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【ゴルフ野性塾】Vol.1719「過去に戻るより未来に目標を持て」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回までのお話はこちら

長男雅樹が出掛けた。

再びの籠りの時を過しています。15階から下の階へ下りる事もなく、外の空気との接点はベランダに出た時だけである。
貰うのは仕方ない。だが、人様に移すのはイヤだ。だから籠る。
食材は生協が運んで来る。
一週間に一度、木曜日の午前10時、1階玄関から来訪の呼び出し音が鳴る。
女房が廊下を走る。
太りやがったな、足音がドタドタじゃねえか、と思う。
でも口には出さぬ。
出せば1時間の反撃を喰らう。
今朝も洗面所から居間に走っていたがドタドタッだった。
私は布団から出ない。
また1日24時間を8時間×3で過す。体調良好です。

100ヤードを2本のクラブで打て。 

昔からアイアンが得意で、ドライバーが曲がらない日はスコアがいいというゴルフでしたが、ここ1~2年、昔のようなアイアンショットがまったく打てなくなりました。それぞれの番手の飛距離が落ちたわけではなく、とにかく精度がガタ落ちです。右にも左にも飛んでしまいます。ドライバーの調子はそれほど悪くないため、フェアウェイど真ん中からオンできないゴルフにとてもストレスを感じています。塾長、かつてのアイアンショットのキレを取り戻す方法はありませんか。(神奈川都・坂本保浩・56歳・ゴルフ歴31年・HC8)


過去を取り戻す努力と新たな領域を生む努力のいずれが楽しいのかを考えればいいと思う。
今に眼線を置くか、努力の途中に眼線を据えるか、結果に眼線を合せるかで楽しさは変って行くであろう。
子供達にゴルフを教えて来た。
如何なる競技に於ても最初から眼線の置き様を知る者は少ないと思う。
競技始めた時から眼線の置き様を知る者は才能持つ者と言われ、途中の眼線持つ者は天才じゃないかと言われて来た。
今と結果に眼線合せる事は出来る。
誰でもだ。
しかし、途中の眼線持つ者は少なかった。
どの眼線が競技と努力の喜びあるかを教えるのが教育と思う。

人間の能力は型を持つ事に優れている事ではあるまいか。
まずは打て、まずは振れと教えるが、打つにしても振るにしても打ちの型、振りの型は要る。
ましてや動いてない球を打つ時、型の重要さは動いている球、動いている相手と対する時よりも遥かに重要と思う。
型を生むは途中の努力である。
トップの型を作る。フィニッシュの型を作る。そしてトップとフィニッシュの型を繋げばダウンスウィングからフォロー迄の動きは作れる。
動きには繋ぎが要る。
繋ぎの能力が才能だ。
初心に帰れと言うが、時5年10年と過ぎて初心を覚えている人、何人おられよう。
心は腐葉土になる。
生れて育って力尽きて落ちて腐葉土としての再生輪廻だ。
私の経験で申すが、そう思った時から納得度高まる練習が出来た。
貴兄には眼線のズレが生じていると思う。そして、過去に戻りたい、戻れると考えている。その戻りの手段を知りたい訳だ。
だが過去への眼線、大きな楽しみ生むとは考え難い。途中への眼線持つ方が楽しい筈。

100ヤードの目標を持てばいい。
サンドウェッジのフィニッシュ、ピッチングウェッジの力8分の振りとフルスウィングの型で打つ100ヤードである。
アドレス時からインパクト直前迄の気持ちの集中は左肩に置く。インパクト直後、気持ちの集中を右肩に移す。
この二つの集中の変化が一つの球筋を生む。
サンドウェッジで打つ時とピッチングウェッジで打つ時、いずれの球が小さい曲りであるかを知ればいい。
そして、100ヤードの距離、いずれの打ち方が正確であるかを知ればよいのです。
左の肩と右の肩の動きの調和崩れると、球は右にも左にも曲る。
プロであっても無駄なる練習は存在する。
総ての練習、試合に臨む気持ちで打てと識者は教えた。
このドライバーショット、最終日の1番ティーと思って打てと教えた。だが、強き人間はそんな練習はしていない。今、この球、と思って打って来ただけだ。
雑音、雑念、雑思考を入れず、この球一球の一期一会思考が強さ思考を生んでいた。
練習は練習だ。
練習の球が試合の球になる事はない。やり直し、タンマのないのが競技と思う。
この一球の思考は要る。
練習に於ても試合に於てもだ。
納得する為に練習する。
そして戦った後の納得が次の練習を生む。

過去に戻るな。
過去への執着は誰でもが持つ。
持たねば次は生めぬのも確かな事で、強過ぎる過去への執着と拘りは型を崩すと思う。
崩れぬ型を持てばよいのです。
今より50年前、鹿沼CCに大柿七郎とゆう50歳過ぎのハンディ3の方がおられた。
ティーショット飛距離は200ヤード弱だった。
パットが上手かった。
スタート前、大柿さんは1メートルの練習をした。
他の距離は打たなかった。
大柿さんは教えてくれた。
「誰も教えてくれとは言わなかった。私も教える程の技量ではないので自分から口出す事はしなかった。私の練習をジーッと見ていたのは君だけだ。物好きな研修生、暇な研修生と思っていたが暇ではなさそうだし、単に好奇心の強い物好きな研修生だったか」
月例競技Aクラスが終った後、大柿さんは二階食堂へ上って行かれた。仕事が終ったら食堂に上って来いと言ってだ。
ついて来い、と言われた。
当時も今も車の免許証はない。私の乗る車は自転車だった。
大柿さんの運転する車の後を自転車で追った。
大柿さんの家で夕食を御馳走になった。そして大柿さんは酒を飲み、私はお茶を飲んだ。
鹿沼に入社して6カ月経とうとする4月だったと記憶する。

「私のスタート前の1メートルは気持ちの練習だ。スタート前の1メートルを何も考えずに打てた時は意識せずともオーバーに打てている。1メートルを意識すれば試合でも意識は変る。私のゴルフはパットだけ。他に何の取り柄もない単純なゴルフだ。でもな、付き合いゴルフ接待ゴルフはそれでいいんだよ。ショットゴルフだと相手に不快与える事も多いが、ヒョロヒョロ球のゴルフに敵はいない」

鹿沼では中堅処の鉄工所経営の方だった。質素な家だった。
突然、大柿さんは立った。
部屋の隅に置いてあったパターを持たれた。ヘッドの長い、そしてインパクトの音が大きく響くロングホーンとゆうパターだった。
トップの型で立ち続けられた。フィニッシュの型で立ち続けられた。この時の時間、覚えてはいない。ソファに戻られた。
「型は一つあればいい。1メートルのスウィングの型、5メートルの型、10メートルの型、そしてスウィングの大きさなど必要ないものだ。型は一つでいい。大事なのは気持ちだ。私は1メートルで気持ちの型を作る」
大柿さんに教わった事は多い。
闇の中でも出来る練習だった。
トップの型、フィニッシュの型で立ち続ける振りの型作り。
途中を教わった。楽しかった。
貴兄は練習の楽しさから離れてはいないか。過去に戻るのではなく、今の途中に眼線合せるべきではと思う。
100ヤードを2本のクラブで打て。
そして新たな型を作れ。
新たな型は新たな球筋と球質を生む。戻るな。前に進め。
前に進んだ方が楽しい時間増えると思う。
以上です。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2022年2月15日号より