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【ゴルフ初物語】Vol.84 中日クラウンズの舞台“和合”は1929年、中部地区初のゴルフ場として誕生した

今週開催の男子ツアー関西オープンは日本最古のオープン競技だが、今月末に開幕する中日クラウンズは現存する日本最古の民間トーナメント。今年で62回目を迎える伝統の大会を長年開催してきたのが、愛知の名門「名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース」だ。

「東洋のマスターズ」と呼ばれる“中クラ”

1957年、霞ヶ関CCで行われたカナダカップで中村寅吉、小野光一が優勝し、日本にゴルフブームが沸き起こる。これを受けて60年にスタートしたのが「中部日本招待全日本アマ・プロ・ゴルフ選手権」。第1回は名古屋GCで開かれプロ42人、アマ12人の54人が出場。賞金総額170万円、優勝賞金50万円は、当時の日本オープンをも上回る額だった。大会の模様はテレビで生中継され、中村寅吉が優勝。当初は愛知CC東山コース、三好CCでも行われたが、第7回から「中日クラウンズ」と大会名称を変更。開催コースも名古屋CC和合コースに戻り、現在まで続いている。

和合コースは1929年に開場。当時の近代都市の条件は観光ホテル、飛行場、そしてゴルフ場を完備していることと言われたが、中部にはまだゴルフ場がなかった。そこで名古屋の財界人が資金を出し合い土地を取得し、設計を大谷光明に依頼。だが狭くて土質が悪いため「ゴルフ場には不適」と大谷は辞退。そこで土地を買い足し、土質を改良し、再度大谷に嘆願し開場にこぎつけた。和合コースの住所「東郷町和合」には字「ドンドロ」が続くが、これは沼地のような泥々の場所であったことからきているとも言われている。

2010年最終日には石川遼が当時世界最少ストロークの「58」で優勝。だが翌年の日本女子オープンの優勝スコアは12オーバー。フェアウェイは狭く、小さな砲台グリーンが難度を高める。中日クラウンズには海外のトッププレーヤーも数多く参戦。ゲーリー・プレーヤー、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス……。そして歴代優勝者にはグレッグ・ノーマン、セベ・バレステロス、ジャスティン・ローズらが名を連ねている。

トヨタ車が優勝副賞になったのは第2回大会から。当初はパブリカで、1965年の第6回からクラウンになった。昨年は燃料電池車MIRAIが優勝副賞に

週刊ゴルフダイジェスト2022年4月26日号より

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