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世界ドラコンで406Y記録のデシャンボー「新たなレベルに達した」

PGAツアーの選手としては初めて、世界ドラコン選手権に参戦したブライソン・デシャンボー。彼の出場で、ドラコン競技は、これまでにない盛り上がりを見せた。

デシャンボー自身はベスト8まで進出したもののベスト4には残れず、結果は7位。この日、406ヤードを記録したが、優勝したカイル・バークシャーは422ヤードを記録し、連覇を達成。ちなみにデシャンボーは今シーズン開幕前のオフ期間中、バークシャーのもとを訪れ、飛距離アップの秘訣を聞き、それ以来、親交を深めているそう。

とはいえデシャンボーは、「時速219マイル(秒速にすると97.88m/s!)というボール初速を記録して、夢が叶った。これまでの人生で記録したボール初速より時速で3マイルも速く、壁を突き抜けた感じだ。こんなスピードが出るなんて考えてもいなかった」と満足顔。

さらに「今週、自分は速いボールスピードを出しながら、ボールをコントロールすることを学んだ。これまでは、常にボールを思いきり叩いていたが、どのようにスウィングするかについては、あまり深く考えてこなかった。でも、もっとも速いスウィングスピードを出しながら、今は自分のゴルフスウィングを良くすることができていると感じているんだ。それはこれまでやってきていなかったこと。新たなレベルに達したんだよ。(米ツアーの試合でも)それを生かせるようにしたいと思っている」という。

飛ばし屋たちと戦いながら、多くを学んだデシャンボー。来年のこの試合にも出場することを決めたというが、ここで得た成果を直近で実践に移すのは、まだ少し先になりそう。というのも、「心や体を癒すため」に少し休養する意向を示しているから。休養明けの進化したデシャンボーに注目だ。

ドラコンとの二刀流もいけそうだ(写真は2021年全米プロ。PHOTO/Blue Sky Photos)

週刊ゴルフダイジェスト2021年10月26日号より

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  • PHOTO/Tadashi Anezaki ドラコン競技の世界は、これまでゴルフダイジェスト「ドラコン日本選手権」とLDJ主催の「ジャパンロングドライブ選手権」という2つの公式大会があった。今年度から、共催の「LDJ×GD日本ロングドライブ選手権」となり、まさに真の日本一の飛ばし屋を決める第1回決勝大会(8月7日〜9日)が東名CCで行われた。 大会最終日は、台風通過直後というあいにくの天候。打ち出しから着弾まで10 秒近い滞空時間のあるショットにとって、風は一番の大敵。そんな状況下、準決勝で388ヤード、決勝で381ヤードを叩き出し優勝したのは、三隅(みすみ)直人選手。「台風の余波で天気が荒れていて、右からの強烈なサイドウィンドでした。左のエリア外へ流されて記録を伸ばせない選手が多くいました。1回の打席で6球を打つのですが、測定エリアに残すことを最優先に、右のエリア外の林の真上を狙って打ったのが成功しました」ドラコンでは、運を味方につけること、そして、マネジメントも重要な要素だと三隅選手は言う。「東名CCの会場は打ち下ろしの斜面になっていて、着弾後のランが伸びるかどうかも、ある意味、運が左右します。そういった意味でも6球のうち3〜4球は測定エリアに入れておかないと、運を味方につけることができません。ドラコンは、パワーとスピードの競技に見えて、実は技術とマネジメントがとても重要です。今回は風とフィールドマネジメントの勝利だと思います。統一戦となった最初の記念大会で勝てたことはドラコン選手としてとても誇らしいです」 これだけ振っても前傾が崩れない! 力まずにスーッと大きく上げて、切り返しから強い踏み込みを活かした地面反力で回転。だから前傾がまったく崩れない! 三隅選手は、普段は地元の山口県で石油精製工場のオペレーター会社員として働いている33歳。「子供の頃から、野球・水泳・卓球テニス・バレーボールなどをやりましたが、器用貧乏というか、どれも長続きしませんでした。18歳から趣味で始めたゴルフを通じて出会ったドラコンは8年目で、最も長く続いている競技です」と三隅選手。ドラコンの奥深さへの探求はまだまだ続きそうだ。 ハンチング帽とニッカボッカーズスタイルが三隅選手の勝負ウェア 優勝ドライバーは東京のクラフトブランド、JビームのXY8(ロフト8度)。47.5インチ仕様のシャフトはJビームSAMURAI(R)。「しっかりしならせて、そのしなり戻りを利用するので、軟らかなRフレックスです。操作性もいいんです」 <LDJ×GDロングドライブ選手権2021 部門別優勝者>●エクストリームディビジョン三隅直人 381Y●ウイメンズディビジョン長谷川円香 324Y●マスターズディビジョン岡田直也 352Y●シニアディビジョン遠藤正義 363Y●スーパーシニアディビジョン菅島誠一 364Y●グランドシニアディビジョン風間芳広 297Y 週刊ゴルフダイジェスト2021年9月14日号より
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  • 8番アイアンで打って飛距離302.5ヤード! 場所はブライソン・デシャンボーの自宅だが、打ったのはデシャンボーではない。 8番アイアンで302.5ヤードという驚きの数字は、2019年の世界ロングドライブ選手権で優勝したカイル・バークシャーがシミュレーターで記録したもの。299ヤードのショットを2球打った後に出したのが、この302・5ヤード(ボールの初速度は時速169.4マイル=秒速75.7m)だ。 これには昨シーズン、PGAツアー史上最高の322.1ヤードの年間平均飛距離を出したデシャンボーも「すごい」の一言。「ツアープロのドライバーの平均飛距離(昨シーズンの296.4ヤード)より飛んでいる。それも8番アイアンで……」と、もらしたという。 あくなき探求心のデシャンボー。いったいどこまで飛距離を伸ばすのか(写真は2020年のWGCメキシコ選手権。PHOTO/Tadashi Anezaki) デシャンボーは先月、バークシャーとゴルフユーチューバーとして知られるガレット・クラークを自宅に招待。ガレージにある特殊な運動機器で、トレーニング法について議論した後、3人でシミュレーションゴルフをしたという。 デシャンボーはバークシャーに「真っすぐ飛ばすために、左手をインパクト時にターゲットに向けるといいよ」とアドバイスすると、バークシャーは「飛距離を出すために一瞬トップでタメを作るんだ」とデシャンボーにアドバイス。ドラコンの競技では最高492ヤード飛ばしたことのあるバークシャー。デシャンボーはさらなる飛びの秘訣をバークシャーから聞き出したかったのかも? デシャンボーのトレーニングやバークシャーのスウィングを目の当たりして、ビデオをYouTubeにアップしたガレット・クラークは、「ボール初速が時速300マイル(秒速134m)を超える日も近いかも……」とコメント。 それにしても、ドラコンプロやユーチューバーとも交流し、さらなる飛距離アップを目指すデシャンボー、恐るべし。 週刊ゴルフダイジェスト2021年1月26日号より