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【不朽のインタビュー・尾崎将司】山際淳司に語った「カムバック~後編」。人より飛ばして、人よりピンの近くに寄せる

インタビューの最後を尾崎将司はこう締めくくった。「科学的なゴルフ、すべてが解決されるような、そういう明解なゴルフを創りたいね。それが理想だしね」。まさに2019年現在、トラックマンの出現により、ゴルフは科学的になり、データによって理想のスウィングが作られるようになった。ジャンボ尾崎がちょっと早過ぎたのかもしれない。しかし、このインタビュー(1983年)で述べていることを、1990年代に実現し、第二次尾崎将司黄金時代を築いてみせた。

尾崎が勝利の歓声にこたえなくなって久しい。尾崎が復活するかどうかのマスコミの特集も姿を消した。しかし、一部のファンには、あのキラキラする尾崎の姿が忘れられない。職人芸ではない、いぶし銀でもない、まさにキラキラと輝く華やかさが忘れられない。あの尾崎はもう戻ってこないのか? くるのか? 巷間ではさまざまなことが言われてきた。しかし、本人の口からこれほど「カムバック」ついて語られたことはない。尾崎は語った、静かに――、時に激しく――。1983年8月8日午後8時~深夜、自宅にて。

山際淳司(1948-1995)。1980年「Sports Graphic Number」創刊号に、「江夏の21球」を執筆。この作品は大きな評判となり、スポーツノンフィクション作家としての地位を確立。「江夏の21球』を収録した作品集「スローカーブを、もう一球」で、1981年に第8回角川書店日本ノンフィクション賞を受賞。日本のスポーツジャーナリズムの草分け的存在。神奈川県横須賀市出身。

流れの中でいかにスウィングを作っていくか

1983年 KBCオーガスタ

── 江川(卓)が今シーズン調子悪いでしょう。5月だったかな、江川の大学時代のコーチに藤田さんという人がいて、今シーズンのVTRを見ながら、「ああ、こう変わっている。この点をアドバイスしてくれ」って、江川への伝言をたのまれた。で、それは江川本人よくわかっていて「それはその通り」だって。だからといって、すぐ戻しちゃうとよけいバラバラになっちゃう。そういうんですね。彼なりに毎年調整しているんですよね。

尾崎 まあ、指摘する人は写真分解の中で、ここはこうなっている…。ゴルフもまったく同じでアメリカのいい選手の分解写真を見て、こういうトップになっている、こういうダウンスウィングになっているってね。そんなこといったって、実際はスウィングの中のワンポイントの形でね、一瞬一瞬はそうなっているってことだけでね。第一本人も総意識してスウィングしていないかもしれないしね。

── 分解写真並べて「ここが違っている」というのは簡単なんですよね。でも投げている時、ショットしている時っていうのは流れいますからね。

尾崎 そういう流れの中の動きを変えていくっていうのは、よっぽど確信を持ってやらないとダメだね。そうしないと、ズレというか誤差が出てきた時、かえって大きくくずれていくと思うんだ。

── 先日、高校野球の審判をやっている郷司さんという人に会ったんです。20年ほどやっている人なんだが、今でもよく憶えているピッチャーを何人かあげてくれといったら、一番最初に尾崎さんの名前が出てきた。甲子園での尾崎さんのピッチングが非常に印象的だったと。球速とか、そういうことならばその後、池永とかいたけれど、なぜか鮮烈に覚えていると、郷司さんにとって最初の優勝投手ということもあったんですが、まあ、野球やってて、それなりのレベルにずうっといったわけですよね。そしてゴルフに転向して、あっという間にひとつのレベルに到達してしまった。非常に器用でしょう、尾崎さんって。

徳島県立海南高校のエースとして春の選抜で初優勝

尾崎 そうだね。自慢じゃないけど球を持たせ、その球をどうするかってことは、非常に自信があるね、自分では。ちっちゃい頃からそうだったね。球技には自信があったね。特に、例えばそのボールを持って遠くに飛ばすとか、目標の地点に投げるとか、わりと自信あったね。だからゴルフを最初に覚えた時には、あれ、これが自分に一番合っているんじゃないか。死んでいる球を自分が生かせばいいって感じたんだ。それに遠くに飛ばすこともできる。ボク、わりと遠投とか好きだったからね。おまけに自分でコントロールすることもできる。これも好きなんだ。

── すると、投手としてはコントロール型だった?

