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【ゴルフ初物語】Vol.41 「1983年、国産クラブが初めて米男子ツアーを制覇した」

日本人初のPGAツアー優勝は1983年、青木功のハワイアンオープンだったが、同年に日本製のクラブがPGAツアーで初優勝を収めたことは、あまり知られていない。

ドラコン選手が米ツアーに広めた

1955年に釣り用リール製造で創業したダイワ精工。72年からはゴルフクラブの国内販売も始め、81年にはアメリカに進出した。すると当時の全米ナンバー1といわれたドラコン選手、エバン・ウィリアムウズがダイワのクラブを手に圧倒的な飛距離を叩き出す。

ダイワのクラブは瞬く間に全米中に知れ渡り、2年後のPGAショーでは6000本の受注を受けるまでに。米ツアーのプロにも注目を浴び、ニック・プライス、ジェリー・ペイトらがクラブを依頼してくるなか、意外なことにダイワが契約したのは、まだ無名の若手5選手だった。

そのなかに、若き日のラリー・マイズがいた。1983年6月にテネシー州で行われたメンフィスクラシック最終日。3日目を終えてトップのファジー・ゼラーを1打差で追いかけていたのが24歳のマイズだった。ついにゼラーをとらえ、首位タイで迎えた18番ホール。先に打ったマイズの7メートルのバーディパットが決まり、ゼラーが2.5メートルを外すと、米ツアーに新しいチャンピオンが誕生。これは日本製のクラブがアメリカで初優勝を挙げた歴史歴瞬間でもあった。

ダイワの快進撃はこれで終わらない。91年ロイヤルバークデールでの全英オープンを制したイアン・ベーカーフィンチが手にしていたのもダイワのアイアンだった。さらにジュニア時代のタイガーも、同じアイアンを使っていたという。

ダイワの「Advisor DG-273」アイアンは、79年の全米プロ、81年の全米オープンを制したデビッド・グラハムが設計に携わり、イアン・ベーカーフィンチが91年の全英オープンで使用し優勝。ジュニア時代のタイガー・ウッズも愛用していた

日本では89年から93年まで「ダイワKBCオーガスタ」の冠スポンサーを務め、2002年には「オノフ」ブランドが誕生。09年には片山晋呉と契約し、4月のマスターズではオノフのウッド、アイアンで4位という結果を残したが、その秋に社名をグローブライドに変更した。

週刊ゴルフダイジェスト2021年6月15日号より