Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • 週刊GD
  • 【ゴルフせんとや生まれけむ】野村謙二郎<後編>「ケガでゴルフの回数は減りましたが、今は“スクランブル”に夢中です!」

【ゴルフせんとや生まれけむ】野村謙二郎<後編>「ケガでゴルフの回数は減りましたが、今は“スクランブル”に夢中です!」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き元プロ野球選手の野村謙二郎氏。

>>前回のお話はこちら

  • ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元プロ野球選手の野村謙二郎氏。 ゴルフを始めたのはプロ野球に入って1年目のオフですから89年です。当時はまだバブル景気でしたから、オフの食事会とかゴルフコンペがたくさんありました。でも、現役時代はワイワイガヤガヤやるタイプ。ゴルフを真面目に……

一番熱心にゴルフをしていたときは年間160ラウンドしました。といっても160日ではありません。1日に1.5ラウンドとか2ラウンドするのです。それが今は月2~3回くらいまで減りました。回数が減った原因はケガです。ゴルフを真剣に始めてから、首とひざと肩を痛めてしまいました。医者に言わせると「現役時代に体を酷使したから」という前置きが必ずつくんですけど、いずれもラウンド中のアクシデントです。

その中でも一番大きなアクシデントは緒方(孝市)と回っているときに起こりました。ボクのドライバーの飛距離は260ヤードくらいなのですが、緒方はめちゃめちゃ飛ぶのでボクのボールをスプーンで越えていきます。あるホールで緒方から「もっと真剣に振ってみてくださいよ」と言われました。ボクが真剣に振ったら「パチン!」と音がしました。「何だろう?」と思いながらも痛みはなかったので最後までプレーしました。ところがラウンドが終わって車に乗ったらハンドルが持てないんですよ。慌ててコンビニエンスストアで氷を買い、肩を冷やしながら帰りました。


翌日は何ともなかったので病院には行かず、その後も普通にプレーしていたのですが、あるとき医者に行ったら「肩の腱が3カ所切れていますよ」と言われました。結局、手術を受けて切れたところを3本まとめてつないでもらいました。そのとき3カ月以上ゴルフができませんでした。またゴルフができなくなるのはイヤなので、回数を減らすことにしました。

月2~3回のラウンドでボクが今、一番楽しみにしているのがスクランブルゴルフです。4人でチームを組み、ティーショットからカップインまで全員が打ち、すべてのショットでベストボールを選択。そうするとほとんどのホールでバーディチャンスが作れるので、10アンダー以上のビッグスコアが出るんですよ。

最初に経験したのは22年の秋でした。シゲ(谷繁元信)とベンちゃん(和田一浩)とシンヤ(宮本慎也)とひちょり(森本稀哲)の4人でゴルフダイジェスト社さん主催の大会に出る予定だったのが、ひちょりが出られなくなったんです。「野村さん、出られませんか?」と誘われて出てみたら12アンダーか13アンダーのビッグスコアをマークし、2位に入りました。「こんなに盛り上がるゴルフは楽しいな」と思っていたら、シゲが「野村さん、全国大会ですよ!」と。そして23年2月の全国大会でも14アンダーで2位に入ったんです。翌年の全国大会のシード権を獲得しました。

そうなると50歳を過ぎたオジサン4人が「次は優勝しかない!」と意気込むわけです(笑)。ところが24年2月の全国大会は10アンダー13位。昨年は再び地区予選からチャレンジし、3年連続で全国大会出場を決めました。25年1月24日にフェニックスカントリークラブ(宮崎県)で開催される全国大会の結果は、この原稿が掲載される頃には出ていると思いますが、オジサンたちの奮闘にご期待ください。

※編集部注:野村さんたちの「名球会A」チームは2位で、見事シード権を獲得しました。

野村 謙二郎

1966年生まれ、大分県出身。88年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。プロ入り2年目から俊足巧打の内野手として活躍。盗塁王3回。最多安打3回。05年に2000本安打を達成。2010~14年は監督を務めてAクラス2回。現在は野球解説者として活躍中

週刊ゴルフダイジェスト2024年2月25日・3月4日合併号より