尾崎 豪速球投手ではなかったね。打たせてとるタイプだね。力投型じゃなくて早いカウントから打たせて、楽しようってタイプのひとりだね。だから甲子園でも3試合連続完封、3試合連続無四球ってのもやった。これは結局力投型じゃない。コントロールを中心にピッチングを組み立てていくタイプだったわけね。

── 自分でコントロールよく投げようと思っても、意識と体がピタッとくる人は少ないですよ。それができるというのは天才的に器用なんですよね。そういうのって、ある面生まれながらという気がする。

尾崎 例えば、飛距離なんか先天的なものがあると思うんだよね。最初ゴルフ始めて、全然飛ばないのが急に飛ぶようになるってのは、ほとんどないと思うよ。その人のもって生まれたスポーツに対するセンスというか、体の動かし方ってあると思うよ。

習志野CCへ行ったことは、ラッキーだった

1983年ダンロップ国際。豪打復活を多くのファンが待ち望んだ

── ゴルフやり始めて、とりあえずマスターしたでしょう。当時の日本のゴルファーのレベルを一気に飛び超えたでしょう。ああいうふうにスーッといっちゃうと、どういう気分だったんですか?

*:尾崎:** まず、順番にいうと、ボクにとってゴルフと野球では、何が違っていたかと考えると、ゴルフはね、自分でやりたいって前向きな気持ちがあった。野球の方は、なにか練習シンドイとか、時代的にもあまりよくなかったから、どうしても100パーセント集中できなかったね。まあ中学からずうっとわりと野球の強い学校にいたから、伝統とかあるわね。そこで6年間抑えられる。それがイヤだったのね。それで少し野球に対する興味が少しずつ削られていったのは確かだね、今考えるとだけど。

尾崎 それで、まあ惰性的にと言っちゃなんだけどプロ野球に入った。同期に池永が入ってくる、で彼はバーンと伸びてくる。ボクは比較の対象とされたけど、よくなかった。そんな時期があって、野球に対する熱意がどっかで歪んでいったんだな。そういう時にゴルフやったでしょ。これ以外に我が道を生かす道なしだね。ま、そういう衝撃の出合いみたいなのがあって、全身全霊でゴルフに打ち込んでいったという感じだね。だから自分でつらいとか思ったことないし、かえってさわやかだったね。自分の好きなことだからね。そういう背景があったから、デビューの時からグーンといけちゃったんだよ。

── そういう精神状態って何年間くらい続きました?

尾崎 デビューして5年間くらいは続いたわな。

── ある意味で非常にいい時期ですよね。気力と体力が充実してて…。

尾崎 野球をやめる時、故障でやめたわけじゃない。ゴルフやりたくて自分から「やめさせてくれ」っていったんだよね。球団としては高い契約金払って3年でやめられて…3年たって、高卒でしょう、だから21。21で五体満足でしょう。これから期待をかけようっていう時に、ボクのわがままでやめたわけですよ。

── よく出してくれましたね。

尾崎 いろいろトラブルはあったんだけどね。そりゃ法律的にはボクの方が正しいんだけど、道義上の問題があったのね。今思えば、あまりいいやめ方だとは思わないけど、それだけゴルフをやりたいって熱意があったんですね。それともうひとつラッキーだったのは、西鉄ライオンズにいたので福岡でしょ。ところが、ある問題が生じて福岡のゴルフ場に所属しようと思ったのが、できなくなっちゃったんですよ。それで人を通じて習志野CCへ。関東ですよね。もし九州のどこかに所属していたら、今までの自分の歴史がつくれていたかどうか? まあ、ある程度は出来ただろうけれども、広い関東で、一番情熱がある時期に入ってきて、これはラッキーだったことは間違いないね。

現在のアコーディア・ゴルフ習志野カントリークラブ

クラブハウス内には若き日の尾崎の写真も。正面は尾崎と、習志野での恩師・林由郎プロ

── 最初の5年間で気分が落ちちゃう、それはやることやったからって意識なんですかね?

