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「カアちゃん、ようやく夢が叶ったね」40年前の今日、青木功が日本人初の米ツアー制覇【ゴルフが動いた日】

今から40年前の今日、日本ゴルフ界の金字塔となった大ニュースが飛び込んできた。青木功がハワイアンオープンで日本人初の米ツアー優勝を成し遂げたのだ。当時の週刊ゴルフダイジェストでは、この瞬間をどのように切り取っていたのか。伝説の1日を振り返ってみよう。

松山英樹がマスターズを含むPGAツアー8勝を挙げ、今後まだまだ勝ち星を重ねていくことが期待されるが、一昔前までは、日本人が米男子ツアーで優勝すること自体、とてつもない快挙だった。前人未到の通算113勝を誇るあのジャンボ尾崎でさえ、アメリカでは1勝もできなかったのだ。

日本男子の米ツアー優勝の先鞭をつけたのが、ジャンボとともに一時代を築いた青木功。今からちょうど40年前の1983年2月13日、ハワイのワイアラエCCで行われたハワイアンオープンで、あまりに劇的なウィニングショットを放っていた。

前の組をいくジャック・レナーが最終18番パー5でバーディを奪い、1打差で追う青木はバーディが必須という状況。しかし2打目を左のラフに曲げ、残りは125ヤード。キャディからは9番アイアンを勧められたが、フライヤーを気にした青木はPWを選択。そして振り抜いた当たりは、ピンの手前で1バウンドすると、なんとそのままカップイン。日本人初の米ツアー優勝という大快挙を、奇跡的なショットインイーグルで飾ってみせた。10度目の出場となったハワイアンオープン、不惑の40歳での悲願達成だった。

ミラクルショットで勝利を手繰り寄せ喜びを爆発させる青木。キャディのブライアンとがっちり握手を交わす

1983年2月16日に発売された週刊ゴルフダイジェストに、当時の興奮ぶりを伝える迫真のレポートが掲載されていたので、ここにその冒頭を再録する。

 *  *  *

青木は翔んだ。はねた。両手を高くかかげ走った。18番グリーンに向かって……。

1組前をいくJ・レナ―がイーグルチャンスを外し2パットでバーディを決め、青木の2打は大きく左にヒッカかりギャラリーの中に飛び込んでいった。レナーがイーグルを逃したことで“首の皮一枚つながった”青木にとって狙いはバーディチャンスにつけることしかなかった。

青木は追い込まれていた。

残り125ヤード、青木はピッチングウェッジを手にした。そして構えて打った。ボールは高く上がった。グリーンに1度大きく弾んだボールは……。まだ、そのボールが日本のプロゴルフ界にとって記念すべき、そして青木にとっても生涯の記念碑を築き上げるものになるとは、誰もが予想できなかっただろう。

その運命の1バウンド目、ボールはためらいもなくカップに吸い込まれていった。

18番グリーンを取り囲むギャラリーは一瞬息を呑み、次に大きなどよめきとなった。

その瞬間――。青木の勝利が決まった。米ツアーの歴史の中に初めて日本人の名を刻み、青木自身のゴルフの夢を叶えさせたのである。

 *  *  *

優勝直後、日本からの応援団や記者を招いて祝賀会が催された

40年前というと、メールはもちろん、ファックスも普及していない時代。トーナメントの速報記事は、現地の記者からの電話による口述筆記が一般的だった。

試合が終わったのは日本時間の14日月曜日の朝。当時水曜発売だった週刊ゴルフダイジェストの締切に間に合わせるため、特派記者の浜田富は、試合後に行われた祝賀パーティを中座し、誌面5ページに及ぶ原稿を書き上げると、それを電話口で読み上げ、新橋の編集部に託す。そうして文字が割り付けられ、翌日には本が刷り上がり、水曜朝に駅の売店に並ぶ。日本人初の快挙を事細かく伝える迫真のレポートは、こうしてゴルファーのもとに届けられたのだった。

「カアちゃん、ようやく夢が叶ったね」
2年前、ハワイの教会で誓った2人の夢とは?

>>1983年3月2日号(2月16日発売)を読む

浜田は電話での送稿を終えると、何の気なしに、同じホテルに泊まっていた青木の部屋を訪れた。ほかにも記者がいるだろうと思っていたら、そこにいたのは青木とチエ夫人の2人だけ。時はすでに深夜12時を回っていた。パーティを終えくつろぐレジェンドの部屋をふらっと訪れるほうも訪れるほうだが、それを快く受け入れる夫妻の器もまたすごい。「そういう時代だったんだよ」と浜田は笑うが、よほどの信頼関係がなければここまで入り込めまい。

この夜、そして翌日の夕暮れ時に、勝利の美酒とともに語られた裏話の数々が、翌週発売の週刊ゴルフダイジェストに掲載されていた。そちらも併せてご覧いただきたい。

「『アリガトウ』しか出てこなかった」
快挙の裏側を独占激白!

>>1983年3月9日号(2月23日発売)を読む