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【名手の名言】青木功「おれは、負けたら悔しい。楽しめたなどというやつの気がしれない」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は「世界のアオキ」こと青木功の言葉を2つご紹介!


おれは、負けたら悔しい。
楽しめたなどというやつの
気がしれない

青木 功


青木は若い頃から“勝負事”にこだわった。

70年代の後半から米ツアーの何試合か、チエ夫人と一緒に転戦していた。当時のメディアは、メジャーは扱ったが、普通の試合は専門誌しかカバーしていなかった。

青木に随行する専門誌の記者は3人。各社、青木番は麻雀ができることが条件だった。転戦中、洗濯物の干してある青木の部屋で、丸いテーブルにタオルを敷きチー、ポン。そんな遊びの麻雀でも青木は勝ち負けにこだわった。生来の負けず嫌い。遊びでも気を抜くと癖になって、ゴルフにも影響するというのである。

表題の言葉は若い時から今でも変わらない信条であろう。

「1打1打骨身を削ってスコアをつくっていくのに、楽しみなどと甘ちょろいことなど言ってられるか!」

よしんば負けても、それを糧にする執念がある。

2008年の鬼ノ城シニアオープンで2度目のエージシュート。そして弟子の渡辺司を相手にプレーオフで勝利したとき、まさにこの言葉どおり。若い者に花を持たせるなんて、これぽっちも考えていなかったはずだ。


林の上にもOBがある

青木 功


「林の奥ではなくて、林の上にOB」と、青木は言った。

風の強い日、地上ではそんなに吹いていなくても、林のてっぺんを超えると、そこには強い風が吹いている。そのため、木の上まで上がった球は強風にもっていかれて、OBにさえなりかねない。だからこそ、球筋を低くコントロールする技を磨けと青木は言いたいわけである。

青木のさまざまなテクニックは、日本の歴代のプロのなかでも出色といわれている。

米ツアーに参加した頃は手首を使ったアプローチ、パットは通用しないといわれたが、どっこいそんな風評は吹き飛ばし、1980年全米オープンでは帝王ニクラスと死闘を演じ、100ヤード以内なら世界一のオリエンタルマジックと絶賛された。

クラブがパーシモンからメタルに変わったときなど、「こんなのどう打っても曲がらないじゃないか! 曲がらないってことは曲げられないってことで、プロの技が見せられなくなるぜ。ただパカンと飛ばせばいいってもんじゃねえよ」

と我孫子弁でまくしたてたものである。自分のスキルに自信を持っていた証拠である。

■青木 功(1942年~)

あおき・いさお。1942年8月31日、千葉県我孫子市生まれ。29歳で「関東プロ」に初優勝と遅咲きながら、それからの活躍はジャンボ尾崎と人気実力とも二分し、日本プロトーナメントを隆盛に導いた。国内での勝利数もさることながら、海外での活躍は「オリエンタルマジシャン」と呼ばれ、「世界のアオキ」と絶賛された。とくに、80年、全米オープンでの帝王二クラスとの死闘は伝説として後世に長く伝えられるだろう。国内57勝。シニア9勝、海外7勝、海外シニア9勝、海外グランドシニア3勝。2004年、世界ゴルフ殿堂入り。

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