Myゴルフダイジェスト

  • ホーム
  • 月刊GD
  • 【イ・ボミのスマイル日和】Vol.16「父にとって誇らしい娘でいたかった」

【イ・ボミのスマイル日和】Vol.16「父にとって誇らしい娘でいたかった」

2年連続賞金女王など輝かしい実績を残し、2023年に惜しまれつつも日本ツアーを引退したイ・ボミ。これまであまり語られてこなかった生い立ちや現役時代の秘話など、あらいざらい語り尽くす!

TEXT/Kim Myung Wook PHOTO/Takanori Miki

イ・ボミ 1988年生まれ。15、16年賞金女王。日本ツアー21勝のレジェンド

>>前回のお話はこちら

日本での賞金女王獲得で
ちょっとは親孝行できたのかな

私のゴルフ人生、特に日本ツアーにおいてはいい思い出が多いですが、最も悲しい出来事も日本にいたときにありました。2014年に父(イ・ソクジュ氏、享年56歳)が亡くなったことです。

9月の日本女子プロゴルフ選手権の3日目に、入院していた父の容態が悪化したと知らせが届き、棄権して韓国に帰国しました。病院のベッドでまだ意識を保っていて、その時は私が来るまで待っていてくれたんだと思いました。その後は毎日、涙が止まりませんでした。

私にゴルフをさせようとずっと苦労をかけてきたことを思い出し、自分は父のために何かできたんだろうか? そんなことばかり考える日々を過ごしていました……。

2014年シーズンは「ほけんの窓口レディース」、「センチュリー21レディス」、「NEC軽井沢72ゴルフ」と3勝し、すごく調子も良かったんです。でも父が9月に他界し、そこからの試合はあまりにつらくて正気を保てないほどでした。


父の具合が悪いという話は聞いていたのですが、母は私を気遣って、ずっと隠していたと、後になって聞きました。

14年の終盤戦は「今ここに自分がいていいんだろうか」、「父が亡くなったのに、私がこうして試合をしているのは本当に正しいことなのだろうか」と、すごく悩んでいた記憶が鮮烈に残っています。

そんな状態で迎えた2015年。いつまでも沈んでもいられないので、『父と約束した賞金女王のタイトルを獲ろう!』と、覚悟を決めました。

思い出すのは、日本で結果を残せて世界ランキングも少しずつ上がってくると、父はすごく機嫌がよかった(笑)。リオ五輪の開催も近づいていたときで、韓国代表も視野に入っていたときでした。

「リオ五輪に行くことができたら、お父さんはダンスが得意だから、ブラジルでダンスでも踊ろう!」

なんておどけて、サンバを踊っていたのを思い出します。もし行けたらどれほど喜んだだろうなって、今も思います。結局、五輪には出場できなかったのですが、私も韓国では五輪出場のために努力した一人の選手として記憶されているので、それだけでも満足しています。

もう一つ、父のことで思い出すのは私が2010年に韓国ツアーで賞金女王になった後、すぐに日本ツアーのファイナルQT出場に向けて出国した時のことです。シーズンが終わると日本の「JLPGAアワード」のように、韓国でもKLPGA(韓国女子)ツアーの年間表彰式が開催されます。

でもその時、私は日本のQTを受けていたので賞金女王のトロフィを受け取れなかったんです。

その代わりに両親が授賞式に行って、父がトロフィを受け取ったんです。もし私が日本に行っていなければ、自分で受け取っていたわけですから、そういう機会を作れたのも何かの運命なのかと。父も母もあの日は幸せだったんじゃないかなって思います。

今は結婚した夫(イ・ワンさん)と素敵な場所にたくさん遊びに行きますが、そうした時間は楽しい反面、当時は私が忙しくて、父とはそういう時間がなかったので、今でも時々胸が痛みます。

当時は現役で自分のゴルフもいい状態だったので、そんな余裕もなかったですしね。今は母ともよくゴルフをするのですが「お父さんも一緒にいたらどんなによかっただろう」と、そんな話をよくします。
でも、だからといって当時の自分の行動を後悔しているかといえばそんなことはありません。

2015年に賞金女王になれたのも、練習やトレーニングに必死になり、結果を出そうと前に進み続けられたのは、父と果たしたい約束があったから。父にとって誇らしい娘でいるためにも、絶対に獲らなければならないタイトルでしたからね。

今は夫と幸せに暮らしている私のことを天国から見守ってくれていると思います。「たまには試合に出てほしい」なんて思っているのかな(笑)。これからも優しいまなざしで見守っていてください。

アメリカで”エンジョイ”しました

「日本でのお仕事もたくさんいただいて、忙しい日々なのですが、休暇でアメリカへ行っていました。気分転換をして、仕事、頑張ります!」

月刊ゴルフダイジェスト2026年4月号より