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【ノンフィクション】佐藤靖子、22年目の初優勝。「神様のご褒美」

PHOTO/Tadashi Anezaki

2021年3月下旬に開催された、今年のステップ・アップ・ツアー開幕戦「ラシンク・ニンジニア/RKBレディース」でプレーオフを制して佐藤靖子(42)が優勝。実にプロ入り22年目にして初の勝利だった。

18歳でテニスからゴルフへ転向

熱心なゴルフファンであれば、佐藤靖子の名を覚えているだろう。2000年代初頭からレギュラーツアーで活躍し、トップ10に何度も入っており、スタイルがいい美人ゴルファーとして男性ファンも多かった。

その佐藤がゴルフを始めたのは18歳というから驚きだ。小学校に上がるくらいからゴルフを始めるのが珍しくない昨今のジュニアゴルフ事情を考えると、異例の遅さということになる。

「高校を卒業して、このまま大学に行ってテニスを続けるか、それとも何か別のことをやるかと考えていたときに、父がゴルフをやってみたらどうかと勧めてきたんです」

軟式テニスの選手として活躍していた佐藤は、インターハイにも出場、神奈川県でも2位になった実力者だった。

「父に勧められてゴルフをやってみると、意外と最初から打てたんですね。もちろん真っすぐには飛びませんでしたけれど」

テニスの経験が役立ったのか、ゴルフでも最初からボールに当てることには苦労しなかったことで、佐藤はゴルフを選択し、高校卒業後に葛城ゴルフ倶楽部の研修生になる道を選んだ。そして、ここでも佐藤は非凡な才能を披露することになる。20歳のときに受けた99年のプロテストに、東尾理子らと一緒に一発合格するのだ。

「プロテストの最終ホールは
テニスのサーブのつもりで打ちました」

「まさか受かるとは思っていなくて、周りからもどうせ受かりっこないから気楽に行ってこいと言われていたんです。でもテニスをやっていたので、1球に懸ける集中力だけはありました。プロテストの最終ホールのティーショットも、テニスのサーブのつもりで狙いを定めて打ちました」

18歳でゴルフを始め、20歳でプロテストに合格。そして2003年には29試合に出場し、トップ10入り7回で賞金ランク23位、初シードを獲得した。以降、シードを落した年もあったがQTで上位に入って出場権を得て、2010年まではレギュラーツアーで戦い続けていた。

08年には結婚もした佐藤が“転機”を迎えたのは13年。開幕から数試合を終えたときに、体調の変化に気づいた。

「急に気分が悪くなり、あっもしかしてと思ったら妊娠していました。嬉しかった半面、実は戸惑いもありました。というのも、前年のQTで上位に入り、4年ぶりにレギュラーツアーの出場権を得ていたからです。応援してくれる人、サポートしてくれる人のことを考えると、私の個人的な事情でツアーをお休みしていいのかなと。QTで上位に入ってレギュラーツアーに戻れると決まったときも、みなさんから応援してきてよかったと本当に喜んでいただいたので、そのことを思うと申し訳ないという思いがあったんです」

もちろん女子ツアーには「産休制度」があるのだが、佐藤にこの制度は適用されなかった。

「ツアーの産休制度が適用されるのはシード選手だけなんです。QTで出場権を得た私は、制度の対象外でしたので、ツアーを休めばまたイチから出場権を取らなければならない。それと、父から女子プロは35歳までだぞ、とよく言われていたんです。そのとき私は34歳でしたので、年齢的にも最後の勝負の年と思っていたんですね」

その年、佐藤は6月のニチレイレディスまでは出場したものの、ツアーの後半戦を欠場した。

「6カ月目に入ってくると、さすがにお腹も目立ってきて、ウェアが入らなくなったんです(笑)」

10月に無事に長女ななみちゃんを出産した佐藤だが、ツアー復帰への挑戦を決断した。

「私を応援してくれる人やサポートしてくれる人がたくさんいたので、その方々のためにも頑張りたいと思いました」

それからはプロゴルファーと子育ての両立が始まる。結婚した夫は佐藤の実家の稼業を継いでいたので、一般のサラリーマンよりは時間の融通が利いたことも決断を後押しした。そうした周りのサポートに、佐藤は結果で応えた。

