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【ノンフィクション】大里桃子「2勝目までの33カ月」

2018年8月、鮮烈なデビューを飾った大里桃子。順風満帆なプロ生活の始まりに見えたが、あることがきっかけで思わぬ不調に……。長かった2勝目までの道のりを振り返る。

PHOTO/Tsukasa Kobayashi、Shinji Osawa、Hiroyuki Okazawa

プロテスト合格後23日で初優勝

2018年、8月20日。その年のプロテスト(7月末開催)に合格したばかりのルーキー・大里桃子は、大箱根CCで開催された「CATレディース」でツアー初優勝を飾った。プロテストに合格してからわずか23日目(3試合目)での優勝は、1988年ツアー制度施行後の最速記録。ルーキーイヤーで鮮烈なデビューを果たしたのだ。当時、大里はこうコメントしている。

「私はまだプロ1年目。負けても仕方がない。ここまでやれたら悔いはないと思ったら、逆に吹っ切れて終盤はいいプレーができました」と語ったように、森田遥との一騎打ちに競り勝った。

「初優勝のときはイケイケで、勢いで勝ったようなものです。最後のバーディパットもこんな下手くそが優勝していいのだろうか、そんなことまで考えていました」

「勢いで勝ったようなもの。こんな下手くそが勝っていいのかなと思った」

大里の初優勝は、黄金世代では同じ九州出身の勝みなみ、畑岡奈紗、新垣比菜に次ぐ4人目だった。キャディはコーチでもある父・宏さんが務めた

熊本で生まれた大里は、ゴルフ好きの父に勧められ8歳でゴルフを始めた。父・充さんは単なるゴルフ好きではなく、クラチャンを7度も取ったトップアマだ。

「子供ができたらゴルフをさせたいと思っていて、長男には“将司”と名付けましたから。ジャンボ尾崎さんの名前をもらいました。ですが、長男はゴルフに食いつかなかったんです。それで娘の桃子にゴルフをさせたんです。そうしたら食いつきがよくて。最初から上手にボールに当てていたし、本人もおもしろかったのでしょう。30Y・40Yなどの看板に当てたらお菓子を買ってあげる、みたいに遊び感覚でゴルフをさせていましたが、ゴルフが楽しくなると自分で考えて練習するようになりました。小学生のときはピアノや水泳を習っていましたし、ミニバスケ部にも入っていて、そこでリズム感や運動能力が高められたのだと思います」(充さん)


大里はアスリートの資質を見事に受け継いでいる。父・充さんは、学生時代は100~400メートルの短距離選手で100メートルの熊本県記録を持っていた。そして母親も走り高跳びとハードルの選手だった。170センチを超える、恵まれた体格を持つ大里は、フィジカルの強さもさることながら、抜群の運動センスを持っていたという。

「私は中学校の体育教師でしたからずっと子供たちを見てきています。その目から見ても桃子の運動センスには驚かされました。どんなスポーツでもちょっと要領を教えただけで、すぐにできてしまうんです。集中力が高く、感覚も優れていたんだと思います。ですからゴルフにおいてもショットやアプローチは難なくできていましたし、距離の打ち分けもお手のもの、という感じでした。

中学2年時には日本ジュニアに出場し、3位入賞もしています。当時、桃子の中学校にはゴルフ部がなく、陸上部に在籍していましたからゴルフの練習は土日のラウンドくらいです。ほとんど練習していないのに上位に入ってしまったわけです。これをきっかけにゴルフに専念しようと決めました」

不調のきっかけは18年の最終戦

ゴルフの強豪校・熊本国府高校に進学した大里は、1年時に同級生の田中瑞希(2019年プロテスト合格)とともに全国高等学校ゴルフ選手権に出場し、女子団体優勝を達成。2年時は女子団体準優勝、3年時は再び女子団体優勝と輝かしい成績を残している。順風満帆なジュニアゴルフ時代を歩んできた大里は、プロの世界に入ってもその勢いのまま、ツアー初優勝を成し遂げたのだ。しかし、優勝した年の最終戦、リコーカップで思わぬ出来事が起きた。

「リコーカップのとき、アプローチで30センチまで寄せたのにパットを外してしまったんです。そのとき『あれ?』ってなってしまって……。なんか気持ち悪いまま、シーズンが終わったんです」

プロ1年目でツアー優勝を果たした大里が2年目を迎えた2019年。沖縄で開催された開幕戦・ダイキンオーキッドのプロアマで、本格的なパットの不調に気づいたという。当時の不調を父・充さんはこう分析していた。

「桃子は運動センスが優れていたし、感性も抜群でしたからゴルフの練習はラウンドをメインにしていたんです。そうすることで感覚がもっと磨かれる、そう考えたからです。ですから練習場で何百球も打つといった反復練習はあまりしていなかったんです。そういった感覚的なゴルフが気持ちのズレや感性のブレにつながってしまったのかもしれません」

