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【ゴルフ野性塾】Vol.1822「浮気は楽しさを生み、悔いを伴う」

KEYWORD 坂田信弘

古閑美保、上田桃子など数多くの名選手を輩出してきた坂田塾・塾長の坂田信弘が、読者の悩みに独自の視点から答える。

前回のお話はこちら

私の住む福岡市
けやき通りの

対面の歩道端に一本の若桜が花を咲かせている。
けやき通りに住んで25年になるが周りの桜より早咲きの桜だった。
25年、周りの桜に遅れた事は一度もなかった。
横の広がり推定15メートル、縦の伸び15メートルと若木特有のバランスの良さだ。
25年前は小さな樹だった。
今は若さ誇る樹になっている。
街の風が吹く。
しかし、花を落しはしない。一輪の花もだ。
花の根元、強い桜だ。

15階マンションの玄関先に座り、桜を眺めた。
15分は眺め続けていたと思う。
一週間前の事である。
今日4月2日、桜の花は散った。
桜の散り様、見る事は出来なかった。
激しく散ったか、穏やかに散ったか、知りたいとは思ったが、25年間、桜の散り様に出会う事は一度もなかった。

40歳は傲慢。快楽に溺れる時期だ。


野性塾大濠公園18人衆の質問を片付けたのは寒い日だった。
2月の下旬だったと記憶する。
30歳からの10年、40歳からの10年の私の行動を知りたいと言って来た。

「一生懸命さが足りていなかったのかも知れぬ」
忙しかった様な気もする。
執筆業、増えて行った時期であり、何も彼も面白かった時期でもあったと思う。
楽しければ一日過ぎるは早い。
周りへの迷惑もあったと思うが、執筆業の失敗はなかったと記憶する。
成功半分、失敗半分を望むは贅沢だ。

ツアー生活、一週間単位の生活だが私のプロゴルファー生活は19の失敗と1つの成功だった。
6勝し、コースレコード2つ作ったが、トロフィー貰えた試合は1試合のみ。
残り5試合は賞金だけだった。
どこから眺めても三流半のプロだ。
同業者、優勝祝いの花くれたのは髙橋勝成、電話での祝いの言葉掛けて来たのは多くいたが、直接の言葉くれたのは尾崎将司さん一人だった。
そりゃそうだ。勝利したのは1月中旬のアフリカナイジェリア、イバダンオープン。
日本に帰っても皆、トレーニングの最中。会う事はなかった。

尾崎さんとは習志野の自宅にお邪魔した時だった。
「アフリカのナイジェリアで行われた試合です」
「どこに行ったって勝つのは大変だ。勝つ場所、賞金の大きさは関係ない。勝った事が一番大切なのだ。おめでとう」
あの言葉は今もはっきりと記憶する。
幾つも勝って来た人の言葉だ。
嬉しかったよ。

「尾崎プロっていい人ですネ。今迄のイメージとは違いました」

「ジャンボ尾崎と言っても顔も知らなきゃ名を聞いた事もない。勿論、実績なんて興味なしの人は多い。オリンピック金メダルの人に聞いた話だ。勝って騒がれるのは1年。スレ違って振り向いてくれるのも1年。そこから先は忘れられていくだけ。期待すれば疲れる。大切なのは今の生き様だけ。そう思った時、自尊心とか誇りとか、自己評価なんてゆう生きる時に無用のものはなくなったネ」

確かにその通りだと思った。
今だ。今を生きるのが一番大切な生き様だと思う。
体・技・心の基本だが、体の基本は真っ直ぐに立つ姿勢、技の基本はクラブヘッドの芯で球を押せる技術、心の基本は無心でバックスウィング始動に入る事と思う。
難しくはない。
簡単でもない。
難しいと思えば難しいし、簡単と思えば簡単だ。

40歳の記憶、簡単と思って過していた想いは持つ。
何事も人それぞれだ。
人それぞれのレベル、人それぞれの生き様はあろうが、人、一生に数回の傲慢な時期は持つと思う。

「私の40歳、傲慢であったな」
「上手く行っても行かなくても傲慢だったのですか?」
「傲慢だった。そして、それに気付かずに過して来た。アンタ方に勧めはしない。そんな生き様、辞めておけとも言わない。人それぞれでいいんだよ。無理する時もあろう。でもそれでいいんだ」

「今日の坂田プロ、口が重いと思われませんか?」
「よく分ったな。重い。具体的な記憶が出て来んのだ。いつもなら自分の行動、人様の行動、出て来るが何も出て来ん。こんな経験、初めてだ」
「40歳。難しい年齢なのでしょうか?」
「私には難しい年齢だった様な気がする。暫く考えさせてくれ」

記憶にヒッカかるものがあった。
そう、そうだったのか、と瞬時で分った。

「恋愛だ。浮気だ。裏切りだ。それで記憶が遠のいたのだ。一つや二つの裏切りではない。幾つもの裏切りだ。繋がるものだな、記憶の連鎖って。浮気は楽しさ、悔恨を生み、悔いを伴う。そして悔い多く生じるのが浮気だ。40歳過ぎの時期は快楽の時期だった。アンタ方もこれから経験するか、経験済みと思うが、経験した者いるかな? 手を挙げてくれ」

18人は下を向いていた。
私は待った。
18人全員が経験済みとは考えなかったが。半分の9人はいると思った。
一人が顔を上げた。
緊張の表情だった。
手を真っ直ぐに上げた。
私は待った。
隠されても仕方ないと思った。
二人同時に顔を上げた。
そして真っ直ぐに上げた。
結果を申せば18人衆全員、手を上げていた。
そうか、皆、経験したのかと呟いた。

「でもな、私は嬉しい。18人全員、隠さなかった。私は2人に1人は隠すと思った。野性塾大濠公園18人衆への信頼、私は軽く思っていた。もう、これ以上は聞かぬ。アンタ方は立派だ。社長もいれば勤め人もいるのに、アンタ方は実直に答えてくれた。40歳の記憶は遠かったが、その遠さが私の大きな喜びを与えてくれた。信じよ。私は野性塾大濠公園18人衆を信じて生きて行く。そして、私を許してくれ。私には18人衆を信じ切る気持ちがなかった」

「そんな。私は坂田プロを信じればこその今なのです。坂田プロは信じる大切さを教えてくれました。有難い教えでした。これからも信じて行きます」

眼の中が熱くなった。
街の風に吹かれても一片の花びら落とさぬ桜がある。
次は50歳の一番大切なものだ。
以下、次週稿―――。

坂田信弘

昭和22年熊本生まれ。京大中退。50年プロ合格

週刊ゴルフダイジェスト2024年4月23日号より

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