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【ゴルフ初物語】Vol.81 かつて多摩川の河川敷に本格的な18ホールのゴルフ場があった

東京と埼玉の境を流れる荒川沿いには河川敷コースが多いが、神奈川との境を流れる多摩川の河川敷にも、かつて18ホールのコースがあった。

ゴルフの大衆化に貢献

歌川広重の「東海道五十三次」に描かれている「川崎 六郷渡舟」でも知られる六郷の渡し。多摩川にかかる現在の六郷橋のあたりだが、その東京側に1932年、六郷ゴルフコースが開場した。日本初の河川敷コースである岡山の吉備ゴルフクラブに遅れることわずか2年。吉備GCは当時まだ6ホールだったが、六郷GCは18ホール・6325ヤード・パー71の本格的なコースだった。広重の浮世絵にも純白の富士山が描かれているが、戦前の広告でも「富士の秀峰を遠望する風光」と謳われていた。

都心からわずか30分という立地に加え、平日1円、日祭2円50銭というグリーンフィー。これは同じ年の程ヶ谷CCや藤澤CCのビジターフィー平日3円、日祭7円や、移転した東京ゴルフ倶楽部駒沢コースの跡地でパブリックとして営業していた駒沢GCの平日2円、日祭3円50銭と比べても安く、ゴルフの大衆化の先駆けだった。だが河川敷という立地上、何度か多摩川の洪水の影響を受け9ホールが消失。18ホールに復元する計画もあったが、42年に総合運動場となってしまった。

戦後の58年に、都から河川敷の占有許可を受けた大田区が18ホールの六郷ゴルフ倶楽部を開場させる。前年のカナダカップでの勝利により日本が第一次ゴルフブームに沸き返っていた頃で、多くのゴルファーでにぎわった。しかし、64年の東京オリンピックを契機として、国民の体位向上に関心が集まり、折から河川法も改正される。コースは再び一般大衆への開放の対象となり、大田区多摩川緑地運動場として整備され、ゴルフ場は姿を消した。現在の六郷橋周辺の河川敷は野球場や庭球場、サッカー場が整備され、ゴルフ練習場「六郷ゴルフ倶楽部」にわずかにその面影を残している。

1964年6月8日、9日にはチャンピオンズトーナメントが開催され、多くのギャラリーがプロのプレーをひと目見ようと来場した。試合は陳清波が中村寅吉、石井哲雄に3打差をつけ優勝した

週刊ゴルフダイジェスト2022年4月5日号より

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