トム・ワトソン&ブルース、ニック・プライス&スクイーキー、ゴルフ界最高のパートナーの物語
PGAツアーのフォールシリーズ初戦「ビルトモア選手権」でアルハンドロ・トスティのキャディがラウンド中に選手と激しい口論を繰り広げた末、職場放棄。ゼッケンを脱ぎ捨てコースを去る事件が起きた。最近は選手側がすぐにキャディを解雇したり、キャディ側も稼げないと即選手の元離れたりするが、ここに登場する2組は死が二人を分かつまで添い遂げた感動の物語の主人公たちだ。

トム・ワトソンが“ラビット”(何者でもないその他大勢の選手のひとり)だったデビュー当時からキャディを務めたブルース・エドワーズは30年近くレジェンドの名コンビだった。
ワトソンが来日するとよくゴルフクラブの撮影を依頼したものだが、他のキャディはバッグを我々に託してその場を去ったがブルースはどんなに時間がかかっても決して雇い主のバッグから離れようとしなかった。いいキャディはこういうものというお手本のような人だった。
その彼が筋萎縮制側索硬化症(ALS)を煩い闘病の末、49歳の若さでこの世を去った。亡くなったのは彼が愛してやまなかったマスターズ(2004年)初日の朝。ロッカールームで訃報に触れたワトソンは「きっと彼は大好きだったマスターズの日に逝きたかったんだろう」と瞳を潤ませた。
当時はまだ有効な治療薬がなく余命宣告を受けていたブルースは前年のマスターズでお気に入りのベンチに座りながら泣いた。
「来年の今頃自分はここにいないだろう」
そう思うと嗚咽が止まらなかった。その姿をワトソンも遠巻きに眺めていた。

ワトソンにとってブルースはキャディ以上の存在だった。孤独な戦いを強いられるコースでは唯一の味方であるとともに無二の親友であり戦友。兄弟といっても良い存在だった。ブルースが自分より先にこの世を去るとは思ってもいなかった。
彼が他界した翌年のマスターズからワトソンはブルースを偲ぶある行動を続けてきた。それはアーメンコーナー最後のホール13番パー5のティーングエリアの後方にあるベンチにエッグサラダサンドイッチを手向けること。
大勢のパトロンからスタイミーになるそのベンチで前の組のプレーを待つ間、ブルースはよくエッグサラダサンドイッチを食べていた。だからワトソンはサンドイッチの包紙に『ブルース』と書きティーイングエリアの脇に置いて亡き友を偲んだのだ。
「私にとってそれ(ブルースを偲ぶこと)は伝統の一部なんだ」といったワトソンは、12年後自身最後のマスターズとなった大会でその伝統に幕を下ろした。
「肉体としては彼を失ったが精神的なつながりを失ったわけではない。彼の精神は私を見守ってくれると信じています」
「トム(ワトソン)と出会ったことが人生最高の出来事」と語っていたブルース。今も天国でワトソンを見守っているに違いない。
もう1組のゴルフ史に残る名コンビは90年代“世界最強”と謳われたニック・プライスと相棒“スクイーキー”ことジェフ・メドレンだ。
製鉄所の季節労働者からメジャー3勝のプライスのキャディを務めるというシンデレラストーリーを実現したメドレンの愛称はスクイーキー。野球少年だった時代にキーキー響く甲高い声でチームを応援したことから命名された。
父の影響で幼い頃からゴルフに勤しみ野球やバスケットボールなどにも興味を持っていたが体が小さくアスリートになる夢は断念。製鉄所で働いていたのだが不況のため離職。たまたま女子ツアーのキャディをアルバイトのつもりで引き受けたのだがバッグを担いだ選手が優勝争いし、スポーツに勤しんでいた頃の情熱が湧き上がりキャディに転身した。
プライスの以前はフレッド・カプルスのキャディを務めていたが、たまたまカプルスが休みの週、キャディを探していたプライスのバッグを担いたのが縁でやがて専属になる。
「予選通過は絶対に無理という試合の最終ホール、どう考えても届くはずのないパー5のティーショットをニックが打ったとき思わず『ゴー、イン!』(入れ)って叫んだんです。そしたらニックが笑ってくれて……」
専属キャディに指名されたが1991年の全米プロをプライスが妻の出産に立ち会うため欠場。それによって繰り上がり出場したジョン・デーリーのバッグをスクイーキーが担ぐことになる。
「予選を通れば上出来」と思っていたが無名のデーリーは日に日に調子を上げメジャー制覇を成し遂げてしまうのだ。翌年にはプライスを全米プロの勝利に導いたことでスクイーキーは“メジャーに強いキャディ”と呼ばれるように。
1994年にはプライスが「もっとも勝ちたかった」全英オープンで最終日の17番、奇跡のイーグルを奪って戴冠。ウィニングパットを沈めたプライスとスクイーギーはひしと抱き合った。

「あぁ、この瞬間、最高の舞台で素晴らしいドラマの脇役を務めさせてもらえるなんて僕は何て幸せなんだろう!」スクイーキーは心の中でそう叫んでいた。
感動の勝利からわずか3年。彼は白血病に倒れ尊い命を失った。慢性骨髄制白血病と診断されてから1年足らずで還らぬ人となったのだ。
「ともに過ごした時間、数々の勝利、そして笑い合った日々をいつまでも大切にします」と失意のプライスはコメントを寄せた。
全英オープンを制覇した1994年は全米プロでも勝って年間6勝を挙げ“世界最強”と呼ばれたが、そのすべての瞬間プライスの傍にスクイーキーがいた。
「彼は家族の一員でした。その誠実さと献身で私の成功に寄り添ってくれたことに感謝しています」(プライス)

インタビューしたとき「今の自分があるのはニックのお陰。世界のどこへ行っても『ニックって本当にいい人だね』と言われるのが一番嬉しい!」と語っていたスクイーキー。
享年43歳。もうあの独特の声は聞けない。早すぎる死に胸が詰まる。

文/川野美佳
米サンディエゴ州立大学留学を経て1990年代から「週刊ゴルフダイジェスト」「Choice」を中心に執筆を開始。主な翻訳書に『タイガー・ウッズ私のゴルフ論』(テレビ朝日)『タイガー・ウッズ:もうひとつのインサイドストーリー』(日本ヴォーグ社)『ブッチ・ハーモンの勝者のゴルフ: タイガー・ウッズを育てた名伯楽』(小池書院)など。ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤー、トム・ワトソンなど海外のレジェンドゴルファーへのインタビューを多数行っている


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