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【ゴルフせんとや生まれけむ】定詰雅彦<前編>「甲子園より緊張するゴルフの競技会」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、元プロ野球選手の定詰雅彦氏。

僕は昨年、ゴルフネットワークの「ゴルフ真剣勝負 the MATCH」特別版「プロ野球OBダブルス・セパ交流戦」に出演させていただきました。千葉ロッテマリーンズOBとして前田(幸長)とコンビを組み、東京ヤクルトスワローズOBの飯田(哲也)と宮本(慎也)のコンビと対戦しました。前田と飯田は普段からプライベートでよく回っています。初めて一緒に回るのは宮本だけだったので、そういう部分ではリラックスしていました。ただ、テレビカメラの前でゴルフをするのは初めての経験でしたから、心地よい緊張感がありました。


ロッテのOBとして番組に出演したのですが、実はロッテ時代はゴルフに全然興味がありませんでした。シーズンオフのコンペに年3回くらい参加するだけで、それ以外はまったくゴルフをやりませんでした。キャンプでアリゾナに行ったんですけど、休みの日はゴルフに行く組とショッピングモールに行く組があって、僕はショッピングモールに行っていました(笑)。ゴルフをけっこうやるようになったのは阪神に行ってからです。阪神はオフにテレビ局のコンペがありますし、他の選手が誘われたゴルフに一緒について行ったりして回数が増えました。

ただ、12月から打ち始めて「少し良くなってきたかな」というときにキャンプインですから、100はまだ切れませんでした。でも、阪神ではキャンプ中の休みの日にもゴルフに行くようになりました。当時は安芸(高知県)でキャンプをしていましたから、黒潮(Kochi黒潮カントリークラブ)や土佐カン(土佐カントリークラブ)を回っていました。

阪神の3年目に監督が吉田(義男)さんから野村(克也)さんに代わり、一軍と二軍を行ったり来たりするようになりました。すると当時二軍にいた八木(裕)さんと橋上(秀樹)さんがシーズン中の月曜日に移動がなければゴルフに誘ってくるんです。そのころから本格的にゴルフにハマり出して、ようやく100が切れるようになりました。

でも、そこからベストスコアの70が出るまでは長い道のりでした。僕は2000年に現役を引退してメガスポーツに入社し、スポーツオーソリティ日野根店(大阪府泉佐野市)に勤務しました。それまで現役選手としか回ったことがありませんでしたから、プロ野球界を離れて一緒に行く人がいなかったんです。それでもゴルフがしたいと思っていろいろ調べたら、誰でも出られる試合があることを知りました。そして当時のパブリック選手権(現全日本アマチュアゴルファーズ選手権)の地区予選に出るようになりました。最初に地区予選に出たときは1番ホールのティーショットで手が震えたのを今でも覚えています。甲子園球場で5万人の前で野球をするよりも、ゴルフで競技委員の人が後ろに3人くらいいて、同組の人が3人いて、次の組の人が4人いるほうが緊張します。

その地区予選を初めて通過したのが確か10年くらい前で、5年前と2~3年前の地区予選で70が2回出ました。

定詰雅彦

じょうづめまさひこ。1966年、広島県生まれ。90年ドラフト2位でロッテに入団。91年開幕戦で公式戦初出場。94年に正捕手に定着。97年にトレードで阪神に移籍。00年現役引退後はメガスポーツに入社。現在はスポーツオーソリティ幕張新都心店に勤務。

週刊ゴルフダイジェスト2022年5月24日号より