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【ゴルフせんとや生まれけむ】緒方耕一<前編>「最初はゴルフがイヤで、誘いを断る口実ばかり考えていました(笑)」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 元プロ野球選手の緒方耕一氏。

ゴルフを始めたきっかけは、他のプロ野球選手と同様、シーズンオフの納会ゴルフに参加するためです。プロ入り1年目のオフですから、87年の11月が初ラウンドでした。ゴルフのことなんてまったく知らなかったので、副寮長さんか誰かにお願いして、お金だけ出してクラブをフルセット揃えてもらいました。当時はまだパーシモンを使用している方もいましたが、メタルのドライバーでダンロップのクラブだったことは覚えています。そのクラブを持って練習場に1~2回行ったと思います。でも、最初はチョロばっかり。当たっても右にしか飛びませんでした。どの番手で打っても飛距離は一緒でしたね。

そんな状態で迎えた初ラウンド。スタート前に「最初だから下手なのは仕方ない。でも、マナーを守って、走るところは走って、スコアもちゃんと数えて自己申告するんだよ」と言われたのは覚えています。スコアは170台で「楽しい」という気持ちはゼロ。ただただシンドイだけでした(笑)。ですから1年目も2年目も納会ゴルフと選手会ゴルフしか参加しませんでした。

ところが3年目に一軍に上がるとゴルフの誘いが一気に増えました。どうやって断ろうか考えたところ、サイン会とかトークショーが入るとゴルフに行かなくてもいいことに気付きました。だからサイン会とトークショーの仕事を積極的に引き受けていました(笑)。それくらいゴルフがイヤだったんです。

ゴルフを本格的に始めたのは、現役を引退して解説者になった30歳過ぎです。球数をたくさん打たなきゃうまくならないと思い、最初のころは練習場に行くたびに何百球も打っていました。そして練習場でうまくいかなかったことを覚えておいて、後日、ゴルフの上手な先輩たちに相談するというスタイルでゴルフを学んでいきました。すると1年かからずに100が切れるようになり、90切りと80切りもトントン拍子で、1~2年で到達しました。

でも、そこから常に70台のスコアで回れるようになったかというとそんなことはなく、70台はたまにしか出ません。ジャイアンツの先輩には原(辰徳)さんや篠塚(和典)さんのように70台で回るのが大前提の人たちがいますが、あのレベルは別格です。篠塚さんがフジ天城ゴルフ倶楽部(静岡県)の理事長をされているので、自分もメンバーになっています。僕の背番号と同じ44番カートを現役時代のユニフォームのようにデコレーションしてくれているのがうれしいですね。

僕のゴルフは80台前半を目指し、調子がよければ80を切る、調子が悪ければ80台後半になってしまう感じです。90は打ちたくないと思いながらプレーしています。ベストスコアは74です。このスコアに不思議と縁があり、今までに4~5回出しています。僕はコーチ時代の背番号が73でしたから、73よりもいいスコアで回りたいと思ってプレーするのですが、なぜかいつも74止まりなんです。今のゴルフの目標は、まずベストスコアを更新し、それを達成したら次はアンダーを出したいですね。

>>後編につづく

緒方耕一

おがた・こういち。1968年熊本県生まれ。86年ドラフト6位で巨人に入団。俊足を生かしてスイッチヒッターに転向し、90年と93年に盗塁王のタイトルを獲得。ケガの影響もあり98年に30歳で現役を引退。巨人、日本ハム、ヤクルトのコーチを、09年、13年のWBCではコーチを歴任

週刊ゴルフダイジェスト2023年9月12日号より