「ショートパットが入らず、3パットや4パットは当たり前。そんな試合が続きました。でもプロの試合ですし、調子の波は必ずあるものだから、パットの不調だって付き合っていくしかない。そう思っていたんです。でも、いま振り返ると19年シーズンがいちばん苦しかったですね。開幕戦以降、予選落ちが6試合続いたりして、なかなか調子が取り戻せず、シード落ちの可能性も出てきて、初めて危ういかもという経験もしました。日本女子オープンで2位に入れたのでシード入りは確定させられましたが、その間もメーカーの人や知り合いの選手のコーチなど、さまざまな人に相談しました。パターを替えたり、グリップを替えたり……。できることは何でもやりました。何かを変えると調子がよくなることもありましたが、また不調が出始めて不安定になることもあって『またか……』という繰り返しでした」(桃子)

側で見守っていた父・充さんは苦しんでいた娘の姿について、

「桃子は先輩のワザや上手な人のテクニックを盗むのが上手かったんです。私も『プロになったら教えてもらえないぞ』なんて言っていましたから、周りの友達に相談するタイプでもなかったんです。マネしながら技術を学んできた、今のシニアゴルファーに近いんです。ただ桃子は負けず嫌いですから、どうにかしなきゃと本気で思ったはずです。その結果、周りのスタッフやコーチに相談できたのでしょう。プロ1年目は私がキャディをしていましたが、2年目からプロキャディにお願いし、私からも『選手として育ててほしい』とお願いしていました。そういった周りのスタッフたちが支えてくれたんです。いい人たちに恵まれたんだと思います」(充さん)

好きなクラブは「パター」

「ショットメーカーなんて言われることもありますが、実は私、パット好きなんです。好きなクラブも『パター』って書いていたくらいです。得意なクラブほど、不調になりやすいって聞いたこともありますし、ある意味、仕方がないのかなって思っています。でも不調のときは、タップインできるくらい寄せないとパットを外してしまうイメージが拭えなかったですね。何かを変えなきゃといつも解決策を模索していました」

ツアーでは初優勝より2勝目が難しい。そんな言葉をよく耳にするが、大里にとっても2勝目までの道のりは険しかった。コロナ禍に見舞われた20年シーズンは大会中止もあり、21年との連結シーズンとなったが、大里は20年のオフから新たな取り組みを始めた。

「両親とも体育会系で体格に恵まれたていたこともありましたが、今までフィジカルトレーニングはしていなかったんです。ただ、2勝目、3勝目を目指すのであれば、フィジカルも必要だと感じました。他人から見れば、そんなのトレーニングじゃないって言われるかもしれませんが、私なりにやってみよう、真剣に取り組んでみようって決めたんです。あとスウィング改造にも取り組みました。インパクトゾーンで手の通り道がなくなって詰まるような感じがあったんです。それを修正するためにベタ足のイメージで体の開きを遅くするようなスウィングにしたんです。これが上手くいきました。21年は序盤からショットが過去イチくらいに安定していて、バーディチャンスもたくさんつけていましたから、パットさえ決まれば優勝も見えてくる……という感じでした」

36インチに替えたら
これまでの悩みが急に消えた

「ヤマハレディースからパターを33インチから36インチにしました。長くなったことで構えたときの姿勢が起きる感じになり、以前のような縮こまった感じが消えたんです。そこで気持ちの面もリセットできたのかなって思います」

その結果はすぐに表れた。4月のパナソニックオープンで2位に入ると翌週のメジャー、サロンパスカップでも2位タイに。そして迎えた、ほけんの窓口レディースで念願の2勝目を手にした。

「3度目の正直で勝てました。めちゃめちゃうれしかったです。初優勝は勢いのまま勝った感じでしたけど、2勝目は苦労したぶん、実力がついて勝ち取った優勝だと思っています。苦しんだ時期を思い出すと涙が出てしまいますが、パットの不調を克服できたのかなって思います」

大里の2勝目はプレーオフだった。入れなきゃ負ける場面でバーディパットを決め切った。

「悩んできたことを生かさないでどうするんだ! って思いました。今までは外したらどうしようと考えていましたが、ここに打つという強い気持ちで打てました」

パターを36インチに替えたことできっかけをつかんだ大里。「これだけパターを外してきたので外れてもいいやって気持ちの面でも吹っ切れました」(大里)

21年になって大きく成長したと語る父・充さんは、

「ミスしても悔やまなくなったんです。前週のプレーオフで上田桃子選手に負けたときも『一緒に戦えて幸せだった』と語りました。気持ちの切り替えができるようになったんです。人間的にも成長したなと感じました」

20-21年シーズンを賞金ランク12位で終えた大里。次の目標は3勝目かと思いきや、「私の目標は前年の成績を上回ること。優勝やタイトルも大事ですけど、シード選手として長く活躍できる選手になりたいです」

そう力強くコメントした。

「苦しんだ時期を思い出すと涙が出てしまいますが、ここで終わりではないので、またリセットして頑張りたい」と語った大里

週刊ゴルフダイジェスト2022年1月4日号より