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【1957カナダカップ観戦者の証言】<後編>戦争に負けた日本にとって、カナダカップの優勝は本当に大きな出来事だった

中村寅吉・小野光一ペアが優勝しゴルフブームを起こす転機となった1957年の「カナダカップ」。成績も報道記事も残されているが会場の熱量はどうだったのか? 前編に続き、当時の試合を観戦した方々に貴重な証言をもらった。

TEXT/Junko Ogawa

>>前編はこちら

高い木も越える
スニードのショットに感動しました

謝永郁さん(91歳)観戦時22歳 プロゴルファー


しゃ・えいゆう。 1934年生まれ。韓国、香港、台湾、タイなど16のナショナルオープンで優勝、アジアサーキット総合タイトル4回獲得

1957年のカナダカップはプロとして初めての大きな試合で、初来日だったのでとても印象深いものでした。
サム・スニード、ジミー・ディマレーとアメリカをはじめ各国のトップの選手がいたから、それを見て勉強しました。一番記憶に残っているのはスニードのショットです。初めて見たのは練習場で、ピッチングウェッジを打ってたんだけど、木を越えてすごく近いところに落ちる素晴らしいショットに驚きました。普通の人が打ったら飛び過ぎるんだけど、彼は高く上げて、近くに落とせる。スピンがすごくかかってるんですね。そのショットに感動して、自分もああいうふうに打てるようになりたいと、一生懸命練習して、これが後の私のショットに大きな影響を与えてくれました。


お客さんはとても多くて、知り合いじゃなくても応援してくれるのがうれしかったですね。ギャラリーと一緒に非常に明るい気持ちでプレーができました。マナーの悪い人はほとんどいなかった。みんな応援してくれるから「いいゴルフを見せよう」と思ってプレーしてました。

台湾代表で一緒に出場した陳清波さんも初めてのカナダカップだったと思います。これだけの選手が出場してるからベスト10に入るくらいできればいいと思ってました(結果は11位タイ)。初めてだからどうなるかわからなかったけど、自分のゴルフを一生懸命やったらまあまあのゴルフができてよかったと思います。

後日友達から聞いた話ですが、中村寅吉さんは10番のバンカーで、パターを打つ時みたいにグリーンに行って芝目を調べてから打って、バーディを取って優勝したって。中村さんは素晴らしいバンカーショットが打てるプレーヤー。これでボギーとバーディが目の前で入れ替わったんですからね。

中村さんがカナダカップに優勝してゴルフブームになって、ゲーリー・プレーヤーやビリー・キャスパーとか世界のトッププロを4〜5人呼ぶ中日クラウンズみたいな大きい試合ができました。それで日本のゴルフ界が進歩していったんだと思います。それに自分も参加できて、世界の人と交流ができました。

優勝旗の日の丸に万歳、
敗戦後初めてだった

神津善行さん(94歳) 観戦時25歳 作曲家

こうづ・よしゆき。1932年生まれ。映画音楽を300本以上手掛けるほか、70年代にはテレビ番組の司会などでも活躍

当時、東宝で映画音楽を作っていたので、撮影所に近い砧のゴルフ場にはよく行っていました。仕事の打ち合わせも砧の食堂。砧に行くと寅さんは必ず練習してましたね。同じことをずうっとやってた。寅さんはカナダカップの前はあんまり口を利かなくなってて。「頑張ってください」って言われてそれには何も言ってなかったけど、勝ってから「おめでとうございます」と言われて「ありがとうございます」って応えていましたね。

17歳年上の寅さんとは仲良しだったんですけど、カナダカップ優勝のお祝いをした記憶がないんです。なんでだろう? と、今回改めて調べたらわかりました。ひと月後が(中村メイコさんとの)結婚式だったんです。準備で忙しい時なのにカナダカップが気になって……女房から「何ソワソワしてるの?」って文句を言われてね。それでも試合には行きました。赤と白に塗り分けた派手なヒルマンに乗って試合会場に行ったら、クルマが停められなくて驚きました。ゴルフ場にはゴルフをする人の駐車場しかないから、見に来る人もいて駐車場が混んでるなんてあり得なかった。ゴルフを見に連れて行ってくれっていう人もいない時代だから、1人で行きました。

カナダカップのことは、その頃暇があれば顔を出してたショップの銀座ゴルフで聞いたんだと思います。日本の優勝でゴルフをする人はものすごく増えて、日本のゴルフ界は変わりました。寅さんがそれを作ったんです。だから寅さんのこと、もっと大事にしてもいいんじゃないかなぁ。ただカナダカップで優勝した後も、寅さん自身は全然変わらなかったですね。そのままだった。

カナダカップで世界一になって、日本人がこういう試合で勝つこともあるんだって思ったね。僕は昭和7年生まれだから戦争(第2次世界大戦)でそれまでいいことなんて一度もなかった。空襲警報が鳴ったらすぐに避難する毎日でまっとうに授業なんかできなかったから。オヤジが頑張って建てた自宅が戦争中に憲兵に壊された時は悔しくて。でも涙を見せたら憲兵に殴られる。そんなこともあったくらいです。だからカナダカップで一番興奮したのは、優勝で掲げられた日の丸を見て万歳をしていたこと。戦争で勝てば万歳してたかもしれないけど、どんどん負けていったから。初めてそれを見て興奮しました。戦争に負けた日本にとってカナダカップの優勝は本当に大きなことだったんです。

日本で初めてのローピング

マイナースポーツの試合にこれだけの人が集結。ゴルフの試合では初のローピングでギャラリー整理を行った。

優勝パレードは日没のコースで

日本チームの優勝に盛り上がり、急きょコース内をオープンカーで回ることに。後日銀座でもパレードが行われた

週刊ゴルフダイジェスト2026年6月23日号より