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【ゴルフ初物語】Vol.54 関東初のゴルフ場は115年前、横浜「根岸競馬場」の中に造られた!?

1903年に日本初のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部が開場。翌年、冬季は利用できない神戸GCの代わりに横屋ゴルフアソシエーションが誕生。そして1906年に日本で3番目、関東初となるコースが横浜に完成した。

前回のお話はこちら

競馬場の内馬場に造られたゴルフ場

1858年に江戸幕府がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5カ国と結んだ修好通商条約(安政の五カ国条約)に基づき、翌年、横浜、神戸、長崎などが開港され、外国人居留地が設置された。

日本最大の居留地となった横浜にはさまざまな西洋文化が流入。競馬も外国人によって持ち込まれたものだった。1866年には一周1774メートルの日本初となる常設の洋式競馬施設「根岸競馬場」が完成。当初は、居留外国人のみが楽しんでいたが、次第に日本人も参加するようになり、1880年に「ニッポン・レース・クラブ」が結成された。

1901年にこのクラブの会員、T・トマスが競馬場内の畑地を、クラブ員と家族のための公園やレクリエーション施設とする計画を提案。スポーツを行うことを目的に土地の使用が県から許可されると、ゴルフ好きの会員たちはゴルフ場建設を要望。1906年にゴルフ場を取り仕切る「ニッポン・レース・クラブ・ゴルフ・アソシエーション」(NRCGA)が設立され、同年11月23日、9ホール、2473ヤード、パー33の「根岸コース」がレーストラックに囲まれた楕円形の土地に誕生した。

当時の神戸GC、横屋GAのグリーンは、砂に油を撒いて固めたサンドグリーンだったが、根岸コースは日本初の芝グリーンで、フェアウェイも高麗芝だった。翌1907年から神戸vs根岸の倶楽部対抗戦「インターポートマッチ」が始まり、日本アマも1918年の第12回大会までは神戸と根岸の2コースで行われた。しかし1943年、戦争による国の接収で競馬場とともにコースは閉鎖。戦後、米軍専用の9ホールとして復活するも、1969年11月に接収解除となりゴルフ場も閉鎖された。

米軍による接収解除後、横浜市は根岸競馬場の跡地を整備。「根岸森林公園」として、日本中央競馬会の「根岸競馬記念公苑」とともに1977年10月1日に開園した

週刊ゴルフダイジェスト2021年9月21日号より