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【ゴルフ野性塾】Vol.1695「私は暑さに抵抗せぬ男。」

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

今日7月20日。窓の外、入道雲

皆無の空。
小さな雲、横に連なって浮かぶ。微風、朝から吹き続ける午後1時の気温34度の空。
いつも思う。
福岡市中央区けやき通りの15階マンションから見る東の街、沖縄那覇の街の色に似ていると。
那覇はANAクラウンプラザが常宿地なれど、その部屋から眺める街の色は白っぽい色していた。その色も遠い色になった。
私にとって今年の時の過ぎ様は駆け足の早さだった。
大きな旅、小さな旅もないのに何故か一昨年迄の移動多き時よりも早く過ぎて来ている様に感じる。不思議だ。
過ぎし日を想う。
明日への大きな期待はない。大きな希望もだ。なる様になればいい。それ以上も以下もない日々が続いているのだから、それでいいと思う。
そしてほんの少し、一昨年の暮れよりも穏やかな日々、戻ればそれで充分とゆう気はする。
現在時、午後1時55分。
雲の位置、高くなった。
白さが強まった。
閉め切った部屋の外の蝉の声か、持病の耳鳴りか、分らぬ音が聞えて来る。
体調、極めて良好です。

乗用カートを使え。無理せぬが最善。 

今年も暑い夏がやってきましたが、5年ほど前、ラウンド中に脱水症状になりかけたことがありました。そのときは、途中で手持ちのドリンクをすべて飲み干してしまって、本当に焦りました。今年も暑さに負けずにラウンドしたいと思っています。塾長は真夏のゴルフでどんな対策をしていますか。(愛知県・野村修史・47歳・ゴルフ歴18年・平均スコア92)

何事にも慣れはあると思う。
現在、私は73歳を過ぎて74歳へ向う途中。
10月11日になれば74歳になり、75歳へと向う爺様である。
70歳過ぎて感じる事、一つある。
世間への存在感、薄れ行き、対人存在感、弱まって来た事である。己の存在感の薄さ弱さ、70歳前に感じる事はなかった。
第一、存在感そのものへの意識がなかった。
それが昨年2月下旬から執筆取材、講演会、塾生と大手前大学ゴルフ部員への指導、マスターズ、全英オープン観戦、そして友人との国内外の旅が出来ぬ様になって一気に生活習慣が変った。
食事内容が変り、眠る時間と執筆時間が変り、飛行機、新幹線、タクシーに乗る時間がなくなった。
1日を8時間×3で過す日々が始まった。1日3回の日々であっても、その3度の中で変るものはあった。
睡眠時間である。
3時間眠って5時間の行動、何もせずにボーッと天井か壁か、窓の外を眺めて過すか、風呂に入るか、原稿書くか、食事するかの時過ぎる中、睡眠時間が3時間から2時間に変って行った。
その3時間から2時間へと変って余った1時間、何をしているかと申せば、意識ないままの1時間の過ぎ様であった。
慣れれば何事も平凡、然(さ)り気なき時の過ぎ様である。

慣れは若きにも老いにも適応力を持つ事が分った。
60歳迄は暑くても寒くても約束の行動はしていた。ただ、雨の日のゴルフはキャンセルさせて貰った。
便利な時代になった。
7日前から雨の予報知る事が出来る様になった。
だからドタキャンは消えた。
雨ガッパ着てゴルフやる気にはならぬ。
43年前の雨降る日、友人との約束守ってコースに出た。
鹿沼CC南コース5番ホールの第2打地点、雨足が強まったその時、20メートル先の杉の木に雷が落ちた。
雷が落ちた直後、伏せた。
落ちてからでは遅いと思うが、体が勝手に動いていた。
研修生時代もプロになってからも、そして本誌、週刊朝日、スポニチ新聞に観戦記を書く様になってからも雷に出会う事はあった。
20年前の11月下旬と記憶する。
タイ・バンプラGCでラウンドしていた。ホールは18番、第2打地点。雨期を終え、乾期へと移行する時だった。
ヒンヤリとした風が吹いた。
暗くなった。
空を見た。
雨降る気配はあったが、まだ10分程の余裕あるんじゃないかと思った。
今年最期の雨かと思った。
突然、頭のテッペンを叩かれた。
雷が落ちた音だった。
35メートル左の前方のマンゴー樹林の1本の古木から炎が出た。
縦の炎だった。
乗用カートでクラブハウスへ向って逃げた。
以来、雨の気配、少しでもあればクラブハウスから出ない様にした。
タイでも日本でもだ。
臆病と言われようが、贅沢、我儘と言われようが命あればこそと思う。

貴兄は元気だ。
脱水気味なのにラウンドを続ける元気さが羨ましい。
私であればプレー中断して木陰に逃げ込みます。
暑さに負けず、命を粗末にするなんて勘弁です。
夏は気配を看みる。
暑くなりそうならば乗用カート使用のコースに行く。
そして暑さから、雷から、夕立からの逃げ足を確保する。
勿論、ペットボトルの水は3本持って出る。
2本が飲み水で1本は頭と首筋を冷やすが為に使う。
帽子は野球帽。
タオルは常に濡れタオル。
それでも暑いと感じた時はその時点でプレーを中断して来た。
ただ、昨年、今年と暑い日のプレー経験はない。
梅雨と夏と冬、そして花粉飛ぶ春、私が友人に声掛ける事はない。友人が声掛けて来る。
私が誘いの声掛けるのは秋だけである。
誘われて付き合う事はあるが、誘われた時点で一つの断りを入れる。雨、降ったり、暑さ寒さ強まったら止めるが、それでもいいか、と。
皆、了解と言った。
私は小雨でも止めた。
傘、差しながらのゴルフはツアー参戦時代だけで充分だった。
趣味と健康のゴルフに付き合う時、傘差して迄、やろうとは思わなかった。
私が友人等とゴルフするのは晴れの日、暑さ寒さ厳しくない時、花粉飛ばぬ時、雨降らぬ時だけである。
我儘贅沢と言うのならば誘うなと言って来た。それでも誘って来る者はいる。私の周りには暇な奴が多いのです。
秋の誘いは多い。
ただ、雑誌取材、テレビ収録、講演会も秋に集中していた。
故に誘いの多くは断った。
今は尚の事、誘いなしだ。
今年も夏のゴルフはしないと思う。
私は乗用カートを使用します。
そして、キャディさんのいるコースでのプレーを好む。

私は寒さよりは暑さに強い体質と思うが、20年前の暑さと現在の暑さは異質の様な気はします。現在の方が遥かに暑いと感じる。
無理はせぬが最善であろう。
暑さに負けずにラウンドなんて上達心と闘争心が気持ちの中でバリバリに張っている若い時にやればいい事と思う。
貴兄は元気だ。暑さに負けずのラウンドですか。
傘持参、濡れタオル持参、ペットボトル持参以外、如何様なる手段あるのか。
睡眠なんて日頃の延長、栄養補給も然り。問うべき事ではあるまい。
便秘は暑さに弱い体質を生むと思うから3日前に下剤で落して置くのもいいと思う。
私は暑さに抵抗する気、皆無の男。無理は無理と思う男。日毎に好き嫌い、はっきりとして来た男。
そして妥協点、高くもなれば低くもなって行くそこだけが自在の男。
御自愛あれ。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2021年8月10日号より