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「いまだ興奮冷めやらない」テレビでは語り尽くせない五輪ゴルフの魅力を佐藤信人がレポート

PHOTO/KJR

炎天下のなかアツい戦いが繰り広げられた東京五輪ゴルフ男子。テレビ解説者として現地を訪れていた佐藤信人プロに、大会を振り返ってもらった。

世界ランク下位の選手の活躍も
オリンピックのならでは

僕は今回、前週の日曜日にコース入りし、まるまる1週間を会場で過ごし帰宅しましたが、いまだ独特の興奮が冷めやらずにいます。じつは5年前のリオ五輪にも行きましたので初めての五輪体験ではなかったものの、日本での開催ということもあり前回とは注目度が違ったので緊張もしました。

会場の霞ヶ関カンツリー倶楽部は、距離はまあまあありますがフェアウェイは広めでOBも少なくトリッキーではない。夏場のベントグリーンはそれなりに止まる。それだけに、世界ランク上位の選手を中心に優勝争いが展開されるのではないかというのがボクの試合前の予想でした。

具体的にはアメリカの4人に加え、アイアンショットの精度の高いローリー・マキロイや松山(英樹)くんといった名前を挙げました。結果はザンダー・シャウフェレが優勝、松山くんとマキロイが優勝争いを演じ、コリン・モリカワも銅メダル争いのプレーオフにまで進出しました。ある程度のハイスコアも含め、その点は予想どおりの展開だったといえます。

しかし大きく予想に反したのが、それほどゴルフが盛んではない国や地域の、世界ランク下位の選手の活躍でした。銀メダルにはスロバキアのローリー・サバティーニ(大会前204位)、銅メダルには台湾のパン・チェンツェン(同208位)。さらにメダルこそ逃しましたが、コロンビアのセバスチャン・ムニョス(同82位)、チリのギジェルモ・ペレイラ(同118位)はプレーオフに進出、オーストリアのセップ・ストラカ(同161位)はプレーオフまで1打差に迫りました。

ゴルフは前回のリオ大会で、112年ぶりにオリンピック競技に復活しました。当初、その位置づけが曖昧で、出場に消極的な有名選手が多かったのも事実です。なかにはゴルフ競技不要論まで聞かれました。

しかし一方で、今回出場したトップ選手のなかにも五輪の重要性や意義を話す選手も多かった。ノルウェーのビクトール・ホブランは「メジャーとオリンピックはどちらも特別でどちらも大事。でも、どちらかを選べといわれたら断然、オリンピック」と答えました。ゴルフの盛んではないノルウェーでは、オリンピックに出場した選手、ましてメダリストとなれば誰もが知っている英雄だからです。
終始優勝争いをリードしたイギリスのポール・ケーシーは、オリンピックに出たくて仕方のない“大好き派”。前回のリオ大会で金メダルを獲得したジャスティン・ローズに刺激を受けたからだと言います。ケーシーは現在、44歳。イギリスで出場権を得るのは競争率も高いのですが、48歳で今も第一戦で活躍するリー・ウェストウッドを引き合いに「3年後はまだ47歳。パリにも出たい」と意気揚々です。

善きにつけ悪しきにつけ、あっさりした性格のマキロイですら、「ボクのなかにオリンピック精神が芽生えた。パリでメダルを取りたい気持ちがさらに強くなった」と答えています。出場したほとんどの選手に「もう一度出たい」と思わせるのも、オリンピックの持つ魔力のようです。

そして僕が予想できなかった“世界ランキング以上の選手の活躍”こそオリンピックならではのものです。それが、今も僕を包んでいる興奮の正体のようです。

不調と重圧のなかでも
オーラを感じた松山

試合を振り返ってみましょう。まずは松山くん。メダルには届きませんでしたが、最後の最後まで、優勝するのでは、というワクワク感を日本中に持たせてくれたのはさすがです。マスターズチャンピオンとしての凱旋帰国後初の試合、まして自国開催ということもあり、そのプレッシャーは想像を絶するものがありました。日曜日の練習ラウンドで少し声をかけましたが、気合いは十分で近くに寄るのも恐れ多いオーラすら感じました。

最終日だけを見れば、勝負どころのショートパットが入らなかったのがメダルに届かなかった理由でしょう。しかし大会全般を見ると、本来のショットのパフォーマンスが発揮できなかったな、というのがボクの印象です。

松山くんからはそうした言い訳じみた言葉は聞かれませんが、コロナの隔離もあり思うような準備ができず、とくに3日目、4日目になると猛暑で体力が奪われていくのが目に見えてわかりました。加えて、日の丸を背負う重圧です。そうしたなか、一時は首位のシャウフェレに1打差まで迫り、最後まで大会を盛り上げてくれました。

今回の松山の“この一打”には、最終日12番・パー4のセカンドショットを挙げる佐藤。「ピンを刺して1m以内につけ、ここから本来の松山くんに戻ってくるのでは、マスターズの再現か、金メダルがあるのでは……と思わせる、世界レベルのショットでした」(佐藤・以下同)

総合力が高く
愛すべき人柄のシャウフェレ

金メダルを獲得したシャウフェレですが、その勝因はと聞かれれば技術的には「総合点の高さ」でしょう。もちろん、金メダルへの道のりは決して平坦なものではなく、むしろかなりバタバタしていたという印象です。実際に3日目は8番までティーショットをフェアウェイキープできず、それでも“穴がない”選手らしく、ショットやアプローチ、パットでカバーしまくりました。最終日の14番・パー5はティーショットを大きく右に曲げて林の中に。ほぼ金メダルに手がかかった時点でのミスショットには、オリンピック特有の緊張の怖さを感じました。しかし一方で、アンプレヤブルで打てる場所まで戻せた幸運はあったにせよ、あのピンチをボギーで凌ぐ総合力の高さには舌を巻きました。それ以上に僕が驚かされるのは、彼のメンタリティというか愛すべき人間性です。

