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【名手の名言】青木功「人間は今ある自分の、それ以上でもなければそれ以下でもない」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は「世界のアオキ」と称された青木功の言葉を2つご紹介!

1978年の世界マッチプレーで海外初優勝を果たした


人間は今ある自分の
それ以上でもなければそれ以下でもない

青木功


1978年、青木がマスターズに出場したときのことだ。2日目の最終ホール、2メートルの下りのラインが残った。ガラスのように速いと形容されたオーガスタのグリーン。青木はそれをネジ込む。

実はそのパットを入れても青木の予選通過はならなかった。それを知っていながら、流さず入れたのは、青木のプライドであろう。

そしてその夜、青木の宿舎を訪れた人がいた。青木がマスターズに出場した74年からオーガスタに住み、ボランティアの通訳として付き添っていた赤松氏の遺族である。

大会前に亡くなった氏が青木にメモリアルノートを遺し、それを届けるために訪れたのだ。その中に記されていたのが冒頭の言葉。だから正確にいえば青木の言葉ではなく、青木に遺された言葉である。

これを見た青木が「俺は今36歳だよな。今まで棒だけ振ってればよかったけれど、人間そうではなくて、こういう友達もいるんだよ。ようやく今気がついたけど、一生気がつかないよりいいよな」と、日本からの記者に話したという。

その後、青木は世界マッチプレーに勝ち、「世界の青木」と冠がつく選手へと育っていくのである。

予選落ちと分かっていながら、一生懸命最後のパットを入れたひたむきさがあったからこそ、遺された「言葉」が身に沁みこんだともいえる。人間理解しようとしなければ、どんなにいい言葉でもすり抜けてしまうものだからだ。


アメリカが俺を変えたよ

青木功


何を変えたかというと、ファンやメディアに対する態度、考え方である。

青木が日本のトーナメントに出場し始めたころ、自分の機嫌が悪いとメディアのインタビューはもちろん、ファンが差し出すサインにもそっぽを向くことさえあった。それは青木だけではなく、それ以前のプロのなかにはマスコミやギャラリーなどに「メシにたかる蠅」と暴言を吐いた者さえいる。

青木が米ツアーに参戦した時、あの帝王といわれたジャック・ニクラスがファンサービスのため、常時サインペンを3本持ち歩いていたのを目撃してから、変わったという。

「ファンあってのプロ」という意識が芽生えたのである。

日本のトーナメントは、そもそも入場料によってではなく、主催先のスポンサードによって成り立っている。対して米ツアーのほとんどは開催コースの入場料によって、興行として成立している。余剰利益は地域の公共施設へ寄付もされる。

誰のためにゴルフをやっているのか、青木は渡米して気づかされたのである。

■青木功(1942年~)

あおき・いさお。1942年8月31日、千葉県我孫子市生まれ。29歳で「関東プロ」に初優勝と遅咲きながら、それからの活躍はジャンボ尾崎と人気実力とも二分し、日本プロトーナメントを隆盛に導いた。国内での勝利数もさることながら、海外での活躍は、「オリエンタルマジシャン」と呼ばれ、「世界のアオキ」と絶賛された。とくに、80年、全米オープンでの帝王二クラスとの死闘は伝説として後世に長く伝えられるだろう。国内57勝。シニア9勝、海外7勝、海外シニア9勝、海外グランドシニア3勝。2004年、世界ゴルフ殿堂入り。

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