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【ゴルフ初物語】Vol.47 東京・有明に、かつて井上誠一設計の18ホールが存在した

いよいよ来週開幕する東京オリンピック。バレーボールが行われる有明アリーナや有明体操競技場など、4つの競技会場が集中している有明エリア。ここにはかつて18ホールのゴルフ場があった。

惜しまれつつ81年に閉鎖

現在の有明テニスの森公園周辺に1952年に開場した東雲ゴルフ場。「有明」という地名が誕生するのは61年からで、当時一帯は東雲と呼ばれていた。当初10年契約で賃借した都有地16万坪に井上誠一が設計。銀座から車で15分と都心からのアクセス抜群とあってにぎわいを見せ、岸信介、佐藤栄作、江戸英雄、五島昇ら政財界のゴルフ好きや、銀座のクラブのママやその客たちがこぞってゴルフを楽しんでいた。

フラットな埋め立て地ながら井上設計のグリーン周りの妙と、時として吹き付ける海風で戦略性も高く、一時期、中村寅吉、石井朝夫、小野光一といったプロも集った。

だが10年契約の借地ということと、東京オリンピックの開催が64年に予定されていたことから、立ち退きを迫られるのではないかと将来を危惧したメンバーたちは新しい移転先をめぐって分裂。62年に開場した埼玉・嵐山カントリークラブと、翌63年に開場した長野の大浅間ゴルフクラブの設立へとつながっていく。しかし、実際に臨海開発のために都に用地返還するべく閉鎖したのは81年12月のことだった。3年後には栃木に移り、東雲ゴルフクラブとして再出発しているが、コースに隣接していた300ヤード超のドライビングレンジ、晴海ゴルフセンターは99年まで営業を続けた。

閉鎖から9年後の90年には、東に約4キロの、かつて「新夢の島」と呼ばれた埋め立て地に若洲ゴルフリンクスがオープン。一時は東京五輪のゴルフ会場候補としても名が挙がった。

東雲ゴルフ場開場の翌年、コースの東側には東雲飛行場が造られたが、こちらも80年に茨城へ移転。阿見飛行場として利用されてきたが2015年に閉鎖され、現在はメガソーラーとなっている。

東京湾の埋め立て地に造られたためフラットだったが、グリーン周りにはアンジュレーションとバンカーでアクセントが付けられていた

週刊ゴルフダイジェスト2021年7月27日号より

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