【ゴルフせんとや生まれけむ】志生野温夫<前編>「日本初のゴルフ生中継の勉強のために、クラブを購入した」
ゴルフせんとや生まれけむ
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、アナウンサーの志生野温夫氏。
ボクはね、実は日本で初めてのプロゴルフトーナメントの生中継をしているんですよ。1957(昭32)年に霞ヶ関カンツリー倶楽部で開かれた「カナダカップ」。そう、日本のゴルフブームのきっかけを作ったと言われる国際大会。いまはワールドカップになったけど、その実況アナウンスを担当しました。当時は、入社2年目でゴルフの中継なんて初めてだから、どうやっていいのかわからない。ボクだけでなく、誰もゴルフがどういうものか知らない。だから先輩アナたちは皆、敬遠して新人アナのボクたちにお鉢が回ってきたんです。
それで、大会の実況中継を日本テレビがやると決まってから、急に社内で「勉強しろ」と言われて。そのためには、まずクラブを買わなきゃいけないというんだけど、それが目の玉が飛び出るくらい高くて、私の給料が9600円のときに、ゴルフクラブのセットは5〜10万した。確かハーフのセットを買ったと思うけど、それにしたって入社したばかりでお金がないから、会社から給料を前借りして買ったけど、とてもサラリーマンが手を出せる遊びじゃなかったんです。何しろラーメンが1杯30〜50円の時代に、ダンロップのゴルフボールは1個350円もして、これは大変なことになったと思いましたよ(笑)。
で、千葉県・検見川の東大農学部グラウンドの脇に数ホールのゴルフ場があって、そこでプロからスウィングを習って練習したんだけど、全然当たらないから、ゴルフが面白いなんて、ちっとも思わなかった(笑)。
実況中継のほうは、朝早くから一日中、ニュース以外は全部ゴルフ中継です。だってVTRみたいな録画をする機械がないから全部実況生放送。カメラの台数も足りなくて何台かはリヤカーに乗せて選手を追いかける。モニターもないから肉眼で見たままを放送する。ゴルフ用語も知らないから、「おっと中村寅吉選手の球は大きく右に曲がりました」なんてね。スライスとかフックという言葉さえ知らなかったんです(笑)。
ボク以外にも、同期入社で大相撲担当の本多当一郎アナなどが駆り出されたんだけど、彼は「さあ、構えました。足の位置が決まった」なんて、相撲の中継そのもの(笑)。それでも不思議とクレームは来なかった。ほとんどの視聴者がゴルフを知らなかったから(笑)。当時、ゴルフをやるのは、皇族や一部の政治家、財界人といった人たちで、サラリーマンでやる人は誰もいなかった。それでも会場には大勢のお客さんが詰めかけて、大盛況でしたね。
実況では、今でも赤面する思いなんですが、中村寅吉プロが会場に彼女を連れてきていて、ボク、それを奥さまだと思って、実況中継したら、翌日、寅さんに呼ばれて「昨日のアナはお前か。あれは奥さんじゃねえんだ」と叱られまして(笑)。でも豪放磊落な方で、その後、寅さんにはずっと可愛がってもらいましたけどね。
おやおや、日本のゴルフの夜明けの話だけで1回目が終わっちゃいましたね。
ボク、年配のゴルファーにはお馴染みの「小松原三夫のゴルフ道場」という番組もずっと担当したんですけど、そのお話は次回。

志生野温夫
昭和7年生まれ。大分県出身。アナウンサー。國學院大卒業後、日本テレビアナウンサーに。47年、アナウンス部副部長を最後にフリーへ転身。「小松原三夫のゴルフ道場」「激突スターボウリング」「全日本女子プロレス中継」などの名物アナとして活躍した
週刊ゴルフダイジェスト2026年8月4日号より


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