尾崎 はっきりいえば、ゴルフに対するひたむきさが薄れていったということはできるね。これはボクはしょうがないと思うんだな。今の日本のゴルフの歴史からすれば…。そういう精神的な面を支えていくシステムが少ないと思うんだよね。周囲の人間、例えば協会の人とかね、嘱望される選手、いわば宝だよね、そういう選手を支えていくっていうか、あんまり考えてなかったんじゃないかな。まあ個人競技だから難しいんだけれどもね。例えば、「どうして予選落ちするんだ?」と聞かれたら、そこに科学的な答えを提示して、「こうするんだ」「ああするんだ」といってやれれば、今までバーッと出てサッと消えていった選手も、もう少し長くやれたと思うんだよね。

── 例えば、いろんなトーナメント出て、勝っちゃって、名誉みたいなものとか、賞金もドンドン上がっちゃいますよね。さらにそれからもうひとつガンバル。

尾崎 そうです。ボクの場合はボクが出ることでトーナメントの数が非常に増えたと。しかしその一方で、年間たくさんの試合に出なくちゃいけない。そうするとトーナメントに対する緊張感が薄れていく。要するに試合数が多すぎたということね。それで情熱みたいなのもあまり出てこなくなってくる。すると技術的な面で、こうだという型がないものだから一気に崩れていく。そういう点でアメリカってやはり歴史があると思うんですよ。すべてに解答を出すものが周囲にあると思うんだ。技術面でも精神面でも。それでまた自分を見つめ直すことが出来ると思うし。

尾崎 実際に5年経った時に振り返ってみたら、何をするんだってことがなかなかなかったし。またやらなくて済むわけ。だからやらない方をとったんだね。これは一種の妥協心かな、「ああ、いいやっ」てね。まあ、日本でオレの天下だって思った時、楽して勝てばいいんだって思ったわね、結局慢心だね、ゴルフに対してね。だから、それを規制する何かが周囲にあったなら、ボクは違っていただろうね。人間って一度楽をすると、それを直して努力するってなかなかできないんだよね、最近そう思うんだ。

1973年のマスターズは8位。日本人初の海外メジャートップ10入りとなった

── マスターズ8位ってのは?

尾崎 今なんか、青木さんにしろ、中嶋選手にしろ日本での成績が良ければ何試合でも出られるけど、ボクなんか調子が良かった時でもマスターズ1試合しか出られなかったもの。彼たちはいいよね。ベストの時にたくさん出場できるんだから。それは今いってもしょうがないけど、ただ自分がベストの時にね、もっと数多くやってみたかった。ガーンといっているころは、ボクはアメリカの選手を見ても、そんな負ける気はしなかったからね。

尾崎 それにシーズンの違いもあったよね。日本でシーズン終わると4月まで試合なかったし、4月の最初のトーナメントがマスターズだったからね。12、1、2、3月と休んで一発目がマスターズってわけ。東南アジアのサーキット回って調整してね、ま、調整にならなかったけどね。今と全然違う情況だったわけだよ。

── 8位になった時、ずーっとアメリカでやりたいと思わなかった?

尾崎 やりたいと思ったけど、なかなか周囲が許してくれなかったね。それに、それ程日本のプロがアメリカで活躍できる場ってなかったんだよ。だから、アメリカ人が日本に来た時なんか、余計に闘志が出たね。太平洋マスターズでもいつもベスト10落ちなかったしね。

ロングショットに磨きをかけるしかないんだ

── さっき、ジャック・ニクラスと話が出来たらっていっていたでしょ?

