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【ゴルフせんとや生まれけむ】フッキ―<前編>「百貨店の外商時代に初めてプレー」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、ものまねタレントのフッキ―氏。

高校卒業後、ものまねの世界に入る前にデパートで働いていたことがあるんです。東京・吉祥寺の近鉄百貨店、今はなくなっちゃいましたけど。22歳くらいの頃、すでに素人のものまね番組に出ていたんですが、デパートの上司に「君は面白いね。外商をやってみないか」と言われ、高卒ではなかなか配属されることのない外商に回されました。すると、毎日のように接待のカラオケばかりに呼ばれるようになって。結局は宴会要員だったみたいです(笑)。

で、その外商部にゴルフ好きの田中さんという先輩がいて「外商でゴルフコンペをやるからお前も出ろ」と言われ、一緒に練習場に行ったんです。仕事中なんですけどね(笑)。「外商は売り上げ目標を達成したら何しててもいいんだ」と先輩が言うので、それもそうだなと思って付いて行きました。それが僕がゴルフを始めたきっかけなんですけど、最初からドライバーは無理だからと7番アイアンを持たされて、レクチャーを受けながら見よう見まねで始めました。中学・高校時代にバレーボールやハンドボール、卓球と球を使うスポーツには関わってきました。でも、卓球のラケットより長いものを振ったことがなかったので、最初はなかなか当たらず、苦労しました。ある時は大ダフリして先輩の7番アイアンのシャフトを折ってしまって大目玉を食らうなど大変でしたが、しばらく練習をするうち何とか格好だけはつくようになってきました。

と、こんな感じで僕のゴルフライフはスタートしました。ところが、その頃、時代はバブルでプレー代もそれなりに高かったので、僕みたいなしがないサラリーマンにはなかなか手が届かない贅沢なスポーツだったんですよ。ですからコースに出るのはせいぜい年に1、2回で、その前にちょこっと練習場に行くのがやっとでした。僕自身、ゴルフの面白さにまだ目覚めていなかった。自前のクラブもバッグもなく、先輩から借りてプレーする、あんまり情熱のないゴルファーでした(笑)。

そんな僕とゴルフとの縁が深くなっていったのは、プロのものまね芸人として活動するようになってから。今から30年以上も前の話です。当時、作曲家の平尾昌晃先生が主催していた「平尾昌晃チャリティゴルフ」が毎年、新千葉CCで開かれていました。平尾先生はノブ&フッキーがレギュラー出演していた日テレのものまね番組に出演されていて、僕らのことをかわいがってくれていて、チャリティゴルフにも誘ってくださったんです。

でも、当初はプレーヤーではなく、ラウンドのリポーターやホールアウト後のパーティの盛り上げ役。ある年にはパー3のホールでオンしたら太神楽の海老一染之助・染太郎師匠に扮した袴姿の僕とノブが傘を持って大きな声とアクションで「おめでとうございます!」と言いながら出ていったこともありました。あるプロ野球OBの大投手からは「うるさい! こっちは真剣にやってんだぞ」って怒られてしまいましたけど、それも今となってはいい思い出です。

>>後編につづく

フッキ―

ものまねタレント。本名・葺本(ふきもと)光秀。66年東京都立川市生まれ。誕生日は石川遼と同じ9月17日。相方のノブとともにノブ&フッキーとしてテレビ各局のものまね番組、ディナーショー、イベントなどで活躍。ベストスコア84

週刊ゴルフダイジェスト2024年12月17日号より