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【ゴルフはつづくよどこまでも】Vol.79「杉原さんのゴルフ人生を支えた一言」

高松志門の一番弟子として、感性を重んじるゴルフで長く活躍を続ける奥田靖己。今週もゴルフの奥深い世界へと足を踏み入れていく。

前回のお話はこちら

格言で「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉があります。

これは杉原敏一から聞いた話ですけど、敏一のお父さん、杉原輝雄さんは、人に質問するのは「恥ずかしいことや」という気持ちを持っておられたそうです。

昔のプロにとって技術というものは、「見て盗む」というのが原則やったから、上手い先輩のプレーを見て、そこから何かを学ぶことができんのは、眼力に問題あり、と思っていたのかもしれません。今風の言葉で言えば「センスがない」といったところでしょうか。

その杉原さんが宮本留吉さんとまわった際に一言だけ質問したそうです。

お二人とも鬼籍に入っておられるので、何年前の話なのか確かめようがありませんが、おそらく杉原さんがプロデビューした1957年以降の数年間の話やと推察します。


宮本さんは、1926年の第一回日本プロ選手権優勝に始まって、日本オープン、関西オープン、関西プロなど18勝のうち16勝を戦前に挙げています。プロになったばかりの杉原さんにとっては、神様みたいな存在だったはずです。

ちなみに当時、スポンサー競技は皆無で、プロゴルファーが1年間に出られる試合は、日本プロ、日本オープン、関東オープンまたは関西オープン、関東プロまたは関西プロの4つしかない時代です。

おそらく杉原さんは、ドキドキしながら宮本さんに質問したのだと思います。「今日の僕のゴルフをどう思いましたか?」と。

それに対して宮本さんは「それでええのとちゃうか」と一言だけ答えたそうです。

「その言葉を聞いて、親父は『すごく嬉しかった』と言っていました。『その言葉があったので、何十年もゴルフを続けて、ここまで来れた』と言っていました」と。敏一から聞いた話です。

僕は、もちろん宮本さんがボビー・ジョーンズから賭けに勝った5ドル札にサインをしてもらったとか、そういうエピソードの数々は知っています。けど、残念ながらご本人のことは世代が離れすぎて直接は存じあげません。

せやけど、杉原さんは宮本さんと直接触れて、どんな人柄かわかったうえで質問して、宮本さんも杉原さんの資質を見抜いたうえで応えたのやと思います。

たった一言が杉原さんのゴルフ人生を支えた。言葉は軽くも重くもなるものです。

奥田靖己

おくだせいき。1960年、大阪生まれ。93年日本オープンなど6勝。シニアで2勝。ゴルフの侘び寂び、温故知新を追求する

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月3日号より

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