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【ゴルフ初物語】Vol.52「パパ、59位なの?」日本ツアー初の50台は1985年に入江勉がマークした「59」

今年5月のゴルフパートナーPRO-AMトーナメントでキム・ソンヒョンが「58」で回り、2010年の石川遼と並ぶ日本ツアー最少スコア記録タイを叩き出したが、日本ツアー初の50台は36年前に生まれていた。

廣野GCにあるJGAゴルフミュージアムには当時のスコアカードと英字新聞の切り抜きが展示されている

世界でも2人目のビッグスコア

日本ツアーで初めて50台のスコアが出たのは1985年4月に大阪の樟葉パブリックGC(現・くずはゴルフリンクス)で行われた、くずは国際トーナメント。6238ヤード・パー70で賞金ランク対象外の2日間競技だったが、その1日目に入江勉が9バーディ、1イーグルの11アンダーで回り「59」をマーク。2日目もパープレーにまとめて優勝した。日本アマ、関西学生などアマ時代に25勝を挙げ、期待されて75年にプロ入りした入江だったが、79年東海クラシックでの初優勝以来、目立った成績を残せずシード落ちが続き、6年ぶりの勝利だった。

「初日の終わった夜、家へ電話を入れたんですよ。『59』だったっていうと、娘(10歳)が聞き違えたみたいで『パパ、59位なの』って……」と試合後に語った入江だった。

米ツアーでは77年のダニー・トーマスメンフィスクラシックで2日目にアル・ガイバーガーがコロニアルCCで「59」をマークしており、入江が世界で2人目だった。その後は91年のラスベガス招待でチップ・べックが、99年にデビッド・デュバルがボブ・ホープクライスラークラシックの最終日最終ホールをイーグルで締めくくって、「59」を記録している。

日本では倉本昌弘が2003年のアコムインターナショナルで、パー71の石岡GC(当時)を12バーディで回り、国内2人目の「59」をマーク。そして10年の中日クラウンズで石川遼が「58」で回り、当時の世界最少スコアとしてギネスブックに認定されたが、2年後にはオーストラリアのライン・ギブソンが「55」を達成。そのとき使っていたパターが日本の山田パターの「エンペラー」。一躍世界中に知られることになり、当時の安倍首相からオバマ大統領に贈られることとなった。

2010年5月2日(日)、1万5904人という大ギャラリーが足を運んだ名古屋ゴルフ倶楽部和合コースで開かれた第51回中日クラウンズ最終日。石川遼が当時の世界新記録「58」で回り逆転優勝を遂げた

週刊ゴルフダイジェスト2021年9月7日号より