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【ゴルフ野性塾】Vol.1732「野の花はゆっくり咲く」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

今日4月27日、
福岡は曇り空。

東の山の向う、少し明るくはあるが、上空は灰色の雲が重なり合う重たげな空。
福岡けやき通りの15階から眺める街路樹のけやきの葉の色、濃さを増して行く。
繁り始めても来た。
現在時、昼の12時5分。
これより風呂に入ります。

急ぐな。
子供の幸せを信じて生きよ。

子供が学校に行けなくなりました。現在、中学2年の男子ですが、試験のとき以外、ほとんど登校していません。コロナ禍の影響もあり、中学に入学した頃から人が大勢いる場所が怖くなったようです。学校とは話し合っていますが、すぐには登校できそうもありません。きつく叱って登校させたこともありましたが、やはり続きませんでした。塾長、こんなとき、親としてどんな応援をしてやればいいでしょうか。(神奈川県・匿名希望・48歳・ゴルフ歴20年)


苦しさに耐えられる時と耐えるが困難な時は誰にでも訪れるものと思う。
人は忍耐の強さと忍耐の長さを持つが、それも人それぞれ。
一般論で語り、一般論で判断出来る領域ではないと考える。
人それぞれの対応であり、変化であり、順応であると考えたい。
自分が経験した事であり、その経験生かして行く事出来ると思う人いれば、自分の経験は自分だけのものであり、他の人の助言や手助けにはならぬと考える人もいようが、私は後者の立場の者である。
後者に立つ者は相手の気持ちや生活に踏み込むを怖れる。
踏み込まれた経験とその後の辛さ、味わう程に怖れるものと思う。
だから辛き時を過す人の前で沈黙する。
ただ、ジーッと座り続けるか、立ち続けるだけだ。
苦しさに耐えられる時は定まりし時ではないと思う。
常に変化の時である。
耐えるのが困難な時も変化すると思う。
だから耐えている人の前では耐えて行くだけだ。

歯の痛み、痛い人にしか分らない痛みと思う。
過去に経験した痛みであっても時過ぎれば痛みは忘れている。
ただ、痛かったとの想い、残っているだけだ。
心の辛さも歯の痛みに似るのではあるまいか。
痛ければ歯医者に行く。
連れて行ってくれと頼む。
その頼みの声、出て来る迄、待つしかない。学校が遠いと思えば、学校は遠い。

黙って涙を流し続ける人がいた。何も語らず、ただ涙を流していた。
その時が来たと思った。
「苦しかったか」と聞いた。
彼は涙を流しながら頷いた。
「そうか、そんなに苦しかったか」と言った。
ハイ、と彼は呟いた。
「どの様な生き様をしたとて楽になる事はない。お前はその苦しさの中で生きて行くしかないのだ。その日々がイヤだったら諦めろ。それもイヤだったらゴルフを好きになるしかない。苦しさを胸から吐き出し、叩き潰すも善し、遠くへ目一杯の力で放り投げるも善し、蹴り飛ばすも善し、今一度飲み込むも善しだ。私に出来るアドバイスはない。お前一人で決めなきゃ明日へは進めぬ職業だ。時間は充分ある。急ぐ事はない。焦りもだ」

プロゴルファーになりたいと願う研修生でした。
好きな人が出来た。
ゴルフと愛の両立は難しいゴルフ技量だった。
いずれかを選べ、と命じた。
愛に生きるも善し、プロゴルファーを目指すも善しだ、と言った。
1週間、彼は姿を消した。

鹿沼CCで1年間の研修生生活を送り、橘田規プロの教えを求めて愛知県豊田市の貞宝CCに移籍し、2年と11カ月後の27歳でプロテストに通り、3カ月後に鹿沼CCに戻り、プロゴルファー生活に入って1年過ぎた時の事だった。
一人の男がプロゴルファーを目指して私の許に来た。
身長170センチ弱、体型平凡の男であり、格別の運動能力持つ者でもなかったが、生活態度は真面目一直線の男だった。
私は29歳、彼は23歳。年齢差は6歳なれど師と弟子だった。
半年過ぎて宇都宮の病院に勤務する看護婦さんと愛し愛される関係になった。
体の結びつきはないと聞いた。
私は信じた。
それでも周りの批判は私の耳に入った。
研修会にも出られないレベルで恋愛などもってのほかだ、そんな中途半端者がプロテストに通るなんて夢のまた夢だ、との批判だった。
私は恋愛の一つや二つ、やれる様でなきゃプロテストには通りませんよ、と反論したが、周りを納得させる力はなかった。
私の存在もだ。
今の私であれば納得させる事も出来ようし、彼のゴルフ継続の手助けも出来ると思うが、当時の私にその力も存在力もなかった。

選べ、と言った。
8日後、彼は戻って来た。
鹿沼CC南コースの1番ティー横のスタート小屋、彼は泣き続けた。
絞り出す声だった。
「別れて来ました」
予想外の言葉だった。
私はゴルフを諦めます、と言って来ると思っていた。
「3年でプロになります。そして会いに行きます。待つと約束してくれました。3年です。それ迄は連絡しませんし、気持ちで追う事もしません」
「そうか。待つと言ってくれたか。いい人と出会ったな」

私は南9番ホールのティーから眺める夕陽が好きだった。
10分眺め続けた事もある。
大きな夕焼け空だった。
西の空の総てが赤灼やけしていた。
彼も西の空が好きだった。
1年後、私は鹿沼を離れた。
プロテストに通った2カ月後、12月31日、兵庫県尼崎市の国道、私の妹、和子が運転する車の助手席に座っていた。信号待ちしていた時に後ろから大型トラックに追突され、ムチ打ち症になった。鹿沼の冬の寒さで首筋が強度の硬化を起し、その硬化から逃れる為に九州福岡県の周防灘CCに移籍したのが、鹿沼を離れた理由である。
戻ると約束したが戻らなかった。

私はプロゴルファーとして3つの故郷を持っている。
鹿沼CC、貞宝CC、そして周防灘CCの3つのコースである。
私が鹿沼を離れたのは30歳の時だったが、彼は3カ月後に鹿沼を離れた。
研修生は続けなかった。医学生になった。国家試験に通った。
3年待つと言ってくれた彼女と結婚した。

苦しさは空に浮かぶ雲の如し、と思う。
貴兄も耐えて行け。
研修生は耐えた。3年待つと約束した彼女も耐えた。
いつかは訪れる、振り返りの時が。貴兄はその時の幸せ信じて生きて行け。
苦しい日々はある。
雲だ。
型、崩れ、新たな型、誕生する雲だ。
貴兄の幸せを祈る。
いつかは訪れる貴兄の子の幸せを信じる。
焦るな、急ぐな。
野の花はゆっくりと生きて行く。
我が子と共に生きて行け。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月24日号より