知られざる陳清波<エピソード5>三浦雄一郎、元旭天鵬…各界のレジェンドを魅了した陳さん流レッスン

ゴルフ界のレジェンド、陳清波が1月14日に93歳でこの世を去った。「チョイス」誌の連載で長年、陳さんを取材してきた記者が、その知られざる功績と人となりを述懐する。
文・谷田宣良

この機会に陳さんとの個人的な思い出を2つさせていただきたい。
1970年代半ばの頃、陳さんの模範ショットを披露しながらのレッスン会を取材に都内の練習場(芝ゴルフ場)に行った。それがまだ新人記者だった筆者の陳さんとの初めての出会いだった。スウィングの優美さにまず感動。軽々と繰り出される美しい球筋のボールに感動。これはもう芸術品だと思った。
陳さんは沢山の観客に、楽しそうに解説しながら打つ。今でもよく覚えているのは「陳を殺すに刃物はいらない。カップを右端に切ればいい、という歌ができたらしい。持ち球、ドローだからね。でもほら、スライスもちゃんと打てるから平気です」
そう言うと高いスライス、低いスライスと自在に打ち分け、その逆のフックも打ち分ける大サービス。実に見事なショーだった。
『チョイス』誌の取材の後の雑談で、この話をしたことがある。陳さん、大喜び。あれはなんと実話で、本当に“陳殺しグリーン”に仕立てた競技があったのだそうだ!
「スライスで攻めても良かったけれど、あの頃は右端に切られても、ドローで狙える自信があったから、あえてドローで攻めていった。優勝は逃したけど、全然苦にしなかったよ」
音が消えた…
「これがダウンブローね」
次はもっと後だが、まだ昭和の時代で、舞台は陳さんの本拠地、河口湖CCの芝から打てる練習場。当初の目的の取材があらかた終わった後だったと思うが、突然、陳さんが「今からアイアン、順番に打っていくから(インパクトの)音を聞き比べて」と言って、3番アイアンから打ち始めた。
ソールが芝を削る音と共に「カシーン」というフェースとボールが衝突した金属音が響いた。その音が、4番、5番……になってきて「あ、(ボールの音が)消えた……」と思わず独り言。陳さんが頷く。6番、7番になると完全にクラブヘッドが「シュパッ」と芝を削っていく音だけになった。その音が8番、9番と歯切れのいい短い音になっていき、ウェッジになった時はソールが芝に当たった時の「タンッ」という本当に軽い音だけになる。その軽い音がした後でボールが舞い上がる。ただただ驚く私に陳さん、一言。「これがダウンブローね」。
ゴルフ記者なら、これ以上の説明、無用だね、という不愛想な表情の陳さん、かっこよかった。後年の丁寧に優しくダウンブローのインパクトを説明してくれるようになった陳さんのほうが好きだが……。
フェースを“回す”打ち方で
本物のインパクトを体感
それはともかく陳さんが84歳の時から『チョイス』誌連載企画の担当となって10年弱、各界の著名人のゲストの方々へのレッスンを目の前にしてきたが、陳さんのレッスンはずっと工夫を重ね続けていて、その間だけで教え方もかなり変わっていった。その「最新バージョン」(ラストバージョンという表現は使いたくない)は、実にユニークで効果抜群なので、この機会にぜひ紹介したい。
方法は実に簡単。5~7番くらいのクラブをスクエアグリップで持ち、ワッグルの延長のような小さなストロークで転がしのアプローチ。これだけだ。
ただし打ち方は、パターのようにフェースをまっすぐ引いてまっすぐ出す普通の(?)のストレートボールの打ち方と、開きながら上げたフェースを回すように閉じながらボールをつかまえて、ボールにフック回転を与えていく打ち方の2種類である。
フェースを「回す」打ち方のポイントは、フェースがボールに触れた時はオープンフェース、ボールがくっついている間にスクエアにフェースが戻り、フェースから離れるときはクローズになるようにフェースターンしていくこと。要するにダウンブローのインパクトであり、ドローボールのインパクトだ。小さな転がしのアプローチで、このインパクトの感覚をまずつかんでしまおうというのである。
これがプロスキーヤーの三浦雄一郎さんや相撲の友綱親方(元旭天鵬、現大島親方)などには大好評。口を揃えたのは「思ったより簡単に打てた。フェースを回すほうがつかまった強い球になる感じだし、転がりの球足も長くなるし、安定する」だった。
大事なのは、インパクトで「触れて・くっついて・離れる」フェースとボールの関係を感覚でつかむこと。ドライバーを振り回していたら一生(?)感じられないインパクトだが、小さなアプローチなら誰でもすぐ感じられる。
サンドウエッジのアプローチは封印して、練習も本番もロフトの少ないクラブのランニングアプローチで徹底的に臨もう。ファーストバウンドはグリーンに落とすことを基本にして、まずはパターのような転がりの球筋を考える。落とし場所からカップまで距離があって、もっと強くて長い球足で寄せていきたいと思ったら、フェースを回してフック回転をかけていく。
そんな2種類の転がしの打ち分けができるようになるほど、アプローチが寄ってくる。「お先に失礼」が増えてくるはずだ。そうなったら、まだまだ先に行ける。ボールの位置を右に持っていき、フェースをかぶせて構えれば低い球、逆に左に出していけば高い球……と球筋のバリエーションを増やしていくことも「転がし」ならば簡単にできるのだ。
球をコントロールするのは
クラブ、体……最後は気持ち!
「ゴルフはスコアを競うゲームで、そのスコアの半分以上はパットやアプローチなのだから、ショートゲームから始めて、ボールを思い通りに操って、思い通りの場所に運ぶ技術を学ぶのは当然のこと」と、陳さんは言う。
そのためのより高度な練習法も陳さんは教えてくれた。
課題は「1メートル先のポイントに確実にボールを落とす」。クラブはピッチングウェッジ。こちらは試してみればすぐわかるが、難度はかなり高い。陳さんはあっさりお手本ショットを見せてくれるのだが、かなりの上級者でも、最初は1メートルよりかなり先までボールが飛んでしまい、1メートルの位置まで収まってこない。自分が思うよりもクラブや体の動きが大きく速くなって、制御できないからだ。ダイエットと同じで、「贅肉」を落として、小さくしっかり打つ鍛錬が必要なのである。

「1メートルのキャリーが出せるようになったら、転がしのときのように2種類の打ち方に挑戦。フェースを返さないと柔らかく上がる球、返せば低く出てランの出る球、この使い分けができたら、次は落とし場所を1.5メートル先にする……」
一番大切な「ボールコントロール」について最後に陳さんはこう説明してくれた。
「ボールをコントロールしたかったら、フェースの使い方、クラブの振り方をコントロール。クラブをコントロールしたかったら体の動きをコントロール。で、その体の動きをコントロールするのは自分の気持ち。まずは自分の気持ち、自分の意志を強く持ってください」
陳清波(1931-2025)
ちん・せいは。台湾・淡水生まれ。台湾GC(通称“淡水”)でゴルフを始め、川奈で修業を積む。のちに東京GCの所属となり、1959年日本オープンで初優勝。ツアー通算24勝。マスターズは63年から6年連続出場
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