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【ゴルフせんとや生まれけむ】鈴木康友<後編>「病気を経て体もゴルフも再出発!」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き元プロ野球選手の鈴木康友

前回のお話はこちら

90年に西武に移籍した際はとにかくレギュラーメンバーがすばらしく、優勝争いするチームのなかで、レギュラー選手がケガをしたときや疲れたときにチームをサポートするためにはどうしたらいいかを考えながら毎日を過ごしていました。

そうすることで監督やコーチの隣にいる時間が長くなりますから、指導者の考え方を勉強する機会にもなりました。そのおかげで引退後もコーチや監督としていろんなチームに携わらせていただくことができました。

そういうタイプの人間ですから、ゴルフのプレースタイルも堅実派です。渡辺司やデビッド・イシイみたいに大ケガをしないようにプレーしていたので、周囲からは「なんや、堅いな」と言われることが多かったですね(笑)。

引退後のラウンドで印象に残っているのは、ベストスコアの78を出したセベバレステロスGC(現JGMセベバレステロスGC)でのプレーです。当時は茨城ゴールデンゴールズのコーチをしていましたから、練習グラウンドの近くにゴルフ場がたくさんありました。15時の練習開始に間に合うように朝早くからラウンドし、アウト34イン44で78が出ました。アウトの34は2番がボギーの後、6番までパーが続き、7、8、9番が3連続バーディで2アンダーでした。

ただ、17年8月以降は大好きだったゴルフができなくなりました。体調を崩して検査を受けたところ、骨髄異形成症候群という病気であることがわかったんです。この病気は急性白血病に移行する可能性があります。そこから輸血治療を10日に1回受ける生活が始まりました。ただ、5回に1回くらい輸血が体に合わないことがあるんです。このまま一生、輸血治療を続けるか、それとも骨髄移植をするか検討するなかで、赤ちゃんとお母さんをつなぐ臍帯血(さいたいけつ)の細胞を体の中に入れて血液を造ってもらう臍帯血移植という方法を選択することになりました。その移植を行ったのが18年3月8日でした。娘はこの日を「パパの2回目の誕生日」と呼んでくれて「桜井和寿さん(人気ロックバンド・ミスターチルドレンのボーカル)の誕生日と一緒や」と喜んでくれました。彼女のそういった言葉にも元気づけられました。

そして19年にはジャイアンツ時代の先輩の篠塚(和典)さん主催のコンペでラウンド復帰することもできました。体重が15キロぐらい落ちたのでドライバーは全然飛びませんでしたが、OBを打たないのでめちゃくちゃなスコアにはならずに安心しました。

ただ、臍帯血移植後は僕が今まで培ってきた免疫がリセットされて新しく血液を造っているので、紫外線に弱いんですよ。だから以前のようにゴルフが自由にできるようになったわけではありません。でも、いろんな人に命をつなげてもらった感謝の思いがありましたから、東京五輪の前には地元奈良県の聖火ランナーに応募して今年4月にトップバッターで走らせてもらいました。その経験を糧に、今年はゴルフの本格復帰を目指します。


鈴木 康友

1959年、奈良生まれ。天理高校時代に甲子園春夏4度出場。ミスターが獲得に乗り出し、77年に巨人に入団。84年に西武、86年に中日に移籍し、90 年に再び西武に。92年現役引退。現在は野球解説者。

週刊ゴルフダイジェスト2021年9月21日号より