【ゴルフせんとや生まれけむ】弓削智久<前編>「打ちっ放しはオヤジとの数少ないコミュニケーションでした」
ゴルフをこよなく愛する著名人に、ゴルフとの出合いや現在のゴルフライフについて語ってもらうリレー連載「ゴルフせんとや生まれけむ」。今回の語り手は、 俳優の弓削智久氏。
僕のゴルフライフを振り返ってみると、父親との関わりによるところがとても大きいように思いますね。父親はとにかくゴルフが大好きで、週末は常にゴルフに行っていた。趣味と呼べるものはほかにはなくて仕事とゴルフしかないという人でした(笑)。
家にはもちろんパターマットがあって、自分が子どもの頃、毎日のようにそれで遊んでいたことを今でもよく覚えています。もともとコミュニケーションを取るのがうまくなくて、僕に取っては何となく怖い存在だった父親でしたが、僕や兄がパターマットで遊んでいるときだけは優しくなりましたね(笑)。
中学校に上がる頃になると、週末には兄か僕のどちらかが父親が打ちっ放しに行くお供をしないといけなくなったんです。父親の希望でです。でも、僕も兄もその頃は野球が大好きで休みの日には友達と野球をするのに夢中でしたから、できれば父親にはついて行きたくないわけです。そんなことで時間を取られたくないじゃないですか。しかも、練習場に行くと「お前も打ってみろ」と言われて、半ば無理やり打たされるんです。でも、練習もしていないんですからうまく打てるわけがなくて。で、そのたびに「ヘタだなあ」とか言われちゃうのが、イヤでイヤで仕方がなかったんですね。ですから、子どもの頃、ゴルフに対するイメージはあんまり良くなかったんですよ。
それでも、その頃、父親と一緒にコースを回ったことが何度かあります。バンカーは出なかったら手で投げてもいいし、ラフに入ったら打ちやすいところに出して打つ、みたいな気楽なゴルフですけれど。そのとき、父親がすごく輝いて見えたのを覚えています。お腹は出ているし、スウィングも子どもの僕から見てもちっとも格好よくはなかったんですけど、バンカーからピタッと寄せてきたり、長いパットを沈めたり……。そこで、ああ、ゴルフって不思議だなあ。何だかよくわからないけれども、人を変えてしまう摩訶不思議な魅力があるもんだなあと思いました。
その後、僕はゴルフをやらなくなってしまいましたが、社会に出て30歳になるかならないかという頃、周囲の友人たちがゴルフに夢中になっていたんです。それで、僕も改めて本格的にやり始めました。当時住んでいた家のすぐ近く、数百メートル先に練習場があったので練習にもよく行きましたねえ。
そして、自分がゴルフを再開すると、やっぱり大のゴルフ好きだった父親のことを考えてしまったんですね。その頃、父親は体を壊してコースに出ることもなくなっていたんですけど、打ちっ放しに付き合わされていた頃のことを思い出すと、言葉には出さなかったけれども、僕や兄が一緒に行くことが嬉しかったのかなあと思うんです。僕は誘われても、何だかんだと理由をつけて断ってばかりでしたけど、今にして思えば、打ちっ放しは数少ないオヤジとのコミュニケーションの場だったんですよ。今になるとそれがわかって、もっと一緒に行っておけば良かったなあと思ってしまいますね。
弓削智久
ゆげ・ともひさ。1980年東京都出身99年に俳優デビュー。2002年に「仮面ライダー龍騎」に出演し注目される。2007年公開の映画「サクゴエ」では脚本を執筆。以降も映画、ドラマなどに出演し、活動している
週刊ゴルフダイジェスト2023年11月21日号より