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【不朽のインタビュー・尾崎将司】山際淳司に語った「カムバック~前編」。ニクラスの門を叩いて「お願いします」というのが一番だと思う

まさに彗星のごとく。プロ野球西鉄ライオンズを退団して2年と半年、尾崎将司は1970年4月のプロテストに合格し、プロゴルファーに転身した。1973年マスターズでは東洋人初の8位入賞、破竹の勢いで10年の間に24勝をあげる活躍を見せた。しかし、1981年頃から尾崎をスランプが襲う。ドライバーを握ればOB量産、試合に出れば予選落ちの日々。復活を遂げた1990年代のジャンボ尾崎の躍進ぶりは記憶に新しいが、スランプに悩み苦しむ「尾崎の本音」を知る人は少ない。今回、週刊ゴルフダイジェストに掲載された貴重な当時のインタビューを発見した。1983年8月31日号「初めて尾崎自身が語るカムバック」。インタビューは日本のスポーツジャーナリズムを確立させた山際淳司氏によるもの。

尾崎が勝利の歓声にこたえなくなって久しい。尾崎が復活するかどうかのマスコミの特集も姿を消した。しかし、一部のファンには、あのキラキラする尾崎の姿が忘れられない。職人芸ではない、いぶし銀でもない、まさにキラキラと輝く華やかさが忘れられない。あの尾崎はもう戻ってこないのか? くるのか? 巷間ではさまざまなことが言われてきた。しかし、本人の口からこれほど「カムバック」ついて語られたことはない。尾崎は語った、静かに――、時に激しく――。1983年8月8日午後8時~深夜、自宅にて。

山際淳司(1948-1995)。1980年「Sports Graphic Number」創刊号に「江夏の21球」を執筆。この作品が大きな反響を呼び、スポーツノンフィクション作家としての地位を確立。「江夏の21球』を収録した作品集「スローカーブを、もう一球」で、1981年に第8回角川書店日本ノンフィクション賞を受賞。日本のスポーツジャーナリズムの草分け的存在。神奈川県横須賀市出身。

ゴルフに対する情熱は消えていない

── 特にプロスポーツの選手はそうだと思うんだけど、いろんなことを考えすぎて、かえってパワーが落ちたりすることあるでしょう?

尾崎 デビュー当時っていうのは、ゴルフに対してものすごく集中力があったね。だから自分は単純計算でいけたわけだ。上からパーンっと叩く。トップがどうだ、バックスウィングがどうだなんて考えない。一番あたりまえのことだけ考えてゴルフやってたからね。

1971年日本プロ。プロデビュー2年目で初優勝を遂げた

尾崎 それに絶対人に負けないっていう自信があったしね。まあ、これは失礼ないい方だけど、他のプロゴルファーたちを見た時、スポーツ選手として体力が自分よりまさっている人は1人もいないと思った。だからオレは、この人たちには絶対勝てる。そういう頭がいつもあったね。

尾崎 つまり、それだけの闘志があったと思う。これが長嶋(茂雄)さんがよくいう「プラス志向性」なんだよね。いい方、いい方に解釈していくと、それがプラスアルファーのエネルギーを生んでいくという考え方だね。そういう志向性が強かった。またそうやって勝ってきたから、自分が上なんだって見えるわけ。

── そうやって自分が見えちゃうと、自分が変わっちゃうでしょ?

尾崎 それからの目標っていうのは、普通は勝ち続けることだよね。それがあんまりね…。今の不調はその時に始まった。結局、ゴルフに対するひたむきな姿勢がなくなってきて、怠けグセがついて…。

── それでもそこそこ勝ち続けてきたというのは逆に「不幸」なことだったかもしれない。だから同じ時期にね、尾崎さんとつり合うもう1人、あるいは2人のゴルファーがいたら、変わんなかったと思う。勢いがね。

尾崎 上に登った人間が何をしなくちゃいけないか、ということが、その時のボクにはなかった。だからゴルフに対する情熱、追及ってのがすこしも新鮮な刺激として作用しなくなってしまう。こういうことってあるわね。

── でも、そういうのって、男と女の関係とは違うのかもしれないけど、別の対象に向かえば、また新鮮さを回復できたりするでしょ?

