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関東女子倶楽部対抗・埼玉予選で初優勝! 「チーム東松山」快挙の裏側に迫る

今春の1つの快挙の話をしよう。東松山CCが、関東女子倶楽部対抗埼玉会場予選で29倶楽部の頂点に立った話だ。有名なトップアマがいるわけでもないチームはなぜ強くなれたのか――。

PHOTO/Yasuo Masuda

毎年チームでデザインや色を決める。今年は紺地に白の英字が付いたウェアとエメラルドグリーンのバイザー。華やかだが品がある。「霞ヶ関で行われるので、白や紺が多いと思いこれに。霞ヶ関の方にも『ベストドレッサー賞ですよ』と言ってもらえました」(大野)

5月23日、東京オリンピック2020ゴルフ競技の舞台、霞ヶ関CC東コース、10番・パー3のティーイングエリアに東松山のキャプテン・大野とよ子と1番手・尾﨑靖子はいた。池とバンカー越えのホール。今日のピンポジとあらかじめ立てた戦略を確認した。

「彼女のプレースタイルなら普段はピンを狙いますが『絶対に狙わないで左から行こう』と。グリーンを外しても左からアプローチするほうがラク。チーム戦って戦略が変わるんです。グリーンが難しければ手前から、外してもいい場所を決めて寄せていくことです」

池やバンカーに入れると1打損をすると考える。“冒険しない”ことが大事なのだ。

「135ヤード。少し風があったので尾﨑は120ヤードのフルショットでいこうと考えたようですが、朝イチなので体が動かないからと言うと、130ヤードで左からのイメージでいくと、心を決めたみたいです」(大野)

トップスタート。1人目はグリーン手前バンカーに、2人目は池に入れた。尾﨑のボールはピン手前に落ちてバーディ発進。このショットはこの日の尾﨑を象徴していた。11番・パー4でもバーディ。快進撃の始まりだった。

大野自身は試合には出ていない。「年だし、自分が引くことでまとまると思った」と笑うが、当日は大忙しだ。4人の選手を練習場から見守り30分ごとにスタートホールで声をかけて送り出す。10番のあとは1番・パー4に移動。連ランなどで得た情報から、2番手の松田佳代と狙い所の確認をする。

「ミスしようが『OK!』と送り出すだけなんですけどね」

そうしているうちに、尾﨑が前半35で上がってきた。大野は尾﨑のスコアを聞いても「すごい!」とは言わなかったらしい。

「すぐに後半のスタートだから『何か食べる?』とは聞きますが、プレーに関しては話をしない。でもこの日、皆スコアがすごくよかった。普段の練習どおりにできてるなあと思いました」(大野)

今回は4名全員のスコアが採用される。誰一人として気が抜けないことになるが、けっして一喜一憂しないのも大野らしい。

結局尾﨑が37・35の72の自己および大会ベストを叩き出し、松田は41・41の82、3番手の野田真喜子は43・41の84。大野は最後に4番手の神馬りえを18番グリーン奥で見ていたという。

「18番でドライバーを打つかどうかで調子はわかる。だから悪くなさそうだなと。でもティーショットが打ってはいけない場所に行き、池に入れてトリプルでした」

それでも、神馬は41・43の84。

「ひょっとしたら上位にいけるかなと。優勝は意識していませんでした。流れ解散なので、バラバラに帰ったんです」(大野)

2位とは1打差。決勝常連チームの上に名前が載った。

このサプライズは、すぐに男女の強化選手やコース従業員にもLINEやメールで広がった。

「皆びっくりです。男子は7回決勝に行っていますが、予選トップ通過はなかった。男女通じて初めての快挙ですから」(東松山CC広報担当・鈴木輝)

真摯に取り組む者に神様はご褒美を与える

東松山CCに女子研修会が設立されたのは06年。倶楽部対抗出場のため、クラブから要請されてのこと。有志女性の会には今年で49年目、2月に500回を数えた「さつき会」もあるという。

以前キャプテンを務め、現理事の吉田栄子さんは、「私も参加した12年くらいから研修会のルールなどをしっかりと作り始めました。昔はチームも強かったらしいですが、だんだん低迷期に。大会が関東ゴルフ連盟の女子倶楽部対抗という名に変わっても、ここ10年、二十数チーム中20位前後が定位置。初めての1桁順位・8位が昨年の結果です」

埼玉予選は成績表が2枚に分けられる。16位までが1枚目に入るのだが、「いつも2枚目に載っていたので、強化選手のあいだでは、1枚目掲載を目指していたんです。研修会らしくなってきたのは14年くらい。雰囲気がどんどん変わってきた。自分が自分がという人は淘汰されてきます。研修会でスコアがよくても人間としての大事な部分がないと選手に選ばれない。皆さんがすごいのはそういう部分です。少しでも上手くなりたいから頑張る。50歳過ぎで入ってきても、飛距離も伸びていくんですよ」

快挙は、クラブ全体で作り上げてきた結果でもあるのだろう。

「倶楽部対抗というのは、まず他倶楽部との親睦が大事。今回の選手も、仕事や家庭があったり、ゴルフだけをしている人たちではない。皆さんがそれぞれ努力されて私たちにも夢のようなことが起きたという状況。私なんかは、プレッシャーがかかるなか、最終的には親睦だからいいのよ、と最後まで言い続けていたくらいです」