尾崎 ばっちりレッスンが受けられたらいいと…。

── 他に、こういう人間と話してみたいってあるます?

尾崎 あくまでニクラスを崇拝していますからね。それ意外といわれると…。

── 過去の人はどうです? 昔のゴルファー。

尾崎 やっぱりスウィングでいいといったらサム・スニードでしょう。それにベン・ホーガン、トム・ワトソンと…ニクラスに加えてやっぱり4人の名前があがってくる。いずれもビッグプレーヤーだからね。

── 例えば日本だと青木功ですか? 今40代だけれど、30代の後半っていうのは、まだはっきりわからず、どっちかというと悩んでいた方ですよね?

尾崎 悩んだってことはないんじゃないかな。彼の場合、前フッカーだったのがスライスに変えたことで今日があるわけだよね。だから、どうしてスウィングを変えてよくなったか、ということは理論的に実証できるわけです。これはわけない(笑)。簡単にいえば、若い人はフックを打つべきだと思うね。フックからスウィングを覚えていかないとダメだっていえるよね。どうしてかってことになれば、結局、青木選手がこうなったって話になるけれどもね。

1982年全英オープンでの青木功。海外に積極的に参戦し1983年にはハワイアンオープンで優勝を遂げた

── ライバル意識ってあります? 青木功に。

尾崎 そうね、青木選手とは、彼の方が4つ歳上だけど、ボクが先にバーンと上にきて、その時彼は下にいて、まあボクに対する気持ちかどうかわかならいけれど、勝つためにはどうしたらいいか? それを青木選手は見たわけね。それが長続きしている原因だと思うね。だから、目標見つけて、これから先やっていかなきゃいけないってなれば、それはいいね。

── すると、そういう意味での目標にはならないですか?

尾崎 やっぱりタイプが違うからね。例えば、アプローチ、パットは世界の3本の指に入る人でしょう。もう大体、我々の倍の距離までそれらは許されるわけでしょう。ボクらが2メートル入れる確率と、青木さんが4メートルを入れる確率はだいたい同じだからね。これはドライバーにすれば倍も真っすぐ飛ばさないと対等にいけないといってもいい。

尾崎 そこで非常に技術的なものが要求されるわけです。人より正確に遠くに飛ばして、人よりピンに近く寄せる。これですよ、ボクがしようとしているのは。そうしないと絶対にたちうちできないですもの。人より20メートル遠くにしかも正確に飛ばす。これはとても技術がいると思う。

1982年初頭のトレーニング風景(後ろは飯合肇)

尾崎 飛ぶんだからアイアンで刻めとかいうけど、アイアンで刻んで他の人の後ろにいって何する? ただOBを避けて、フェアウェイをキープ…だったらそこからピンにからませる技術があるのかどうか? それは今の確率からすれば少ないと思う。他の人が6番持つ時、ピッチング持つからピンに寄るし、勝負できる。同じ6番持ってるんだったら、他の人の方が真っすぐ飛ばす人が多いからね、今の時点では。それをわざわざ後ろから打つことないよね。刻んで正確にセカンド打てるんだったら、ボクは日本でドライバー使わないよ。

── そういうふうに考える前にドライバーが振れるんなら、短く刻んでって思った時期もあったでしょう?

