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【名手の名言】中部銀次郎「ショートホールでカップは狙わない」

レジェンドと呼ばれるゴルフの名手たちは、その言葉にも重みがある。ゴルフに限らず、仕事や人生におけるヒントが詰まった「名手の名言」。今回は、「プロより強いアマ」と称された伝説のゴルファー・中部銀次郎の言葉をご紹介!

「ショートホールでカップは狙わない」

中部銀次郎といえば日本アマ6勝、プロトーナメントにも勝ち「プロより強いアマ」と称された人物。生涯アマチュアを貫き通し、とうとうプロに転向することはなかった。

中部は寡黙の人であった。プライベートで仲間たちと回っていても、自分からレッスンなどはしなかった。訊かれてはじめて、短いながら適切なアドバイスをおくるというのが常であった。

だから、公式の場などでは自分のことや、名言といわれるような言辞を呈したことはないはずだ。

しかし、酒がはいると、中部のゴルフ談義はとどまることはなかった。だから残っている言辞は、酒席でのものと思って間違いない。

だが、この冒頭の言葉は例外で、世界アマ監督として、合宿していたときに発したものだという。

中部は日本アマ6勝という戦績を残しながら、ホールインワンは一度としてない。なぜか。答えは「ピンを狙わないから」である。

ピンを狙わないなんて、誰もが疑問に思うに違いない。

中部は必ず次打のことを考えてショットをする。だから、パー3では、パットのしやすい簡単なラインのサイドに打つのである。

上りのまっすぐなラインが残るサイドがピンから離れた場所でも構わず、そこへ打つ。ピンに近いかどうかを競うのではなく、次のパットをいかにカップインさせるかが肝心なことを熟知しているからである。

まして、その頃のグリーンは受けていることが多かったので、ピンをオーバーなど決してしない。それが中部のゴルフだった。

ホールインワンの機会は減るわけである。

■中部銀次郎(1942~2001年)

なかべ・ぎんじろう。山口県下関市に大洋漁業を営む一族の御曹司として生まれる。虚弱な体質のため、幼少より父の手ほどきでゴルフを始める。長ずるにしたがって、腕をあげ天才の出現と騒がれた。甲南大卒。60年、18歳で日本アマに出場。62年、20歳で日本アマ初優勝。以後64、66、67、74、78年と17年にわたり、通算6勝の金字塔をうちたてた。67年には西日本オープンでプロを退けて優勝。プロより強いアマといわれた。しかし、プロ入りはせず、生涯アマチュアイズムを貫いた。01年、永眠。

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  • 今年も12月14日がやってきた。知る人ぞ知る中部銀次郎の命日である。その命日には、彼が会員であった東京GCで中部を偲ぶコンペが「シルバークラブ」(後述)の仕切りで、克子夫人、子息の隆も交えて行われる。その偲ぶ会も今年で20回目。つまり、中部が没して20年経ったわけで、中部の生前を知る人はめっきり少なくなった。そこで、中部銀次郎とはどんな存在だったのか、改めて記しておきたい。 文/古川正則(……