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私のゴルフ人生“思い出の1打” #2 レックス倉本、吉田康広、ベネット・ギャロウェイ編

「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた!

TEXT/Takeo Yoshikawa

  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……
  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……
  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa Fi……

File 4 ベネット・ギャロウェイ

静岡県・ギャツビイGC ディレクター・オブ・ゴルフ、ティーチングプロ、米国ゴルフ記者協会会員

「満足度が得られなかった1打と人生の転機となった1打」

1998年秋の、御殿場GC(18H・6281Y・P72)16番ホール(154Y・P3)でのことです。距離は長くはありませんが、グリーンは3段になっていて、ピン位置によりボールの落とし所が難しいホールです。7番アイアンで打ちましたが、トップ気味のミスショットでした。ボールは低い弾道を描きグリーン手前に落ちると、カラーを転げ上がり、さらに転がってグリーン3段目のピンに当たりカップイン。ホールインワンですが、思い通りのショットでも弾道でもなく、とても成功したと言えるものではありませんでした。

04年の春、やはり同じ御殿場GCの13番ホール(460Y・P5)でのことです。このときのラウンドはティーチングライセンス取得のためのPAT(playing ability test)でした。3打目がグリーンに届かずバンカーに。ライは最悪で、ピン位置は2段グリーンの上段。ボールをピンに上手く寄せるのは不可能に近い状況でした。こうなったら「神の手にゆだねよう」と覚悟を決めてショット。私の思いが通じたのでしょうか、ボールはピンの近くに着地。これを1パットで沈めパーとし、その結果、私はティーチングプロの認定を得ることができました。

ミスショットのホールインワンと起死回生のバンカーショット。どちらも私の心に強く刻まれた「忘れられない1打」です。

飛ばし屋で問題児、でも憎めなく人気があるジョン・デーリーと

File 5 吉田 康広

よしだ・やすひろ。特定非営利活動法人日本デフゴルフ協会、渉外担当専務理事

「強い風に流され3球連続でクラブハウスの屋根を直撃」

社会人になってゴルフをするようになり、兄の知人で神戸GC(18H・4049Y・P61)の会員さん主催の“秋山杯”に出ることになりました。海からの強い風が吹き上げてくる日でしたが、最終18番ホール(258Y・P4)は左ドッグレッグで左は谷、右側にはハウスがあります。海(左側)から強い風がクラブハウス方向に吹き抜けていました。

ハウスにはテラスがあり最終ホールをプレーしてくるゴルファーを眺めながら過ごすことができる

2番アイアンを手にしてフルショット。ボールは風に乗り、右方向へ飛んでいき、クラブハウスの屋根に当たるような音がしました。打ち直しです。気持ちを整えて暫定球を打ちますが、またしても屋根に当たったような音が聞こえてきました。

「屋根だぞ」と同伴者。「そんなに飛ばない」と私。ボールの行方が不明なので、さらにもう1球打つことになりました。すると、今度もクラブハウスの屋根に当たる音が聞こえてきたのと同時に、ハウスから人が出てきて大声で「打つな!」と叫ばれてしまいました。

後で理事長さんとコンペを開催した会員さんに「困るな〜」と言われました。

これが私の「忘れられない1打」、いや「3打」です。

神戸GCの開場は1903年5月24日。1932年に建てられたクラブハウスは近代化産業遺産に登録されている。この貴重な建物に3球打ち込んだゴルファーはいないだろう

File 6 レックス倉本

れっくす・くらもと。本名・倉本泰信。プロゴルファー、ゴルフTV解説者

「『心に残る1打』は、ショットではなくパットです」

1989年、アメリカのイーストテネシー大在籍中でアマチュアだったときのことです。「ライス・プランター」という試合があり、プレーオフで勝ちましたが、最終パットは1メートルほどの距離で、ライン的にも簡単なものでした。ところが、構えると震え出して手も体も動かない。どのようにして打てばよいのか分からなくなってしまいました。それで震える体を右に動かし、その反動で体を左方向へと動かして入れたんです。ちなみに、プレーオフで戦った相手は全米アマ2回優勝、後に50歳でプロ入りしたジェイ・シーゲルでした。

1990年、全英オープンの予選がセントアンドリュース近郊のレディバンクGC(1879年開場、トム・モーリス・シニア設計)で行われ、本戦に出られる4人に入ることができました。予選は数コースで行われ、それらの総合上位4人だけがセントアンドリュース・オールドコースで行われる本戦に進めるという、かなり過酷なものです。

全英オープン地区予選は本戦会場周辺の数コースで行われ、各コースの首位のみが本戦に進めるという過酷さ。レディバンクGCは1879年開場のヒースランドコース

本戦でのことです。記憶が曖昧なのですが3番か4番グリーンだったと思います。3番グリーンはインコースの15番、4番グリーンは14番と共有グリーンだったんです。そのため、アウトをプレーする選手にとってグリーンの左側ではインをプレーする選手がパットをすることもあり、気配りが必要になります

最初のパットがカップに届かず、30センチほど残りました。いつもなら難しいとは思いませんが、そのときはグリーンの左側にもパットをしている選手がいました。そこにいたのは、なんと自分にとって伝説のゴルファー、アーノルド・パーマー。しかも、「先に打て」と手を振り合図され、今までにない緊張を感じながら30センチのパットを打ちましたが、外してしまいました。1打の重みは大きく「自分は向いていないな」と自覚したほどです。

セントアンドリュースのオールドコースはグリーンがアウト、インで共有されているホールが7つもある。単独グリーンは1、9、17、18番ホールのみ

94年に出場したアコムインターナショナルでは人生初の最終日最終組でスタート。1打目はフェアウェイの真ん中、2打目はグリーンの手前、3打目をピン1メートルにつけたんです。バーディパットを打とうと構えたら手とひざが震えだし、結局ラインには乗っていましたがカップ手前でボールは止まり、順位も10位タイという結果に終わっています。

  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……

週刊ゴルフダイジェスト2024年5月21日号より