尾崎 やっぱりね、一番長いクラブで距離を落とすっていうのは、手打ちになっているんだよ。問題はできるだけコントロールすることはどういうことかってことなんだ。それで、ボディスウィングでコントロールできれば一番いいと、手先じゃなくてだよ、そう思うわけだね。だから回転数を落としてもボディスウィングでコントロールできるようなスウィングを求めているわけよ。結局、回転数が同じで、クラブを落とせば距離が落ちるわけでしょう。そうじゃなくて、ドライバーで打って回転数を落として、正確に打ちたいってことなんだ。これができればすべてにおいてバランスがとれてくる。そうであればアイアンで刻んでもいいと思う。

尾崎 ま、ここで話が戻るけど、青木さんの場合は10ヤード、20ヤード落としても、パーオンさせればパットで勝負できるって考え方に切りかえたわけだ。昔はものすごいロングヒッターだったのよね。自分の長所が何であるかを見つけたわけね。じゃあボクの長所はなんであるか? これはロングショットに磨きをかけるほかないんだ。そして磨きをかけるためには理想的なスウィングをしなきゃならない。これは、あまりパーフェクトなことを要求し過ぎているかもしれないけれど、ボクのタイプからすればそうなってくる。だからしょうがないのね(笑)。

── タイプが違うわけ?

尾崎 まあ、もしボクよりもっとロングヒッターがいてね、バーンと勝ってきたら、ボクはその人間に勝つために飛距離を落として…。

── そういうのって、あり得ると思うんですよね。

尾崎 だから飛ばすだけの能力を持っている人間は、飛ばせるのよ。飛ばせるがユエに難しくなってくるのよ。ユエに努力は必要であると…。これはやっぱり運命の法則であると…(笑)。

── 今シーズン始まる前、トータルの目標はどの辺においてあったんですか?

尾崎 やっぱり後半から良くなっていこうかって感じね。でもある程度体が万全になってきたし、これからは明るい雰囲気になっていくんじゃないかな。

── 7月にミニキャンプを2日間。

尾崎 あーいうのはね、体が良くないとできないことだし…。パーフェクトなことを求めているわけだから、やってあたり前なのかもしれない。結局、自覚だよね。尾崎将司の自覚です! 自分が理想のものを求めるなら、すべて万全の形じゃなければならない。

── まだまだ弟2人を引っぱっていかなくちゃいけない気持ちも…?

尾崎 結局、体で見せるってことがひとつ教育だと思うね。やっぱりボクが一生懸命苦労している姿を見れば、彼たちも気づくんじゃないの。

── こないだ関東プロの16番で直道が池に入れたでしょ、あの時正直いってどんな気持ちでした?

尾崎 そうね、ボクは16番のグリーンサイドで見ていたんだけど、まあ、15番を終わって直道が気をつけなくちゃいけないことは、16番の左の池に入れちゃいけないってことだったわけよ。直道にいってあげたいって気持ちだったね。技術の勝負なんかじゃないですよ。もうそれを通り越して自分がプレッシャーの中で、まったく別人に思えるような感じになる程懸命になっているわけですよ。ただ、そういう人間でもやっちゃいけないことがあるわけ。それが16番の池だったんだ。チャンピオンになるにはそれが出来なくちゃダメなんだ。池に入れるな、そして尾崎直道として勝たなくちゃいけない。この2点があの時いいたかったことだね。健夫、直道、いずれも技術的にいいものを持っているし、少しずつ伸びてきていると思う。ただチャンピオンとなるべきタイプにはなっていない。

── 器が完成されていない?

尾崎 チャンピオンって、すべてが良くないといけない。青木選手が16番でバーディパットを入れた、ああいうことができなければチャンピオンにはなれない。

── しかし、偉大な兄がいる。彼らにとって非常なプレッシャーじゃないですか。

尾崎 でもこれは考えたって切れるわけじゃないんだからね。まあ、とにかく人間は楽に金を稼ぎたいって誰でも思っているわけだし、オレも思って失敗したけど(笑)…いま、自分が何をしなくちゃならないか、それを見つけることが大切なことだね。*

尾崎 それがボクがやろうとしていることだし、それが将来、若い人の力になってあげられればね。これからはただ球を打って、ゴルフが強ければいいっていうんじゃなくて、科学的なゴルフ、すべてが解決されるような、そういう明解なゴルフを創りたいね。それが理想だしね。まあ、静かに期待していて下さい。

(週刊ゴルフダイジェスト1983年8月31日号)

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