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【ゴルフせんとや生まれけむ】大島勝(大島親方)<前編>「場所が終わったら6連チャン! 九州のゴルフ環境は最高でした」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 大相撲の大島勝(大島親方)。

初めてクラブを握ったのは21歳のときです。この年の3月場所に新十両に昇進して、先代の大島親方(元大関旭國)に「お前も関取になったんだからゴルフをやれ」と言われて。本場所が終わったあとの部屋のコンペで、いきなり常陽カントリー倶楽部(茨城県)に連れて行かれて、クラブの握り方も打ち方もわからずに、シューズは先輩の陸奥嵐さんに借りて出たんだけど、スコアがどうだったかなんて一切覚えていない。ただ足が痛くて、早く終わらないかなと、ひたすらそればかり考えていましたよ(笑)。

力士は普段歩かないから、歩くのは苦手なんです。当時は乗用カートもなかったから、18ホール歩いたら、ふくらはぎがパンパンに張ってね、翌日の稽古を休んだら「遊びに行って、稽古を休むとは何事だ」って怒られて、俺にとっちゃ遊びじゃないと思ったけど、そんなこと親方には言えないしさ(笑)。

そんなわけで、最初は必ずしもゴルフは好きじゃないというか、どっちかといったら嫌いだった。でも、当時の大島部屋は親方を筆頭に陸奥嵐さん、旭鷲山さん、旭富士さんと、ゴルフ好きで上手い人が揃っていて、誘われれば行く、行けば負ける、の繰り返しでね。親方は勝負事には厳しくて「負けるのがイヤなら努力しろ」と突き放す人だったから、しょうがない、負けると悔しいから練習場に行ったよ。よく行ったのはロッテ葛西の練習場。そしたら、だんだん球をコントロールできるようになった。球がちゃんと当たってコントロールできたら、ゴルフほど面白いものはない。そんなわけでつい夢中になってハマったね(笑)。

ロッテ葛西の練習場は、打席から奥のネットまで250ヤードあるんだけど、俺のドライバーはネットの中段に突き刺さっていたから、ざっと見ても270~280ヤードは飛んでいたんじゃないかな。そうなるまで2年くらいかかったけど、でも、ハマってからはよくラウンドした。年間50~60回、コースに出ていたからね。

力士は、本場所の前は稽古に集中するから、コースに行けないんだけど、場所が終わると翌日から1週間休みになるので、そしたら、それ行け、ってなる。九州場所のときなんか、場所が終わった翌日から巡業が始まるまでの1週間、毎日、コースに通ったよ。

九州場所の大島部屋の宿舎は、福岡カンツリー倶楽部和白コースや古賀ゴルフクラブまでクルマで10~20分のところにあって、千秋楽を打ち上げると、翌日から土曜日まで6連チャンした。部屋にいてもやることはないし、ゴルフが終わったら部屋に戻って風呂に入って飯食って寝るだけ。何も考えず、ゴルフに集中できたから、行くたびにスコアがどんどん良くなって、最後の土曜日は前半34で、トータルでも72のパープレーだった。九州は、いま振り返っても、これ以上ない最高のゴルフ環境だったね(笑)。とにかくドライバーを打ったら、2打目は全部ショートアイアンだからね。乗せてパターで寄せるとパー。生涯で一番ゴルフが上手かった時期じゃないかな(笑)。

>>後編につづく

大島勝(大島親方)

おおしままさる。大相撲の元関脇旭天鵬。1974年生まれ。モンゴル出身。37歳で史上最年長初優勝を果たし、40歳になっても幕内で活躍。長身で得意技は懐の深さを生かした寄り。2015年7月引退。現在は大島親方として後進を指導。

週刊ゴルフダイジェスト2024年4月23日号より