周りの言葉や行動が力となる。「皆、連ランよりいいスコアを出したからすごいです。なぜ勝てたかはわかりませんが(笑)」

教え合い、高め合い、励まし合い

勝因は何か? 皆が口をそろえるのは「チームワーク」。まとめ上げたのはキャプテンの大野だという。

「皆さんの調整役を買って出た。チーム戦だから、やっぱりプレッシャーがかかるんです。そういうのをやんわりと導くという」(総支配人・田村浩平)、「強化選手の皆さんがゴルフを通して仲良くなっている。大野キャプテンがカギを握っていて、選手を褒めたり『ダメよあなた』っていうのも上手。各選手に声をかけて、お母さん的な感じもあるんです」(長年倶楽部競技に帯同する久保田早絵)。

10年前からチームメンバーの大野。キャプテン歴は2年目、通算では4年になる。驚くべきはゴルフ歴。大学のバスケットボールで日本3位になったがきっぱり辞め、結婚後はクラブチームでバレーボールに勤しみ、55歳のとき指の関節を痛めゴルフを始めたという。

「もともとパワーがあるからそれなりにすぐスコアは出たんです。2年前にキャプテンになり選手としてはイマイチに。今の選手は上手だし、一緒に回って皆を見てアドバイスすれば、付いてきてくれるかなと。でも常にチームで話し合わないと1つになれません」

過去のチーム競技やキャプテンの経験は大きいという大野。

「大学時代、愛知でいつも2位でした。何とか優勝したいと水谷豊コーチがきて東海地域で優勝し日本で3位に。先生にリーダーというものを教えられた。キャプテンに大事なのは、皆と心を1つにすること。だから、いつも一緒に生活する。ゴルフでも練習は一緒にやるのって大事です。皆が何を考えているかわかりますしね」

とはいえ仕事や家庭で忙しい面々。試合の3カ月前から強化選手8人で練習を始め、集中的に取り組むのはゴールデンウィーク明けの3週間だという。

「ゴルフは個人スポーツですが、それぞれが勝手なことを言うとダメ。うちは仲良しで天狗になっている人もいない。以前はもめたりもした。固まってコソコソ話をしたりする人もいて。すごく嫌で、皆で話し合うように提言し、そこからよくなっていきました。気分が悪いままプレーしてると雑念が入って集中できないですから」

こうして育まれた集中力が、今回の優勝につながるプラスアルファの力になったという。

チームの理解で個々の力は伸ばせる

研修会では、聞いたり教えたり。これが技術も気持ちも高め合う。

「困ったり悩んだら話をします。男性メンバーも一緒に回って考え方を教えてもらったり。アプローチ練習もしました。芝の上に一列に並んで20、30、50Yと。だいたいメニューは私が提案して皆が賛同すれば行う。打ち方は、それぞれで違うから、お互いに聞いて、真似してダメだったら自分のやり方でやる。皆さん、個人的に習ってもいますからね」

連ランの組み合わせも、試合の出場順も大野が決める。性格、プレースタイル、その日の調子も理解しているからこそできる。

このチーム、学生ゴルフ経験者はいない。皆、ゴルフを始めたのも遅めだ。「いくつでも上手くなれます。私が55歳から始めたというと『頑張ります』と言いますよ」。

今回の優勝にパープレーで貢献した尾﨑さんの話を聞こう。

「私のこれまでのベストは78。じつは家族の事情で指定練習に参加できず、家で素振りやパター練習しかできなかった。逆にそれで体を休められて丁寧なゴルフを貫く覚悟ができたと思います。距離も短め(5394Y・パー72)で、ショットがよくてパーオンして気持ちよかったですよ。神がかっていました。4つのパー3のうち3つがバーディでしたから」

21年から倶楽部対抗に出ることになり意識が変わったという。 

「うちは強制されない。自分のペースでやっていいと。外の競技に出ることも理解してくれます。長い距離で若い子のなかでプレーすると、嫌なこともいいことも経験して少しずつ逞しくなるんです」

この成長をチームに還元していき、チームのパワーを糧にする。

「チーム競技は無責任ではできない。皆が頑張るから私も頑張る。皆が少しずつ上手くなってきているんです。今回は私のスコアができすぎでしたけど、他の皆さんもしっかりまとめてきたからこそ勝てた。一致団結できたんです」

さて、初の決勝はどうだったかといえば結果は30チーム中27位。

「でも、前半までは7位でしたよ。後半、尾﨑はスタートホールでチーピン。そこから怖くて打てなくなったと。神馬もOBが出たり。尾﨑とは、チーピンが出た後どう直していくかをこれから考えていこうと話しました。研修会で回っていても時々あるんです」(大野)

すでに次に向かっているのだ。

「でもね、『来年は……』と言ってたけど、そんなに気負わなくても。連覇は難しいだろうから上位に入って決勝に出るのを目標にしていこうねと言いました。他のチームは30、40代が中心。先日の理事会では、決勝で東松山に足りなかったものは若さと飛距離と体力でししたと報告しました(笑)。でもこのメンバーであと5年はいけると思う。まだ若いチームです」

倶楽部競技は「大人の部活」だという。年齢に関係なく、好きなものに向かう仲間がそこにいる。

「皆明るいですよ。でも私、来年はキャプテンをするかわからないです。皆さんに『そんな~』と言われますけど。でも来年が狭山GCで次が東京GC、高坂CCにいって東松山にくる。『そこまで大野さんやるでしょ』って。杖をついて来ることになりますよ」

大野のキャプテン魂は、大きくなって次の世代へも続いていく。(文中敬称略)

関東優勝の姉ヶ崎CC。通常は各倶楽部の幟やギャラリープラザでお祭り的なのだがコロナ禍でナシ。「すごい選手が多かった。一生懸命頑張りました」(一同)

週刊ゴルフダイジェスト2022年7月19日号より