Myゴルフダイジェスト

【“キンクミ”復活へ】#1「壊れてみて初めて自分のスウィングと向き合うように」

世界ジュニアゴルフ選手権最年少優勝(当時)を筆頭に数えきれないほどの戦績を挙げ、鳴り物入りでプロの世界へ飛び込んだ少女はその後、思った結果を出せずプロの世界で苦しみ抜くことになる。世間から“ギャルファー”ともてはやされる陰で、常に「引退」という二文字がよぎり続けた金田が直面していた壁と、その後に訪れた再起について、大きなきっかけを与えたスウィングのビッグチェンジとともに語る。

ILLUST/Hiroshi Matsushima PHOTO/Hiroaki Arihara THANKS/泉パークタウンゴルフ練習場、ダンロップ泉パークタウンテニスクラブ

金田久美子 1989年8月生まれ。愛知県出身。3歳でクラブを握り、19歳でプロ転向。21歳でプロツアー初優勝を飾るも、その後は思った成績が出ず、24歳でシード喪失。QTランク87位からスタートした今季は第1回リランキング18位、第2回が25位と健闘し、久々となる優勝争いも経験

<ジュニア時代の主な戦績>

8歳世界ジュニア優勝※
10歳世界ジュニア優勝
11歳世界ジュニア優勝
12歳日本ジュニア優勝
13歳世界ジュニア優勝
14歳ゴルフ5レディス3位T(ローアマ)
16歳ニチレイレディス4位T(ローアマ)
17歳ベルーナレディス4位T(ローアマ)
※タイガー・ウッズに並ぶ最年少優勝記録

●CONTENTS●
#1 ゴルフ生活30年“キンクミ”HISTORY
#2 我流から“お腹で押し込む”回転スウィングへ
#3 スウィングの悪癖は“アドレス”が原因だった
#4 足を怪我して気がついたスウィングの要
#5 優勝スコアを見て「私でも出せる!」

ジュニア時代の“武器”が20代の金田を悩ませた

相次ぐ故障に自身の不調、若手選手の台頭など、将来を嘱望された少女の“その先”は平坦な道ではなかった。

「それまで理論もわからないまま“感覚”だけでどうにかなっていたところが、20代中頃から思うようにいかなくなり……25歳の頃は完全にぐちゃぐちゃ。感覚に頼りすぎていたあまり、おかしくなったときに立ち戻る“基準点”が私にはなかったんです」

ジュニア時代の“武器”が自分を苦しめていたことに加え、過度な練習で腰や手首も痛めがちだった金田は「このままじゃ終わる」と、一大決心をすることになる。

「これまでの私は子供時代から大人に交じって試合に出ていたこともあって、少しでも飛ばすために思い切り右を向いてフックを打ったり、極端にロフトを立てて当てていました。ただ、25歳頃から本格的に調子を崩し、初めて自分と向き合ったことで、このままではいけないと。とはいえ私のなかでスウィングを変える難しさもわかっていましたし、休むことに対して怖いという気持ちもありました」

悩んだ末に26歳で初めてコーチをつけ、オンオフの切り替えも意識。ゆっくりだが、効果は確実に表れ始めた。

「これまで右を向いていたのを真っすぐ向くようにしたことで、自分のなかでの悪い癖が自然となくなってきた実感はあります。故障の程度もそこまでではなくなりました。もう1つ、調子を崩したとき立ち戻る“基準”ができたことも私にとって大きいです」

ビッグチェンジから6年が経ち、ついに優勝争いに加わるまで復活した金田。「あと足りていないのは勝負勘と自信」という視線の先にあるのは11年ぶりの2勝目だ。

具体的には何をどう変えた? キンクミの気づきを大公開
>>我流から“お腹で押し込む”回転スウィングへ
>>スウィングの悪癖は“アドレス”が原因だった
>>足を怪我して気がついたスウィングの要
>>優勝スコアを見て「私でも出せる!」

週刊ゴルフダイジェスト2022年11月1日号より

こちらもチェック!