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【イ・ボミのスマイル日和】Vol.6「私は間違いなく“母の作品”です」

2年連続賞金女王など輝かしい実績を残し、2023年に惜しまれつつも日本ツアーを引退したイ・ボミ。これまであまり語られてこなかった生い立ちや現役時代の秘話など、あらいざらい語り尽くす!

TEXT/Kim Myung Wook PHOTO/Takanori Miki

イ・ボミ 1988年生まれ。15、16年賞金女王。日本ツアー21勝のレジェンド

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母のためにも日本で成功したいと強く思った

日本ツアーに初めて参戦した2011年は、すべてが初めての経験で、韓国との違いを感じた1年でもありました。当時はまだ韓国企業とのスポンサー契約が続いていたので、韓国ツアーにも出なければならず、日本ツアーとの掛け持ちには期待と不安がありました。 

日本ツアーの雰囲気は、比較的歓迎されているように感じました。肩書きが「韓国の賞金女王」だったこともあり、どんなプレーをするのかと、選手やメディア、ファンは注目している雰囲気はあったと思います。 

私自身、日本ツアーでもやっていける自信がなかったわけでもなく、「私って練習しなくてもうまいかも」って心の中で思うことだってありました(笑)。でも、そんな少しの慢心が見え隠れしていたのを母(ファジャさん)は見逃さなかったんです。 

母は、私のことを本当によく知っているんです。母が私に「韓国ツアーにとどまらず、違うツアーに行くほうがいい」と常に言っていたのは、韓国に残ればそこで満足してしまって、これ以上伸びないと思っていたから。日本ツアーなら“ルーキー”の立場になるので、緊張感が生まれてまた一から努力して頑張ると思っていたのでしょう。まんまとその通りになりましたけど(笑)。今でも私が「トイレに行きたい」とか「お腹がすいている」とかは、見ればすぐにわかるそうです(笑)。 


サッカー韓国代表にソン・フンミンという有名な選手がいます。イングランドのプレミアリーグで得点王にもなった韓国のスター選手です。彼は子どもの頃からプロになるまで、厳格な父親にサッカーを教わって育ちました。ソン選手は「私のサッカーは完全に父の作品だ」と語っているのですが、その言葉は私にも当てはまると感じています。 

母から受けてきた愛もそうですが、何事に対しても真っすぐな姿勢でいることを学んだので、自分もそうありたいといつも思っています。周りからは「笑顔がいい」とよく言われますが、よく笑ったり、人にいたずらをしたり、冗談を言うのも好き。“イ・ボミ”を作ったのは間違いなくオンマ(韓国語で母)。いずれ自分に子どもができたときは、自分の母のように教えてあげたいと強く思っています。 

韓国のトップアスリートの成功の裏には、必ずと言っていいほど両親の愛情と情熱が注がれています。だからこそ、“両親の作品”という表現も決して大げさではないんです。もちろん選手の努力と才能も重要ですが、両親からDNAを譲り受けますし、やはり大小のサポートがあるかないかで、その世界で成功するかどうかが左右されるのではないかと感じます。 

母は日本ツアーでも毎週のように帯同してくれました。いつだったか、妹にこんなことを言われたことがありました。「お母さんがこんなにも気を使ってくれているんだから、絶対に成功しないといけないよ!」って。さすがにその言葉には傷付きました……。でも、私も置かれた立場をわかっていたからこそ、日本で成功してみせるという覚悟も生まれました。母としてもボミを全力でサポートしないと、日本で結果を残せないと判断し、覚悟を決めた部分もあったと思います。

だからといって、4姉妹の仲が悪くなったこともないんです。これも母の力なのかな。今も韓国でみんなが楽しく過ごしているし、それぞれを思う気持ちも生まれて、一緒に楽しくご飯を食べて過ごすだけでもすごく幸せな時間だなと感じます。

日本ツアーでの成功には母の存在も大きかったですが、コースでの練習も新鮮で、周囲の選手たちもみんな優しかった。とにかく環境に慣れるためにたくさん努力しました。韓国と違う日本のコースの日本選手の技術、初優勝の思い出など振り返ると懐かしい記憶がたくさんありますね。

月刊ゴルフダイジェスト2025年6月号より