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【ゴルフせんとや生まれけむ】炭山嘉伸<後編>「ゴルフができない危機を3度乗り越えて……」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き、感染症の専門医で東邦大学の理事長も務める炭山嘉伸氏。

前編はこちら

ゴルフを始めたのは32歳のとき。大学時代にテニスをしていたので、卒業してからもスポーツといえばテニス。でも、何かの機会に先輩にゴルフ場へ連れて行かれ、いきなり打っても先輩より私のほうがうまいくらいだった記憶があります(笑)。ゴルフのドライバーショットはテニスのフォアハンドの打ち方とまったく一緒です。ゴルフ場デビューは東邦大学医療センター大橋病院のコンペで53・53の106。「ゴルフって面白いな」と思い、一生懸命練習しました。ちなみに100をオーバーしたのは、これが最初で最後です。中野の医師会の先生たちが埼玉県の河川敷コースのメンバーだったので、私もそこに入り、最初にもらったハンディキャップが「7」。みんなから「いずれ必ずスランプがある」と言われましたが、今のところひどいスランプはありません。2016年12月1日にはJGA/USGAハンディキャップインデックス証明書は2.5となっていました。

ただ、ケガと病気でゴルフができなくなるかもしれない危機が3回ありました。

最初は61歳のとき。ゴルフ場へ向かう途中に交通事故を起こし、右股関節にチタンの人工骨頭を入れなければならなくなりました。


執刀した医師からは、杖なしで歩けるようになるだけでも十分だろうと言われましたが、私はゴルフを続けたかったですし、事故以前のスコアで回れるまで回復したいという強い思いがありました。そこで術後2日目にはリハビリを開始。当初は股関節を15度開くのがやっとでしたが、5カ月後にはカートに乗ってゴルフができるまでに。

その甲斐あって73歳で最初のエージシュートを達成したのですが、今度はゴルフ場で不整脈の発作に襲われるようになりました。朝の練習場でドライバーを一発打っただけで発作が起こり、救急車で大学病院に4~5回運び込まれました。この不整脈を治さないとゴルフはできないので、アブレーションという手術を受けようと思ったら、MRIで大動脈瘤が見つかり、アブレーションより先に大動脈瘤の手術を受けることに。その入院中に不整脈の原因が「睡眠時無呼吸症候群では?」となり、それを調べる器具をつけられました。すると無呼吸が一晩で124回も。すぐにCPAP(シーパップ)という機械で圧力を加えて睡眠中の無呼吸を防止する治療装置をつけたら、不整脈が劇的に治りました。

その後2~3年間、脊柱管狭窄症でゴルフができない時期がありましたが、心臓の不安がなくなり、エージシュートのペースは一気に加速。18回のエージシュートのうち10回以上は直近2~3年です。

ただ、今のところ70台で回れていますが、やがてそういうスコアは出せなくなるでしょう。そうなるとゴルフをやめてしまう人もいますが、私はそれをしたくないんです。スコアの浮き沈みはあるかもしれませんが、毎日ベストを尽くす。これが今後の私のゴルフに対する向き合い方になると思っています。緑豊かな大自然の中でプレーするゴルフは、生涯のスポーツと思うからです。

炭山嘉伸

すみやま・よしのぶ。1942年香川県小豆島生まれ。70年東邦大学医学部卒業。81年からアメリカ留学。87年東邦大学医学部教授。03年東邦大学医療センター大橋病院病院長。09年東邦大学理事長。公益財団法人日本感染症医薬品協会顧問、日本外科感染症学会名誉理事長、日本臨床外科学会名誉会長、日本消化器外科学会名誉会長、日本内視鏡外科学会名誉会長、一般社団法人日本私立医科大学協会副会長

週刊ゴルフダイジェスト2023年6月6日号より