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【名手の名言】青木功「“できた!”は終わりではなく始まり」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、一時代を築いた日本ゴルフ界のレジェンド、青木功の言葉をご紹介!

「できた!」のは
終わりではなく始まりなのだ

『週刊新潮』04年10月7号「おれのゴルフ」に掲載されていた名言だ。

アマチュアゴルファーであってもどうしても身につけなければならない技術(スキル)がある。たとえば、バンカー越えなどで高く上げて止まる球や、左足下がりのライからのショット、30ヤードの距離のエクスプロージョンなど、ステップアップしていくためには、ひとつひとつ技術を習得していかなければ前に進めない。

ひとつの技術を習得するために、一生懸命して、あるとき「できた!」と思う瞬間がある。いったんモノにした技術はそこでフィニッシュ、と思うのが普通のゴルファーである、というのが青木の見解である。

ゴルフの技術は忘れやすい。数分前にできたと思っても、手のなかの砂のようにもろく崩れていくものだと青木は言う。少なくとも青木自身、「できた」と思ったところから、すべては始まったのだと。バンカーショットはできたと思った時点から3日やり続けたという。

日本アマを6回獲った故・中部銀次郎氏の口癖は「わかったと思うな」だった。「わかった」「できた」と思う時点で成長は止まるのである。

ゴルフは我が人生

もうひとつ、青木の印象に残った言葉を紹介する。

14年暮れ、『青木功プロ生活50周年記念』が帝国ホテルでにぎにぎしく行われた。

参加者は800名に及び、安倍元首相を始め、青木のスポンサー企業、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督、歌手・北島三郎ら各界の有名人、または終生のライバル、ジャンボ尾崎らが壇上にのぼった。

その会場で青木が語った「言葉」のまとめが表題のそれだ。

青木は「ゴルフは天職」と常日頃から口にしている。休養で家にいても、そわそわし始め、結局ゴルフが骨休みだとコースへ向かう。

「ゴルフがなかったら何になったでしょうか?」との質問は何百回受けただろうか。

「それでもしかし、ゴルフは現実にあるんだからそんな質問意味ないよ」と青木は答えている。

天職なのだから「引退もないさ」と締めくくった。

■青木功(あおき・いさお:1942年~)

1942年8月31日、千葉県我孫子市生まれ。29歳で「関東プロ」に初優勝と遅咲きながら、ジャンボ尾崎と人気実力とも二分し、日本プロトーナメントを隆盛に導いた。国内での勝利数もさることながら、海外での活躍は、「オリエンタルマジシャン」と呼ばれ、「世界のアオキ」と絶賛された。なかでも80年全米オープンでの帝王二クラスとの死闘は語り草。国内57勝。シニア9勝、海外7勝、海外シニア9勝、海外グランドシニア3勝。2004年、世界ゴルフ殿堂入り。