尾崎 ボクの場合、結構よくない時間が長いからね。でもね、最近になって、ゴルフに対する情熱が自分の体の中で消えていないということを感じとっているんだ。

── 切実に勝ちたいと思うでしょう。

尾崎 そりゃそうね。また勝った味ってのはいつでもいいしね。トーナメントの大小なんか関係なく、勝った時の嬉しさってのは、勝負師を職業としている人にとって人生最大の喜びだね。

── 勝ちたい、何勝でもあげたいっていうのはエネルギーになるでしょう。

尾崎 なるんだけど、実際に気持ちと体がアンバランスになるってこともあるよね。気持ちはあっても体がついていかない。ボクの場合も体のトラブルがあって、やる気がすごくあるから練習するんだけど体が動かない。どうしてこういうズレが出てくるのか? そこでまた深く追求することになるんだよね。

尾崎 そうすると研究材料としてはいいケースだと思うけど、これだというふうに一本に絞りきれなくなっちゃう。だから、そんな時、素直に誰かの意見をきいて、とは思うけど、ボクの質問に正解を出してくれるっていう人はそんなにいないんじゃないか?

尾崎 これはボクのわがままだけれどね。実際はいるかもしれないけど、そこでボクは門を閉じてしまう。自分の内側で解決しようと…。

── そこで門を閉じるのは尾崎さんのプライドでしょう?

尾崎 それはあるわね。やってきたことの自分のプライドですね。ほんとはね、ジャック・ニクラスのところの門を叩いて、「お願いします」ってのが一番いいと思うけどね。一番尊敬している人にいわれれば一番「効く」と思うんだよね。

尾崎 例えば悩みがあるとするでしょ、そのうちひとつでもふたつでも「これは悩まなくていいよ」っていってもらえればそれでいいんだよ。

尾崎のゴルフに大きな影響を与えたジャック・二クラス(1983年撮影)

── スポーツ選手には、大きくわけるとね、天才肌のプレーヤーとコツコツ積み上げていく努力型のプレーヤーがいますよね。尾崎さんなんか天才肌の典型だと思うんですよね。

尾崎 うまくいった方だからね。

── フッとおのずと身につけるものがある。ところが不器用な人間ってのはひとつひとつ、こう石を拾ってきては積み上げていくみたいにやっていく。つまり石の積み上げ方はわかっているから、何かあったら、チェックし直すってことが可能なわけです。それが不器用人なりのやり方、ところがフッと身につけてしまった人のチェックの仕方って、おのずと違ったものになると思うんですよ。

尾崎 だから天才型の人間っていうのは上昇していった過程を知らないんだよね。知らないから、これはこうなんだよって自分のまわりに冷静に判断していってくれる人が必要なんだ…。ところがボクの場合はなんでも自分で「開発」していこうとするわけね。しすぎるかもしれないね。でも、しょうがないですわ。自分がそういう形になってしまっているから(笑)。

尾崎が考える3つの「ING」で作るボディスウィング

尾崎 いま、すごく新しいものに取り組んでるって気持ちになってるね。ボクが目指しているスポーツとしてのゴルフはこういうもんなんだということを確立させるためにやっている。調子が良い悪いとは別のところでね。

── 「これがゴルフなんだ」というところは具体的には…

尾崎 まあ、日本のトーナメントのゴルフコースってのは、コントロールして攻めていけばいいようなコースが非常に多いわけです。コントロールしていけばなんとかなるから日本には個性派ゴルファーが多い。極端にいえば、例えばショートゲームがうまい、球を曲げないフェード系のボールを打つ選手が多い。一番被害が少ないわけね。コントロールされているわけだ。

尾崎 ボクはそれはほんとうのコントロールとは思わないんですよ。アメリカに行ったらわかるんだけど、非常にコースが大きいし、長い。それに応じてスウィングの形成も違ってくる。すべてのクラブを使いこなしていくようなスウィングを作らなくてはいけない。でも、実際にそれが日本のコースと合わなくて批判を受けたりすることはあるんだけどね。

