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黒人で初めてマスターズに出場したレジェンド リー・エルダーが逝去

米国ゴルフ界に黒人ゴルファーの道を拓いた先駆者の一人、リー・エルダーが逝去した。享年87歳。

エルダーは1934年、テキサス州ダラスで10人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。父は第二次世界大戦で戦死し、その3カ月後に母も他界。伯母のもとで育てられている。成人して陸軍に従軍したときにゴルフ好きの上官と出会い、キャディとして付き添ったのがゴルフ人生の始まりだった。

その後、腕を磨き25歳でプロ転向。しかしPGAツアーは61年まで白人しか出場資格がなく、UGA(黒人ツアー)でプレーした。173㎝と小柄ながら、同ツアーで圧倒的成績を残して、黒人参加も許されたPGAツアーに参戦。74年、同ツアーで初優勝(合計4勝、シニアツアーで8勝)。

そして、エルダーの人生のハイライト──。75年、マスターズ委員会から黒人へ初となる招待状が届いたのだ。これは画期的なことだった。

このときの時代状況を述べておこう。マスターズの舞台、オーガスタナショナルGCはジョージア州アトランタ近くにあって、南北戦争における南部の“本拠地”。オーガスタでのキャディ及び従業員はすべて黒人だった。64年、公民権法は成立していたが、人種差別はそう簡単に払拭されていない時代だった。ましてその頃、マスターズの招待レギュレーションは公開されておらず、すべてマスターズ委員会の独断だった。エルダーの場合、前年優勝が招待の決め手になったといわれているが、67年と69年にPGAツアーで勝利したエルダーの先輩格、チャーリー・シフォードには届いていない。

招待への伏線もある。PGAツアーは68年から始まり、初代コミッショナーはUSGAの“良心”と謳われたジョー・ダイ。ダイが世論とともに無言の圧力をかけたともいわれた。余談だが、オーガスタが黒人会員を受け入れたのは90年だった。

こうした経緯があり、招待されたエルダーは、その後5回出場し、マスターズでの最高成績は79年の17位。初出場が40歳だったことを思えば健闘したともいえる。全米オープンと全米プロでは11位が最上位だった。

97年、マスターズに初優勝したタイガー・ウッズは「私はパイオニアではない。リー・エルダーのおかげだ」と語った。

今年、マスターズの始球式にはゲーリー・プレーヤー、ジャック・ニクラスともに、酸素ボンベからのチューブを鼻に挿したエルダーがいた。

ニクラスは訃報に際し「彼を招待できたことは名誉なことだった。私にとって永遠の記憶に残るだろう」と偲んだ。
(特別編集委員・古川正則)

黒人ゴルファーの道を切り拓いたパイオニア

週刊ゴルフダイジェスト2021年12月28日号より