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【ゴルフせんとや生まれけむ】池谷敏郎<前編>「朝4時から河川敷に行き、9時から仕事をする毎日でした」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 医師の池谷敏郎

これまでの人生を振り返るとゴルフとテニスにそれぞれ打ち込んでいた時期があります。いきなり分析を始めてしまい申し訳ありませんが(笑)、ゴルフに打ち込んでいた時期は大きく分けると3つになるんじゃないかと思います。

第1期はゴルフを始めた医大6年生の頃ですね。もともとテニスをやっていて、何か違うスポーツにも挑戦してみたいなと思っていたとき、ゴルフ好きの友人に誘われて赤羽などの河川敷に行くようになったんです。でも、当時はバブル。ゴルフ場はいつもいっぱいで簡単には予約できない状況でした。まして学生でしたから、プレーフィーの高いところには行けません。その点、河川敷は到着順ですからね。早朝4時に行ってやっていました。

スコアはハーフでしたが、60台で初心者としてはそんなに悪くない。僕をゴルフに誘った友人からは「素質がある」と褒められましたけど、後で聞いたら彼は誰にでもそう言っていたみたいです(笑)。医師国家試験が近づくとゴルフどころではありませんでしたので、終了後にはその反動で早朝ゴルフ三昧に。国家試験発表の日も「家で待っていても仕方がない」と早朝ゴルフに行っていました。ここまでがいわば“ゴルフ第1期”ですね。

多忙な大学病院での研修の後、埼玉県の戸田にある病院に派遣されることになりました。戸田という地名でピンとくる方も多いでしょう。そう、病院の近くには戸田パブリックなどの河川敷コースがあるんですよ。そこで、再び学生時代のように朝4時に行ってハーフだけやって9時から仕事をするという生活を送るようになりました。今考えると相当タフ。独身で、若かったからでしょうねえ。

当時はレッスンに飢えていて、きれいなスウィングの人たちはどうやったらあんなふうに打てるのか、絶対にどこかで誰かに習っているはずだと思いましたが、下々の僕らが習えるような場所は当時どこにもなかったんですよ。ほんとですよ! 練習場にはレッスンプロがいるにはいましたが、どうもその場しのぎのワンポイントなんです。「右に行っちゃう」と言うと「フェースを思いっきりかぶせて打って」とか、何なら「左向いて打って」とか(笑)。医者でいえば発熱の原因も調べずに解熱剤だけ処方して家に帰すような……。

それでゴルフはずっと自己流。派遣先の病院では年に何回かコンペがあって、それには必ず参加していましたが、スコアは110前後をウロウロ。みんなの前で空振りしたり、まあまあ悲惨なゴルフを展開(笑)。はい、ここまでが第2期。その後、大学病院に戻ってからは忙しくて全くできなくなりました。さらに、結婚して32歳で開業したこともあって、ゴルフからしばし離れ、再開したのは40歳になった頃でした。久しぶりにクラブを握って、しかも依然として自己流だったにもかかわらず、なぜか80台後半で回れるようになったんです。コンペで優勝したりも……。そこからまたゴルフが面白くなり、ここからは充実の第3期の始まりといったところでしょうかね。

池谷敏郎

1962年東京都生まれ(都立国立高校が1980年に甲子園出場を果たした際に3年生で在学)の医師。血管、心臓などの循環器系の専門家として著作も多く、テレビ、ラジオ、講演会などにも引っ張りだこ。ベストスコア80

>>後編へつづく

週刊ゴルフダイジェスト2022年11月22日号より