【名手の名言】中部銀次郎「ゴルファーの心構え? 洗面台の水しぶきを拭き取ることです」
レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は「プロより強いアマ」と称された伝説のゴルファー・中部銀次郎の言葉を2つご紹介!
ゴルファーの心構え?
洗面台の水しぶきを拭き取ることです
中部銀次郎
2008年、石川遼がプロ転向した直後の新聞のコラムにも、同じ類の話が載っていた。
ツアー初戦の東建ホームメイトカップ最終日、朝のトイレで、当時旋風を巻き起こしていた石川遼が、洗面台使用後、水しぶきを拭き取っていたとの記者のレポートである。弱冠16歳でありながら、躾もきちんとして育てられているという賞賛の記事であった。
表題の言葉は、中部が皆の前で、高みから言ったわけではない。中部に師事していた内藤正幸が1981年、日本アマに勝った後、「日本アマチャンピオンとして、プライドを持って、ちゃんとしろよ」と諭された。その中に、例えば――という話で出たという。
中部は酒場に行った折でも、トイレが汚かったら、黙ってその掃除をして出たという。自分の粗相は始末しても、人のまでやってあげる人は初めてだと、酒場の主人は言っていた。そのことを中部に伝えると、照れ隠しに「自分がやったと思われるのがイヤだからやったまで」と。
「行儀良さはゴルフの上達にもハネ返ってくる」とも、中部はよく言っていたものだ。常に背筋を伸ばしていれば、自然にすくっと正しいアドレスもつくりやすいし、洗面台を拭くことで、そこが綺麗になれば自分の気持ちが穏やかになる。そうやって1番ティーに上れば、心も静かになりやすいではないか。だから自分のためにやっているのだと。
優勝おめでとう
だけど最後のパット
なぜ入れなかったの?
中部銀次郎
中部が誰に言ったのかというと、青木功にである。
青木が、ある試合の最終日18番ホールで、1メートルほどのパットを外した。しかし、青木の優勝は動かない。その晩、青木は中部より電話をもらった。それが表題の言葉である。最後の言葉に青木は「勝ったからいいじゃない」と返したという。
そのとき、中部は次のように言ったそうだ。
「同じ勝利でも最後の最後まで手を抜いてはいけないんだ。負けた相手にこの人はすごいと思わせるのが本当に強い者の勝ち方なんじゃないの。次またその人と対戦したときの印象が全く違ってくるよ」
青木と中部は何かと気が合った。青木が修行中の我孫子GCに中部が訪れて以来、ウマが合う何かを感じ合っていたのだという。片や無頼派的プロ、片やアマ界の貴公子、生まれも育ちも環境が全く違う2人。おもしろいものだと思う。
青木は試合に対しては優勝じゃなければ、2位もビリも同じだという勝負観を持っていた。それが土壇場まで決してあきらめないゴルフを展開するようになって、大輪の花を咲かせた。
中部のこの助言は、心の中にまで沁みたと青木自身が話していた。
■中部銀次郎(1942~2001年)
なかべ・ぎんじろう。山口県下関市に大洋漁業を営む一族の御曹司として生まれる。虚弱な体質のため、幼少より父の手ほどきでゴルフを始める。長ずるにしたがって、腕をあげ天才の出現と騒がれた。甲南大卒。60年、18歳で日本アマに出場。62年、20歳で日本アマ初優勝。以後64、66、67、74、78年と17年にわたり、通算6勝の金字塔をうちたてた。67年には西日本オープンでプロを退けて優勝。プロより強いアマといわれた。しかし、プロ入りはせず、生涯アマチュアイズムを貫いた。01年、永眠。
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