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私のゴルフ人生“思い出の1打” #1 諸星裕、福本勝幸、八木一正編

「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた!

TEXT/Takeo Yoshikawa

  • 「思い出の1打」と聞かれると、「ドラコン」や「ニアピン」、もしくは「ホールインワン」を挙げる人は多いことだろう。思い出すたびに悔しさが込み上げてくる痛恨のミスショットも「忘れられない1打」と言える。そこで各界で活躍するさまざまなゴルファー13名に「心に残った忘れられない1打」を聞いてみた! TEXT/Takeo Yoshikawa ……
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File 1 諸星 裕

もろほし・ゆたか。一般社団法人日本ゴルフツアー機構会長、ミネソタ州立大学特別功労教授、桜美林大学名誉教授

「46年前、将来の義父とのラウンドは、高麗グリーンに手こずりました」

1978年5月、兵庫県の三田GC(18H・6496Y・P72)でのことです。アメリカは5月末から8月下旬まで夏休みになるので日本に帰国。理由は、将来の伴侶となる女性の父親に挨拶をするためでもありました。彼女の父親は三田GCのキャプテンを務め、週末は必ずゴルフ場に行き家に不在なことから「ゴルファーとは結婚しない」と決めていた彼女でしたが、その父親に「翌日、ゴルフをしよう」と言われ行くことになりました。

グリーンは高麗芝で2オンしても4パットの連続。一方、飛距離の出ない後の義父は3オン1パットの快進撃。ちなみに彼はHC6、私は5でしたが、アメリカでゴルフを始めた私にとって高麗グリーンは初めてだったのでかなり手こずりました。

最終9番ホールはパー3で164ヤードだったと記憶しています。7番で完璧なショットを打ったつもりでしたが、まんじゅう形のグリーンで跳ねてOBに。義父は3Wでバンカーに入れるも、そこから寄せるというショートゲームの達人ぶりを発揮。

義父とプレーした三田GCの9番ではOBになってしまった

プレー中に「勝っていいのか、負けたほうがいいのか」と葛藤がありましたが、プレー後に「腕前は良い、マナーも人間的にも良い」と晴れて結婚の許しを得ました。このOBの1打は強く心に焼き付いています。

結婚後、ミネソタ州立大セントクラウド校で助教授として教壇に立っていたときのことです。ワピカーダGC(18H・6689Y・P72)の5番ホール(143Y・P3)でホールインワンをしたのですが、2週間後に同じホールで再びホールインワンを達成したのも思い出です。2番ホール左サイドの家を購入して住んでいましたが、プールにはよくボールが飛び込んできましたし、ある朝、ガラスが割れキッチンのトースター横にボールがあった、ということもありました。

ワピカーダGCでは同じホールで2回ホールインワンを達成

カリフォルニアのハーフムーンベイGLオールドコース(18H・7001Y・P72)でのことも忘れられません。ここの18番ホール(405Y・P4)は、右が太平洋というホール。グリーン左のホテル前では多くの客がくつろいでいました。

250ヤード先のフェアウェイには海から入り組んだ崖があり、その手前にボールを落とし、2打目でグリーンを狙うという難しいホールです。1打目を狙い通りに打てて、残りは約160ヤード。2打目もナイスショットでピンに1メートルほどだと確信しながらグリーンに上がると、なぜかボールがありません。ギャラリーと化したホテルの客が笑いながら指さす方向を見ると、幼い少年がボールを持っているではありませんか。「ボールを返して」と言っても返してくれませんでしたね。

ハーフムーンベイGLのオールドコースは切り立った海岸の上にあり、18番は最終にふさわしいスリリングなホール

File 2 福本 勝幸

ふくもと・かつゆき。日本ヒッコリーゴルフィングソサエティ幹事長、日本代表チーム責任者

「ロブショットを徹底練習し、国別チーム戦2連覇達成」

2018年のワールドヒッコリーオープンの国別チーム対抗戦に優勝したあと、翌19年大会に備え、毎晩練習に励みました。試合の1カ月ほど前に会場がスコットランドのダンバーGC(18H・6560Y・P71/1856年開場)に決まると、コースのHPを見て攻略のイメージトレーニングに没頭しました。こだわったのは「何がなんでも1番ホール(474Y・P5)でパー」。チーム全員がパーを取れないホールが1ホールでもあると優勝は難しいからです。

10月21日の本戦では、リンクス特有の強い風が吹き荒れ、1番ホールはアゲンスト。グリーン手前20ヤード地点には小川がホールを横切り、グリーン左に池、左右にはガードバンカーもありました。

1番グリーン手前には小川が流れ、左右はバンカーがガードしている

アゲンストの風なら4オン1パットと決めていて、渡英する前に60ヤード以内のロブショットを徹底的に練習していました。1、2打は低弾道で手堅く刻み、3打目は予定通り小川の左手前にボールを止め、勝負の第4打はピンまで45ヤード。硬いグリーンでも止められる高弾道のショットが求められる状況でした。放ったロブショットは強い向かい風に勢いを削がれるとピン横15センチに落下。この「忘れられない1打」の成功により、チームは勢いづき2連覇できました。

スコットランドでプレー中の福本さん

File 3 八木 一正

やぎ・いちまさ。岩手大学名誉教授。ゴルフダイジェスト社刊「小娘たちに飛距離で負けないための授業」ほか「スポーツ上達の力学」「遊園地は科学実験室」など著書多数

「バンカーから痛恨のミスショット!
パープレーを逃がしてしまった」

1997年7月11日、48歳のとき。職場のコンペが武蔵野GC(18H・6540Y・P72)で行われ、その日は絶好のゴルフ日和でした。私は前半のインを「36」とし、後半も順調にスタートしていきました。打ち上げになる4番ホール(375Y・P4)の2打目は少し高い球を打とうと考え、クラブをひと番手上げました。思い切り振り抜くと、ボールは狙い通りの高弾道で飛んでいきましたが、高く上がり過ぎてしまい距離が足りずにグリーン手前のバンカーに。しかも、アゴの下端。ピンを狙うのは難しいと判断し、やむなく横に出すことにしました。打ち出す方向は左のラフ。無理に出そうとしたためか、かなりオーバーのミスショット。そこからなんとかグリーンに乗せることができましたが、2パットでこのホールをトリプルにしてしまいました。その後も、ミスを引きずったままボギーを打ち、結果的に後半のアウトは「40」というスコア。

コンペの成績としてはベスグロ優勝でしたが、自分的にはとても残念な出来事でした。その理由は、前年にスポーツは「勘や要領だけでなく、厳密に力学の原理に従った動きをすべし」という内容の『スポーツ上達の力学』という本を出していたからで、とてもショックでした。その当時は70台でプレーすることが多かったのですが、いつも1打足りずに終わっています。

週刊ゴルフダイジェスト2024年5月21日号より