキープ率が1位、平均パット数は2位。パーオン率3位、フェアウェイキープ率6位という安定したスタッツだが、ドライビングディスタンスは287.11Yで41位。金谷が気にかける数字は「飛距離」だけ。「昨年から頑張っていますが、287Yしか飛ばなかった。また地道に頑張っていきます」

プロゴルファーは屍の上に立つ仕事

昨年は、同世代のライバルたち、コリン・モリカワやビクトール・ホブランらが大躍進した。その活躍を「めちゃくちゃすごい」と素直に認める金谷。

「僕と同じくらいの選手が挑戦しているのだから同じ行動をしたい。やっぱり、挑戦を続けることはしないと、すぐに消えます。それを挑戦と言っているうちは、まだまだダメなんでしょうが」

昨年は金谷の背中を追うように挑戦を続ける後輩であり同志の中島啓太が躍進した1年でもあった。2人は都度連絡し鼓舞し合う。本当にいい関係だと思う。中島は、8月の全米アマで初日80を叩き心が折れたとき、金谷に電話して立ち直ったという。

「啓太から連絡がきて、偉そうに『自分を見つめ直すきっかけに』と伝えたかな。でも、啓太はアレがあったから、その後の取り組みが絶対に変わった。そういう出来事が自分を見つめ直すきっかけになるし、だからすぐに日本ツアーも勝ったし、一呼吸置かずにアジアアマにも強い気持ちで臨んでいけたのかと。僕も海外の2カ月の経験で、ちゃんと自分を見つめ直してきっかけにしなければいけない。前に進もうとしなければ、きっかけにもならないんです。大事なことです」

欧州ツアーと米ツアーの差も感じるようになった。

「あまり変わらないかと思っていましたが、フィールドの厚さが全然違う。優勝争いのレベルは変わりませんが、トップ10に入るとか予選カットが違う。ヨーロッパだと調子が悪くなければ予選は通れますが、アメリカは普通に予選落ちする。それにアメリカでは、ランクが下のほうの選手にも優勝のチャンスはありますが、ヨーロッパや日本は絶対にない感じです」

だからこそ、「アメリカ挑戦」に向かいたいという金谷。よりレベルが高い場所、厳しい場所に身を置いて強くなる。

JGAナショナルチーム時代から仲がよく、高め合う関係の世界最強アマ・中島啓太と。今年はマスターズ、全英オープンと同じメジャーの舞台で“ライバル”として戦う。「オーガスタでプレーできるのはすごく嬉しいですが、2年前よりもいいプレーをして成長している実感を得たいです」(金谷)

世界ランクが上がるとチャンスは広がっていく。4月のマスターズへ――ディフェンディングチャンプとなった偉大な先輩と、有言実行で切符をつかんだ頼もしい後輩と同じ舞台に立つ。

「2年前は、予選落ちするような位置から諦めずにプレーしたら、16番(パー3)ですごく長いパットが入ったりした。ハウスキャディさんに1つずつ聞きながら、1ホールごと、1打ごと進めていった。今回も同じことを繰り返すと思います」

2年前は、アマチュアの特権、「屋根裏部屋」に泊まり、仲間とリビングでバスケットの試合を見ながら過ごしたよい思い出もある。しかし、プロとなった今、ただ思い出に浸るわけにはいかない。聖地、セントアンドリュースで行われる150回目の全英オープン出場も楽しみだが、どちらもアマ時代とは気持ちが違うという。

「メジャーなのでいいプレーをしたいですが、メジャーに出ることが今度は足掛かりになる。前に出たときのような気持ちでは臨めません。“つかむため”の試合です」

魔の2カ月――アメリカで何とか自分を鼓舞していた。

「例の動画も見ていましたが、サザンオールスターズの風刺曲みたいな『闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて』も聴いていました。サラリーマンは、ほかの人の屍の上を越えて上がっていくという感じの曲なんですけど、プロってそういうものですよね。屍の上に立つ仕事です。言葉にすると厳しいですけれど……」

後ろの扉は閉めて前の扉を開けていきたい

そうしてもう1つ、最近一番興味を持った話をしてくれた。

「トレーナーさんから聞いたんですが、よく次のステップを踏むのに『扉を開く』と言いますよね。でも実は、前の扉を開くことよりも重要なのは、後ろの扉を閉めることなんですよ。後ろがあるから前に進めない。だからきちんと後ろの扉を閉めようって」

2021年は、「後ろの扉」だったのかもしれない。

「後ろの扉を間違って開けてはいけないんです。それにいつまでも後ろが開いているから戻りたくもなるし、足場がないから落ちる。きちんと後ろを閉めて、前を開ける。松山(英樹)さんも結果的にはそうですし、川村(昌弘)さんも。今年1月の欧州ツアーで会ったとき、最初の2、3年は日本にも出て、欧州・アジアも半々で出て、でも上手くシードが取れなかった。どっちつかずになるから、欧州のQTを受けできるだけ試合に出てシードを取った、と聞きました」

2022年の金谷のスタートはソニーオープンとなる。その後、欧州ツアーにも挑戦していく予定だ。プロになって1年――あらためて理想のプロ像を聞くと、

「技術もですが、僕はやっぱりどんなスポーツでも挑戦とか前に進もうとしている人を見て感動していたので、そういう選手になりたいと思っています」

その感動した一人、以前著書を読んで参考にもなったという筒香嘉智(現ピッツバーグ・パイレーツ)の話を振ると嬉しそうに、

「彼のようなことが必要ですよね。昨年2回カットされて……筒香選手だって日本に帰ろうと思えば絶対獲得する球団もあったでしょうが、そこで歯を食いしばって、最後に結果を残して、今年も契約してもらえたんです。そこで帰ると帰らないの差ってすごく大きい。何が幸せで何が目標で何が成功かはその人によるのでしょうが、それがお金だったら絶対に帰っている。世界一の国でプレーすることが大事だったから頑張れたのではないでしょうか。全員に強要するのはよくないですが、僕も、そうでありたいと思っています」

そうして金谷は世界一の場所を目指して今年も戦う。

「目標ですか……やっぱりツアーカードは取りたい。そうしないと始まらない。だから出られる試合は出てポイントを稼ぎたい」

昨年、大学卒業後初めて一人暮らし用の部屋を借りた。そこにはまだ、以前から習慣にしている「9マスシート」は貼っていない。

「学生時代は貼っていて、真ん中の目標を1年に1度は変えていた。“マスターズのローアマ”と書いたり。今も保管していて見返すと、そのときの心などが読み取れるから好きなんです。また書かないといけませんね。何にしましょうか……ツアーカード獲得だと、ちょっとしょぼいですね(笑)」

真ん中の目標は、きっとビッグなものになるはずだ。それに向かう日々がまた始まる。

昨年最終戦の18番が「新しい扉」となった。コーチに動画を送ったりして確認してもらいつつ、スウィングなどはトレーナーの先生らと相談し自分で考える。このオフの課題は、「飛距離も精度もオフでガッと上げるのではなく、シーズン中も含めて積み上げていきたい。ジョーンズコーチとの電話でも『徐々に』と話をします。トレーニングなどもオフは少し強度が高くなりますが、イメージとしては1年ずっとやっていく感じです」

週刊ゴルフダイジェスト2022年1月25日号

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