尾崎 まあ、それはそれとして、ニクラスとかワトソンが目指しているスウィングってのは、いかなるコースでも、自分がこのスウィングをすれば、体でね(ボディスウィングで)クラブをスクェアに振ることによって、いつでも自分が要求する球が打てる。手先でコントロールした球じゃなくて、体でコントロールした球が打てるということだと思う。

1982年 全英オープンでのトム・ワトソン

尾崎 その点、日本人はどうしても上半身でコントロールしてしまう、手先のスウィングでね。アメリカの選手は体でコントロールする。ボクはこの方が大正解だと思うんだよね。ボディスウィングをちゃんとできる人間はいつでも確率の高いゴルフを追求できると思うんだ。そういう確率の高いゴルフスウィングをボクはやろうとしているんだ。

── 小じんまりするんではなくて、フルに体を使ってコントロールする?

尾崎 そう。体で覚えこんでしまう。だから体に変調をきたしている時は、ボールもおかしくなる。いつも体を万全にしておかないといけないわけだ。スウィング、コンディショニング、トレーニング、この3つのINGでボディスウィング。

── ジムを作ったのは今年?

尾崎 今年、まあ去年の12月だけど。

── それまで、あーいった本格的な筋肉トレーニングはやっていなかったんですか?

尾崎 いや、そんなことはない。ただ、トレーニングってとてもあきやすいからね。なかなか自分で入っていけない。だから何かの刺激があれば…。器具があれば遊びながらできるでしょ。これはボクの性格からきたんだけど…何もなしにトレーニングだけやるなんて、つまんないもの。だから、もし何もなく1時間走り続けられるとしたら、ボクの今のスランプはなかっただろうね、冷静な目でいえばですけど。ボク、それができないからね。

── ゼータクってことかな? でもよくいうでしょ? 精神的にハングリーな状態にあったほうがいいって。

尾崎 よくいわれるんだよね。ハングリーでなくなったとか、金がたまったのがいけないとか…直接いってくるわけじゃないけど…ヒキョウな人が多いから(笑)。

尾崎 日本人ってのはハングリー、イコール金にあてはめすぎるんだよね。その辺一番イヤなんだなあ。やっぱりね、自分とゴルフだけなんです。ハングリーさっていうのは、技術的な追求、精神的な追求欲であって、それがなくなればハングリーじゃない。それだけだよね。

青木、中嶋にジェラシーはもちろんある。その気持ちがなければ・・・

── 才能ってのは、例えばテニスの名プレーヤーがいて、その人にはラケットの形をした空洞が心の中にある、ボクならペンの形をした空洞がある。そしてそれを埋めようとするわけです。だけど絶対に埋まらない。それでも埋めよう、埋めよう…それが努力になっていく。だから尾崎さんの場合はクラブの形をした空洞が…これはもう精神的なもんですよね。それを埋めたいと努力する。それが才能だっていう考え方がある。

尾崎 いろんな考え方、アイデアがあると思うけど、最終的には、そういうものを自分体でやらなくてはいけないよね。行動の問題になると思うんだよね。いくら本を読み、設計図を作っても体を動かさないと家は建たないでしょう。そこで何をするかといえば、まず土台。けれども例えばリフレッシュしようとして、ただ壁を塗りかえることはできるんですよ。これは確かにある時期うまくいくかもしれない。ボクだってここまで真剣にならないで、表面的に赤チンをつけてある程度の効果を出そうと思えば出来ますよ。しかし、ボクはそれじゃイヤなんだ。いままでやってきた人間がこうなって再び這い上がるためには、なにかしなくちゃならない。その何かを赤チンで直すフリはできないよ。

── 長期計画を立てているわけでしょ。

尾崎 ボクは最低でも45歳まではトーナメントプロとしてやっていくつもりだし、そのためには「いま」が必要だと思う。

── 一試合、一試合のゲームの中ではなく、長いスパンを考えて…?