大会中、こんなことがありました。シャウフェレは会場近くの飯能市のホテルに泊まっていたのですが、初日を控えた水曜日の夜、落雷により4~5時間にわたって周辺約12万軒が停電になるという事態に見舞われました。僕も同じ飯能市に宿泊していたのですが、とにかく暑くて寝つかれない夜を過ごしたんです。

普通、こうした状況では愚痴や不平のひとつも出るもの。思うようなプレーのできない言い訳にする人もいます。ところが初日を迎えたシャウフェレは、「非常灯がついて、電球を外すか非常灯がついたまま寝るかとなった。僕のキャディは電気がついたまま寝たらしいけどね」と、笑い話に変えてコメントするのです。

最終日、優勝争いの緊張のなか、シャウフェレがティーショットに入った場面でどこからか人の声が聞こえてきました。カメラマンのイヤホンから漏れる、中継の指示でした。この時の「なんだ、その音か?」とカメラマンに向けた笑顔を見て、18年のカーヌスティで開催された全英オープンを思い出しました。フランチェスコ・モリナリが制したこの大会で、優勝争いを演じていたのがシャウフェレ。この時も子どもが騒ぐアクシデントがあったのですが、子どもに向かってニコッと笑って、自分のプレーに戻ったのでした。

父のステファンさんは、オリンピックを目指す陸上の十種競技の選手でした。ところが飲酒運転の車に追突され左目を失明、選手生命を絶たれます。息子をゴルフの道に導いたのはステファンさんです。その息子が前回大会から正式競技となったオリンピックに出場、しかも金メダルを取ったのです。もうひとつ言えば、もし2020年に開催されていたら、シャウフェレが出場争い激戦地域のアメリカで、オリンピックに出場できていたかどうかもわかりません。この奇跡とも呼ぶべきドラマは、シャウフェレの人柄やそれを育てたステファンさんへの神様の贈り物だと思ってしまうのです。

「スタッツを見ても、飛距離、ショットの精度、アプローチ、パターと“穴がない”のがシャウフェレの特徴です」

世界ランク204位と208位
妻とつかんだメダル

銀メダルのサバティーニは南アフリカの出身ですが、18年に再婚した妻のスロバキア国籍を取得し、同国から出場。妻の親戚にゴルフ協会関係者がいるそうですから、「ゴルフってなに?」というスロバキアでは、ゴルフのアンバサダー的な存在といっていいでしょう。45歳。PGAでは6勝していますが、最後の優勝は10年前のホンダクラシック。その選手が最終日に61を叩き出し、ほとんど誰も期待していないなかでの銀メダル。スロバキアに空前のゴルフブーム到来の予感がします。

「ゴルフを知らない奥さんがキャディを務め、他の選手の迷惑にならないかと心配そうなサバティーニの姿が印象的でした。奥さんとスロバキアの国旗の力が大きかったのかなと思います」

銅メダルのパン・チェンツェンは、世界アマチュアランク1位になったこともあり、アジア大会では個人、団体ともに金メダルも取りました。世界アマに15歳から出ていたりした国際舞台での経験が今回は生きたように感じました。台湾もここ数十年はトッププロを輩出できず、パンだけがゴルフ界を牽引している状況。再び台湾から名選手が生まれる日も近いことでしょう。

「ショットメーカーで今季は飛距離アップにも成功。パンも奥さんがキャディ。ティーショットを打つと、クラブを2~3本持って妻のバッグを軽くする姿が微笑ましく映りました」

オリンピックのおかげで
ゴルフの裾野が世界に広がっていく

“3位争い”で7人のプレーオフとなるのも五輪ならでは。国も世界ランクも様々な選手が1つのメダルを争った。トップ選手のなかにも五輪の重要性や意義を話す選手も多く、「オリンピックの影響力は大きい。ゴルフが世界中に広がっていくのは嬉しいです」

プレーオフ進出組では、全英オープンチャンピオンのコリン・モリカワの適応力に驚かされました。全英からの直接の来日で、まったく正反対の芝でのゴルフです。ロイヤルセントジョージズの芝はフェスキューでフェアウェイでも球が少し沈んで感じるうえに、地面が硬くバウンスが弾かれてしまうため普通に打つとフェースのやや下めに当たるケースが多い。しかし日本の高麗芝は真逆で球が浮くので、普通に打つとフェースの上めに当たるかもしれない。そのあたりを4日間かけてアジャストした感じです。2日目まではボロボロの状態でしたが尻上がりに慣れてきて、いつの間にやらプレーオフ、そして最後まで銅メダルを争う。ほぼ初体験だったリンクスでの全英制覇といい、今回の東京オリンピックといい、優れた適応力はゴルファーにとっての大きな武器といえるでしょう。

僕の元にも普段の試合の解説では考えられない数のメッセージが、SNSを中心に届きました。そんなところからもオリンピックの影響力の大きさを感じます。オリンピックのおかげでゴルフが着実に世界中に広がっていくことは確かなようです。その点はゴルフ関係者のひとりとして、大変嬉しく思います。同時にゴルフがこの先もオリンピック競技として存続することを心から願っています。

週刊ゴルフダイジェスト2021年8月24・31日合併号より

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