Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • コース・プレー
  • 【ゴルフ初物語】Vol.51 開場50周年「軽井沢72ゴルフ」R.T.ジョーンズ親子が日本で初めて設計

【ゴルフ初物語】Vol.51 開場50周年「軽井沢72ゴルフ」R.T.ジョーンズ親子が日本で初めて設計

今週の国内女子ツアー、NEC軽井沢72ゴルフトーナメントは軽井沢72ゴルフ北コースで開催されているが、軽井沢72ゴルフは1971年に西コースが開場。今年で50周年を迎えている。

36ホールでスタート
今年で開場50周年

1886年にカナダ人宣教師A・C・ショーが夏に訪れたことから始まる避暑地・軽井沢の歴史。以来、外国人の避暑地として、政財界の社交場として、そして高級別荘地として栄え、戦前から上流階級がゴルフを楽しんでいた。

そんな軽井沢に世界に通用するゴルフ場を、と造られたのが「軽井沢72ゴルフ」。高級リゾートコースとして当初からパブリックでスタート。名前の由来は1972年に72ホールでグランドオープンすることから名付けられたという。

それに先立ち、前年の71年7月4日に西コース36ホールが開場した。設計はR・T・ジョーンズ。コース予定地は湿地帯が多い荒地だったが、池を多用するアメリカンスタイルで、掘った土をコース造形に生かしつつ、土壌改善と排水改良を行うとともに、池の水は散水に活用。当時の日本で主流となっていた2グリーンではなく、1グリーンを採用するとともに、涼しい避暑地の利点を生かしてコース全体をオールベントで仕上げるという、画期的なものだった。そして西コースの造成を終えると、残りの東コース、北コース、南コースの設計は息子のR・T・ジョーンズJr.に引き継がれる。これが国内23コースを設計したR・T・ジョーンズJr.が最初に手掛けたゴルフ場となった。そして当初の72ホールの目標を超えて、東西南北の全6コース、108ホールが完成した。

北コースでは87年から軽井沢72・東急女子オープンが開催され、92年からNEC軽井沢72ゴルフトーナメントとなり、今年で30回目を迎える。東コースは2014年に世界アマチュアゴルフチーム選手権の舞台となり、男子はB・デシャンボー擁するアメリカが優勝。女子はオーストラリアが勝利している。

西武グループ創業者である父・堤康次郎の跡を継いだ堤義明。「今や信州全域が一大別荘地。その中心である軽井沢をゴルフタウンにするのが狙い」と“西武のゴルフ拠点” 軽井沢72ゴルフを造った理由を1971年の小誌で語っていた

週刊ゴルフダイジェスト2021年8月24・31日合併号より