尾崎 そうね、そういう気持ちはあるし、そうやっていかなくては先がない。ただねえ、トーナメントやってると、予選カットとか優勝争いとか、表面的な「おいしさ」がちらつくんだよなあ、コースの上にはお金がたくさん落ちているし…それ拾えばいい。拾い方もいろいろあるけど、やはり、はかまを着て拾いたい気持ちなんだけどね(笑)。

── ダンディズムなんですね。でもあせりってありませんか? 例えば去年は中嶋常幸が断トツでお金を稼いだ、青木功がハワイアンオープンで優勝した…日本の国内で大きく騒がれているでしょう、そういうのを見聞きして、当然、ジェラシーとかあせりとかあると思うんですけどね。

1983年ハワイアンオープンで優勝を遂げた青木功

尾崎 もちろん。その気持ちがなければ勝負なんてやめればいいんでね。ボクらってのは、一種のお互いの内争社会じゃないかな。だから相手がいいからといって拍手なんてしてられないと思う、ほんとうに。青木選手はいい、中嶋選手はいい、なんて絶対思わないですよ、ボクは。あんちきしょう、って思うよ、そりゃ。それ思わなくなったら、もうゴルフやめてますね。そりゃスポーツマンとして素直に祝福する気持ちはありますよ、栄光に対して…。

1982年、83年と2年連続で賞金王に輝いた中嶋常幸(85年・86年にもタイトルを獲得)

── 目先で「何かやってやろう」って気になるでしょう。

尾崎 だから難しいの。

── こういうケースを突き抜けて、フッとトンネルから抜け出すと、これは非常に面白いでしょうね。誰もやったことなかったですからね。

尾崎 そう。それをやっている。

── もう一度ゴルフの深さ、面白さみたいなものを、別の観点から発見する。

尾崎 そう。苦しんでいるじゃなくてね。

── だからまたやっている。45歳になった時、どういうふうになっていたいと思いますか?

尾崎 少なくとも体力的には今を維持したい。体の柔軟性。それから、自分の理想のスウィングをどこまで完成させているか? ただ思うのは、簡単にゴルフに取り組んでいたいね。サッとやったことが自分の思った通りのスウィングであり…という形はいいね。

── それが45歳…。

尾崎 そこからまた始まるってことになる。ゴルフは年齢によってというより、ゴルフに対して自分が若ければいいんだよ。

── でも、何かうかがっていると、尾崎さんって、欲張りなんですよ。だいたい20代で自分の力を知って、30代で努力して、できないことって見えてくるわけですよ。これがダメだって。例えばボクなんか雑誌の編集もやりたい、モノも書きたいって20代で思ったんですけど、30になるともう両方はできない。そこでひとつあきらめる。ゴルフなんかの場合でいえば、オレはパターだけうまければいいって…なっちゃうわけです、普通。それが、この地点からまたワーッと創造するってのは、欲張りなんですよ。

尾崎 だからボクがいっていることは実証しなくては何もならないってことなのよ、結局。でなければ頭の中だけで思う理想だけで終わるな。

── 苦しむ?

尾崎 それはない。ただ、明日これをやろうとか考えて、遅くまで起きていることはあるよね。しかしねえ、子供が遠足いく前の日にあーしよう、こーしようって思うよね。実際は、その3分の1もできない。

── 予定立てても10分の1くらいなもんですよね。

尾崎 そうだな。最近それ感じるよ(笑)。それでね、できるだけ夜寝る時に考えたことをノートするようにしているんだ。寝てしまうと忘れるからね。本読む時も、いい言葉に出会うとメモをとるんだよ。あんまり本読むの好きじゃないから、子供の時から。それに、何かのためになるひと言はないかって探しながら読むから、身につかないなあ。

── 最近、何読んでます?

尾崎 推理小説とかは好きじゃないんだよね。どうしても「勝負の倫理」とかに向かっちゃうんだよ。でも、例えば宮本武蔵の「五輪書」にしても、書いてあることは良くわかるんだけど、それがゴルフにどうあてはまるか、そういうケースって少ないんだよ。結論的には、一生懸命やらなくてはいけない、って。これはどんな本にもそう書いてある。

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(週刊ゴルフダイジェスト1983年8月31日号)