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【ゴルフ初物語】Vol.46「日本のゴルフも世界的水準に達したが、日本のウヰスキーは…」

先月、青木瀬令奈が優勝した「宮里藍 サントリーレディスオープン」や渋野日向子の所属先としても知られるサントリー。実はトーナメントだけでなく、ゴルフ場やクラブメーカーまで、ゴルフに深く関わってきた企業だった。

ゴルフと縁の深いサントリー

1923年に山崎蒸溜所を建設したことに始まるサントリーの歴史。29年には国産第1号のウィスキー「白札」(戦後は「ホワイト」)が、そして37年には現在でも使われているデザインの「角瓶」が誕生。戦前のゴルフ雑誌「ゴルフドム」38年6月号には広告が掲載され「日本のゴルフも世界的水準に達したが、日本のウヰスキーは本格醸造永年貯蔵のサントリーの出現以来、外国品を遥かに凌いでしまった」とゴルファーにアピール。ドライバーとボールをモチーフにしたデザインも斬新だった。

73年に男子ゴルフにツアー制度が施行されると「サントリーオープン」を主催。ジャック・ニクラス、グレッグ・ノーマン、ニック・プライス、フィル・ミケルソンといった世界トップクラスの招待選手が話題になったほか、本選前日のプロアマには人気タレントが多数参加し、多いときは1万5000人ものギャラリーが集まるほどだった。惜しまれながら2007年、第35回大会で幕を閉じたが、90年からは女子の「サントリーレディスオープン」もスタートさせ、こちらは今年で30回目を迎えている。78年に青木功が海外初優勝を果たした「世界マッチプレー選手権」のスポンサーも79年から12年間務めていた。

サントリーのゴルフへの関わりはツアーだけにとどまらない。79年に米国マグレガー社が日本にマグレガーゴルフジャパンを設立すると、5年後に、その株式の75%を取得し、経営に乗り出す。またゴルフ場開発も手掛け、70年には山梨日日新聞と共同で建設した昇仙峡CCが開場。96年にはジャック・ニクラス設計で群馬の響の森CC(現・榛名の森CC)が開場。だが、マグレガーは03年に、両ゴルフ場からも06年、07年に撤退している。

国内男子のツアー制度が始まった1973年から「サントリーオープン」を主催。第1回大会は静岡の愛鷹シックスハンドレッドクラブで行われ、杉本英世(左)が尾崎将司(中)、村上隆(右)を振り切り優勝した

週刊ゴルフダイジェスト2021年7月20日号より