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【ゴルフせんとや生まれけむ】広橋公寿<後編>「孫は日本一飛ぶ小学5年生? じぃじもまだまだ負けていられません」

ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、前回に引き続き、元プロ野球選手の広橋公寿氏

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長女が岩隈久志君と結婚したので、彼が現役を引退してから一緒にゴルフに行く機会が増えました。現役時代は僕のことを“ゴルフの達人”と呼んでくれていたのですが、最近は僕が下手になり、久志君が腕前をグングン上げています。今年に入ってから5回連続で負けてしまいました。

僕は50代のときに右肩の手術を受けています。というのも、プロ野球のコーチ時代、コントロールがよかったのでバッティングピッチャーを毎日2~3時間やっていたんですが、投げすぎで肩がおかしくなったんです。それで手術をしたら右わきを締めることができなくなり、ゴルフが下手になったのです。手術前はコーチ時代の背番号85よりも多いスコアになることは一切なく、ほとんどのラウンドが70台だったのですが、最近は80台後半をたまに打つようになりました。

僕のゴルフの腕前に驚いてくれた身内がもう一人います。それは仙台に住んでいる小学5年生の孫です。


孫が幼稚園のときに僕が楽天イーグルスアカデミーベースボールスクールのコーチになったので、「じぃじが教えてあげるから行こう」と最初は野球を始めたんです。孫の父親は僕の長男で、息子も独立リーグまで野球をしていました。ですから孫も野球に向いていると思ったのですが、残念ながら野球センスは孫には受け継がれていないようで……。その後、僕がアカデミーを辞めるタイミングで、孫も野球をやめ「じゃあ、ゴルフをやらせてみよう」ということになったんです。すると、ゴルフのセンスはあるみたいで。息子は野球を引退してからゴルフにのめり込み、アマチュア競技にも熱心に参加しているのですが、孫も息子以上にゴルフに夢中で、昨年は8・9歳男子の部のランキングで全国4位になりました。

孫が試合に出始めたころに仙台で初めて一緒にラウンドしました。その時は、やっとのことで彼に勝ったのですが、彼は僕のゴルフを見て「じぃじ、やるな」とビックリしていたらしいです(笑)。だけど、次に回ったときは負けてしまいました。今は体も大きくなり、同じティーで回って僕と同じくらい飛ばします。日本で一番飛ぶ小学5年生じゃないかな。“東北のデブシャンボー”というニックネームで頑張っていますよ。本人はプロゴルファーになりたいと言っていますから、じぃじも応援したいですよね。

ですから最近は久志君と息子がバックティーで回り、僕と孫がレギュラーティーで回る機会も増えています。ゴルフって年齢や性別に関係ないのが魅力ですよね。66歳と小学生が一緒にプレーできるスポーツなんてほかになかなかないでしょう。とはいえ勝負でもあります。僕も孫に負け続けるつもりはありませんよ(笑)。30代のときに2回出したベストスコア67を更新するのは難しいかもしれませんが、それに近いスコアを出せるように試行錯誤しています。今の目標は60代のうちにエージシュートを達成することです。タイムリミットはあと3年ですから、何とか絶不調を脱して調子がよかったときのプレーを取り戻したいですね。

広橋公寿

広橋公寿

ひろはし・こうじゅ。1957年福岡県生まれ。80年ドラフト外で西武に入団。6度のリーグ優勝と5度の日本一に貢献。89年オフに中日、90年オフに福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)に移籍。91年現役引退。長女の夫は元メジャーリーガーの岩隈久志

週刊ゴルフダイジェスト2023年8月15日号より