Myゴルフダイジェスト

【インタビュー】松山英樹<前編>「変化は怖くない。自分に足りないことを変えているだけです」

松山英樹の2024年は華々しいものだったのではないか。2月のジェネシス招待では2年ぶりの9勝目、7月のパリ五輪では銅メダル、8月のフェデックスセントジュード選手権では節目となる10勝目を得た。PGAツアーに挑戦して11年、松山英樹の現在地はどこにあるのだろうか――。

PHOTO/Osamu Nagahama、Takanori Miki、Satoru Abe

松山英樹 1992年愛媛県出身。4歳でゴルフを始め明徳義塾中高卒業後、2010年東北福祉大学在学中にアジアアマチュア選手権で優勝し2011年のマスターズでローアマ獲得。2013年にプロ転向し日本ツアー賞金王に。2014年からPGAツアー本格参戦、2021年のマスターズではアジア人初のメジャー優勝達成。米ツアー通算10勝

>>後編はこちら

2024年は
「嬉しさ」があった

2024年、松山はPGAツアーで2勝を挙げ、オリンピックのメダリストにも輝いた。本人としては、どんな1年だったのだろう。

「いい年だったなあと思います。リビエラ(ジェネシス招待開催コース)は2年ぶりの優勝で、アジア人最多勝利記録を更新することができたのですごく嬉しかったですし、オリンピックはゴルフ競技の男子では日本人初のメダルで、金ではなかったけどメダルを獲得できたことはやっぱり嬉しかったですし、セントジュードもフェデックスシリーズ初優勝だったので嬉しかったですね」

「嬉しかったです」と繰り返した松山。アメリカではアイアンのキレ、黙々と練習する姿、無骨な言動などから「サムライ」とも称されるが、常に“日本人初”を達成し続ける男は、自分が日本人だということをどのくらい意識しているのか。

「日本代表として行っているので、もちろん日本人だということは感じていますけど、あまり意識はしませんね」

感じてはいるが意識はしない。これこそが松山英樹たるゆえんだ。以前、最大の目標、メジャー優勝について聞いたときも「目標ですけど、あまり思いすぎてもよくないですしね」と語っていた。結果、その目標は達成されるのだ。そして松山は常に「変化」しているように見える。まず、トレーニングで体が大きくなった。フェースの向きをシャットにしてみたり、クラブを縦に使ってみたり。体、スウィング……様々なことを変えるのに怖さはないのかと聞くと「もちろん変化は必要です。でも怖いとは思わないですね」と答えた。

では、松山英樹はどんなふうに変化してきたのだろうか。手がかりをつかむため、2018年時とまったく同じ質問をぶつけてみた。

●     ●     ●

――1番ホールで叩いたときの気持ちの切り替え方は?

松山 まだ17ホールあるので取り戻せばいいと考える。いくつ叩くかにもよりますけど(笑)。18ホールで叩くボギー、ダボを1ホールで打っちゃったと思えば、取り返す方法もあります。

――優勝を決めるパットは緊張しますか?

松山 はい。対応は簡単にはできませんよ。なるようになるということ。でも、過去の自分の経験であったり、こういう結果が出るならこういう対策をしながら練習する、などがあると思うので、そこをしっかりと試合でもやり通せるか通せないか。できなかったらまた、練習すればいいですしね。

――試合のときのティーオフまでのルーティンは?

松山 だいたい決まっています。1時間40分くらい前にコースに着き、ティータイムにもよりますけど1時間25~30分前から練習開始。15~20分パター、30~40分ショット、15~20分アプローチ、残り20分をパター。時間の長さは自分の状態によっても変わります。

――自分で考える自分の武器や強さは?

松山 うーん、ないです。

――ゴルフで一番大事なことは?

松山 なんだろう……気持ち(笑)。

インタビュー時、真剣にユーモアを交えて考え、表情豊かに答える松山。「父とラウンドしたい」は新しく加わった回答。このとき、少し照れたような表情をした

――1日どれくらい練習しますか?

松山 日によります。日本とアメリカでも違いますし。アメリカの練習ベースで言うと、4、5時間で
すね。

――一番練習する番手は?

松山 全体的に練習します。

――得意なクラブは?

松山 アイアンって答えるんだろうなあ。

以前は得意なクラブは「ない」と答えた。しかし、常にスタッツは上位に君臨し、世界が認める「HEDEKIのアイアンショット」。ここにきてようやく松山自身も確固たる自信を持ったのかもしれない

>>後編はこちら

週刊ゴルフダイジェスト2025年1月7・14日合併号より