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【ゴルフせんとや生まれけむ】栗原心平<前編>「接待ゴルフではないスポーツとしての楽しさを知った」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、料理家の栗原心平氏。

ゴルフを始めたのは28歳くらいかな、会社(株式会社ゆとりの空間)の代表を父(元キャスターの栗原玲児さん)から譲り受けた時でした。代表になると、銀行の方たちとの接待ゴルフの機会も多々あるんですが、父は接待が嫌い(笑)。そもそもゴルフをしない人だったので、当時の経理部長が1人で引き受けていました。ですから、プレーはいつも先方2人とのスリーサム。そこで僕に「頼むからやってくれ」となったんです。それまでゴルフには興味はなくて、もちろんやる気も全然ありませんでした。でも、「これも仕事だから仕方がない」となり、なんとなく始めたというのが正直なところでした。

まず自宅近くの練習場で球を打つことから始め、接待ゴルフの前に一度、東京五日市CCでコースデビューしました。確かスコアは167だったと思います。よく数えたでしょう(笑)。とにかく最初から最後まで走りまくってヘトヘトに疲れ、帰宅してから高熱を出して寝込んでしまったことを今でもよく覚えています。接待ゴルフはそれからもしばらく続きましたが、ゴルフ自体に真剣に取り組もうとはせず、仕事だと割り切ってプレーしていました。だから、スコアもずっと120前後で、こだわりも何もありませんでしたね。

そんな頃、ある日の接待ゴルフで僕がバンカーに入ったボールが出せなくて何度も打っているのを、とある銀行の“お偉いさん”に笑われまして。バンカーのミスをバンカーに笑われた……これはシャレにもならない(笑)。あちらはそんな気はなかったかもしれませんが、僕のほうは悔しくて悔しくて……。そこからですね、本気でゴルフに取り組もうと思ったのは。

練習場でティーチングプロに教えを請い、グリップからやり直しました。それまでは、僕より先にゴルフを始めていた姉(料理家の栗原友さん)にアドバイスをもらう程度で、ほぼ自己流のプレーだったので、プロの教えはまさに目からウロコ。自分でもビックリするほどどんどん上達していって、よく言われる100の壁もすんなり越えて80台後半で安定するまではあっという間でしたね。と同時に、接待ゴルフではないスポーツとしてのゴルフの楽しさ、奥深さにどんどんハマっていきました。

僕のゴルフライフにとって次の転機は33歳くらいの時。ベストスコアの73も出て「競技ゴルフに挑戦してみたい」と思っていたんです。そんなとき、会社が千葉県の立野クラシックCCの法人会員になったので研修会に入りました。当時は平日も休日も仕事はそれなりに忙しかったのですが、若かったし、ゴルフに対する熱の入れ方が尋常ではなかったので(笑)、仕事と仕事の合間に15分でも時間があれば練習場に行っていました。今考えると自分でも感心するほどの気合でしたね。

もちろん今でも月例会には出ていますし、クラブチャンピオンシップ、理事長杯、スクラッチ選手権の三大競技にも参加しています。でも、このクラスのレベルになるとそう簡単には勝たせてもらえない。“ゴルフの壁”ということなら、僕にとって今こそがそうなのかもしれないですね。

>>後編につづく


栗原心平


78年静岡県生まれ。父は元キャスター栗原玲児さん、母は料理研究家はるみさん。料理家としてテレビや雑誌で活躍する一方、㈱ゆとりの空間の代表取締役として会社経営も担う。ベストスコア73

週刊ゴルフダイジェスト2026年5月5日号より