「出産の翌年、14年のQTをトップで通過したんです。これでまたレギュラーツアーで戦えることになりました」

2003年
初シード獲得

18歳でゴルフを始め、20歳でプロテストに一発合格。そして3年目のシーズンで初シードを獲得した

2013年
長女を出産

前年のQTで上位に入り、4年ぶりにレギュラーツアーの出場権を得て臨んだ2013年だったが、出産のため後半戦を欠場

2014年
出産後、最初のQTをトップ通過

出産翌年のQTファイナルの会場は慣れ親しんだ葛城ゴルフ倶楽部。“地の利”を生かし2位に4打差をつけトップ通過

「ずっとやってきたから……
“神様のご褒美”ですね」

プロゴルファーとしてツアーを転戦しながら育児と両立する生活が始まった。幼い子を家に残してのツアー生活は寂しくなかったのだろうか。

「それは寂しかったですよ! プレーを終えたら、いつも子どもに会いたくなります。試合が終わればすぐに子どもに会いに戻りますし、練習ラウンドも1日だけにしたり。ツアー経験が長くなると何度もラウンドしたコースもあるので、練習ラウンドをしないで試合に出たこともありましたね。自宅から近いときは、夫が子どもを連れて来てくれました」

プロゴルファーと母親の“二刀流”でツアーに出場し続ける佐藤だったが、19年からはステップ・アップ・ツアーが主戦場になった。佐藤はツアーのレベルが急速に上がっていることを実感している。

「レギュラーに出ている若い選手たちは、やっぱり飛距離が違いますよね。ここ数年でみんなの飛距離がすごく伸びました。平気で50ヤード置いていかれますから。18年のサイバーエージェントはマンデーを通過して本選に出場したのですが、そのときに通過したのは原英莉花ちゃんと河本結ちゃんと私の3人で、初日のペアリングはその3人だったんです。えー、私でいいの? って思ったりもしましたが、翌日は小祝さくらちゃんと一緒の組になって、さくらちゃんのお母さんがキャディをされていたので、年齢をお聞きしたら私のひとつ下でびっくり(笑)。考えてみれば黄金世代やプラチナ世代の子たちは、私がプロになった頃に生まれたんですよね」

昨年は新型コロナの感染拡大により、ステップ・アップも試合数が大幅に減ったことで、レギュラーツアーと同様に、20年と21年のシーズンが統合された。シーズン中に長いオフを迎えるという変則日程となったが、そのオフの間に佐藤は例年以上の手応えを感じていたという。

「昨年のオフはあまりモチベーションが上がらなかったのですが、今年のオフはなぜかすごくやる気が出て、いいトレーニングもできたので、自信を持ってシーズンを迎えられました」

その言葉どおり、ステップ・アップの今年初戦で、佐藤は念願の初優勝を飾った。プロ入り22年、実に431試合目の初優勝だった。

「まだ優勝したという実感はあまりないのですが、こうして取材を受ける機会があると、本当に優勝したんだと思いますね」

「娘が目を潤ませながら
ぎゅっと抱きしめてくれました」

初優勝を娘さんは喜んでくれたのだろうか。

「優勝した日はいろいろあって帰宅したのが夜の12時くらいになったので、娘はもう寝ていたのですが、翌朝起きたら娘がぎゅっと私を抱きしめてくれて……そしたら涙が止まらなくて、娘も目が潤んでいました。たくさんの人たちに支えてもらって続けてこられたので、優勝という形で恩返しができて本当によかったです。きっと神様のご褒美だと思います」

佐藤の優勝は、母親となっても夢を追い続ける様々な分野の女性たちに勇気を届けたに違いない。

「そうなればとても嬉しいことですね。出産をきっかけにツアーを諦める選手もいると思うので、母親になっても続けられるような環境作りを少しでも実現できたらいいなと思います。私と同じように若林舞衣子ちゃんも母親としてツアーで戦っていて、彼女が活躍することで私もとても勇気づけられています。でも私がゴルフを続けているのは私のわがままでもあるわけで、家族や周りの人の支えがあってできること。本当に感謝の気持ちで一杯です。そして改めて思うのは、こんなに歳の差があっても競い合えるゴルフって本当にいいスポーツだなって」

初優勝を飾ったばかりの佐藤に今後の目標を聞いてみた。

「娘が最近ゴルフをやるようになったんですが、高校生くらいになったら推薦などでツアーにも出られるチャンスがあるので、親子で出場できたら最高ですよね。それまで頑張るのが目標です」

佐藤靖子の“二刀流”の闘いはこれからも続く。

佐藤がサポートを受けている小山田ゴルフガーデンのスタッフと一緒に。佐藤の左が代表取締役の渋谷武己氏

週刊ゴルフダイジェスト2021年5月11・18日号より