【企業ゴルフ選士】ブリヂストンスポーツ・中原創一郎さん「忙しくてもゴルフの感覚を切らしたくない」

戦うだけのゴルファーではなく、会社に認められ、選ばれたゴルファーである“企業ゴルフ選士”をクローズアップ。今回は、ブリヂストンスポーツの中原創一郎さん。
ORGANIZER/Hironori Kogure PHOTO/Hiroaki Arihara THANKS/ボールパーク

ブランド・ファン
コミュニケーション部
プロ企画ユニット
主幹
中原創一郎さん
8歳からゴルフを始め、中学時代には九州で名を馳せていた実力派たちと渡り合い、国分高(鹿児島)3年の九州大会で2位に。専修大学でゴルフ部に入り、卒業後は本間ゴルフ、ブリヂストンスポーツと、ゴルフ一色の人生を送る。

ブリヂストンスポーツ
1935年よりゴルフボールの販売を開始し今年で90年。2014年より「BRIDGESTONE GOLF」をグローバル展開。「最高のパフォーマンスを、あなたと。」のブランドメッセージのもと、T・ウッズなど国内外のプロゴルファーの活躍や一般ゴルファーのゴルフライフをサポートしている
“BS”ゴルフ部の
守護神的存在
長年ブリヂストンスポーツで女子ツアーに出場している選手の用具サポートに携わってきた中原創一郎さんは、その界隈ではちょっと名の知られた存在である。ツアーレップという立場以外にも根っからの競技ゴルファーという顔を持つ中原さんは8歳でゴルフを始め、一時はプロを目指していたという。
「父が地元の鹿児島で練習場を始めたのがきっかけでゴルフを始めました。中学校に入ってからジュニアの大会があることを知り、中高ゴルフ連盟主催競技や九州ジュニアなどに出るようになりました」
同年代のライバルには高橋竜彦はじめ、國吉博一、辻村明志といった実力者が名を連ねていた。さらに、その後入った専修大学ゴルフ部では、小田龍一や近藤智弘といった規格外の仲間に出会い、次第にプロの自分をイメージできなくなっていった。
「子どもの頃から一生懸命やってきましたが、なかなか上位に行けず、大学時代もトップになるという意識を持てませんでした。そこで、4年生のときに出るいくつかの大会で目標を設定し、それが達成できなかったらプロを諦めようと考えたんです」
プロの道を諦めても
やっぱりゴルフが好き
就職先を探し始めた当初はサービス業へ進もうと考えていた。
「体育会で培った体力や明るさを生かせるのは飲食やサービス業しかないと思っていたのですが、最後の最後に父から『せっかくゴルフを頑張ってきたんだから、それを生かしてみては?』と言われたんです。確かに心のどこかに未練はありましたし、意図的に距離を置きたい気持ちがあったのだと思います。父の一言で『やっぱりゴルフが好きなんだよな』と思い出しました」
新卒で入ったのは本間ゴルフ。新人は直営店に配属されるのが通例だったが、偶然ツアー担当を命じられ、4年後に転職したブリヂストンスポーツでも同様の業務に携わることになった。それまで横目で見ていた“すごい選手たち”と向き合うことで、次第にサポートする喜びを感じるようになったという。
それから30年弱、思ったようにクラブを握れない日も多いなか、1つだけ気をつけていることがある。
「“間”を空けたくないんです。週1回100球打つより20球でも良いから週2〜3回は行って、異常がないか確認したい。感覚を切らせたくないという気持ちは強いですね」
個人戦も団体戦も
まだまだ挑戦中
そんな中原さんは最近、ゴルフ場の会員権を買ったという。
「それなりの球が打てるうちに関東ミッドアマや関東アマに挑戦したくて、オフィシャルハンディ取得のためにワンウェイGCの会員になりました。あと、今年50歳になるので、日本シニアオープンにも出たいというのが夢でもあります」
競技に対する熱量は子どもの頃から変わらないが、それだけではない。以前この連載でも紹介したゴルフ部仲間の小暮良輔さんが「とにかく思い入れが強い」というのが、仲間たちと出る日経カップについて。同社は2019年に一度優勝しているが、再び頂点に立ちたいと考えている。とはいえ葛藤はあるようだが?
「当社のゴルフ部は、なかなかゴルフをする機会がないなかで、皆で集まって楽しみましょうというスタンスの、いわば同好会のような形をとっています。個人的には『もっとガッツリやりたい』という気持ちもありますが、楽しいゴルフの延長というスタンスなので……」
苦笑しながらそう語るが、ひょっとすると最近、肩の力が抜けて試合を楽しめるようになった理由は、部の雰囲気も関係しているのかもしれない。まだまだこれからも企業ゴルフ選士をまい進していくだろう。
中原創一郎さんの14本セッティング


週刊ゴルフダイジェスト2025年4月22日号より